連載
第9回 空間を越えた地方自治体
京都大学大学院法学研究科教授 真渕勝〔Mabuchi Masaru〕
2011年3月11日に起きた東京電力第一原子力発電所による災害によって、福島県の9つの町村が「自治体丸ごとの避難」を余儀なくされた。役所は閉鎖され、他の自治体の区域に仮設の役所を開設して、業務を行うことになった。避難を「余儀なくされた」住民の多くは全国に散らばって避難生活をしたが、仮設の役所のある自治体に避難した住民も少なくない。1年後、広野町と川内村の役所は帰還を果たしたが、他の7町の役所は依然として移転したままである。
このような事態は理論的にも、法制度的にもまったく予想されなかった想定外の出来事である。
移動する市民:理論
理論面から整理しておこう。地方自治体と市民の関係に関する理論は演繹的である。
経済学者のチャールズ・ティボーは1950年代に、「足による投票」という概念を提起した。国民が国政に不満を感じるとき、平均的な国民には次の選挙で政権を替える行動をするという選択肢しかない。しかし、ある地方自治体に住まう住民には、選挙における投票に加えて、別の地方自治体に移動して、そこに身を託すという選択肢もある。住民は、受け取る便益(行政サービス)と支払う費用(地方税)を比較して、自らの判断でどこの住民になるかを決めることができるのである。これが「足による投票」である。
もちろん国境を越えた移動も可能である。移民、難民、あるいはベルリンの壁崩壊(1989年)のような特殊な事態における国籍選択などが、実際には起こる。しかし、通常時の平均的な国民にとって、金銭的費用、心理的文化的紐帯の強さ、不可逆性(元の地に帰るのは非常に難しいこと)などの点で、地方自治体間の方がはるかに移動しやすい。住民は他の多くの地方自治体に関する便益と費用に関する情報を高い水準で持っているなど、演繹的な理論にありがちな強引な前提に立ってはいるが、この程度の現実性は踏まえている。
かくして、地方自治体の間を自由に移動する住民と、行政サービスの質と量を決定する地方自治体のあいだで、市場メカニズムにおける資源配分が生じる。地方自治体には、住民が望む便益と負担のパッケージを推測し、提供することが求められる。
この論理は、1980年代、ポール・ピーターソンによって、福祉政策は地方自治体の独自の仕事にはなりえないという主張にまで発展させられた。
ピーターソンは、地方自治体がその地域の経済力や自らの財政力を高めようとするとき、企業誘致や観光資源保護などの「開発政策」には力点をおくが、福祉サービスの給付に代表される「再分配政策」には積極的に取り組まないと言う。なぜなら、開発政策は企業、そして税負担能力の高い熟練・専門労働者を引き付けるために、地方自治体にとってプラスに作用するが、再分配政策は税負担の能力が低く、公共支出を増大させる低所得者層を引き付けるために、地方自治体にとってマイナスに作用するからである。福祉政策は、高額納税者を地域から弾き出し、低所得者層を地域に引きつける効果をもつ。このような「福祉の磁石」が作用するために、地方自治体には構造的に福祉政策に積極的に取り組むことはできず、それについては中央政府が担うべきであるとするのである。これが「都市の限界」である。ピーターソンは、この論理を、ピーター・ロムとの共著において、アメリカ州政府を単位とする分析において検証している。
さらに、「移動する市民」の論理は、地方自治体が企業という住民を誘致するために減税合戦を繰り返し、結局、互いに自分の首を締めてしまう可能性を指摘する。これが「底辺への競争」である。
以上が、自主的に移動する住民を前提においてこれまで語られてきた住民と地方自治体の関係に関する理論である。市場のアナロジーで分析する演繹的な理論において、「移動を余儀なくされた」住民の存在はまったく想定されていない。
「底辺への競争」の回避策:理論の補足
話は、少々横道にそれる。
日本において、地方税の税目の多くは国法である地方税法によって定められ、その税率の標準も定められていることが多い。地方税法に定めのない税(法定外税)についても、かつては許可制、地方分権改革の後は同意制になっている。いずれにしても、地方自治体には勝手なことができない、あるいはしにくい仕組みになっている。
このような状況は、通常、国が地方を「支配」している関係として説明されている。しかし、ものは考えようである。
地方自治体が、中長期的な視点から、地方税を企業の誘致や有権者の関心を惹くだけの手段にしないようにするならば、それを制約する方策を国につくってもらうとするだろう。そして、地方自治体は、自らの利益のために、自らの自由を制約する制度をつくるように国に働きかけることになる。そうであれば、国が地方を「支配」しているのではなく、地方が国に「支配」してくれるように依頼していることになる。これはまさに、黒澤明が映画『七人の侍』で描いた農民と侍の関係である。
この仕組みは、「移動する市民」を前提に、「底辺への競争」を抑制するメカニズムを税制に組み込んでいるということができる。
移動を余儀なくされた住民:実態
話を被災地に戻す。まずその実態である。
2014年7月現在、
もちろん元の町村には誰も住んでいない。それぞれの地域に設置されたライブカメラは今でも人影のない町の姿を延々と映し出している。小学校や中学校、病院や商店街が物理的に存在しているが、その機能は果たしていない。この有様を捉えて、内山節は次のように指摘している(内山節 2011、『文明の災禍』74―75頁)。
すべての人々が新しく住んだ場所に住民票を移せば、町は消滅するのだろうか。もしもそうなれば、おそらく町は近くの市町村と合併するなどの手続きをとって、あの空間は合併市の管理下におかれるのだろう。しかし1人でも住民票を移さない人がいて、その人たちが合併を拒否しているかぎり「旧町」は存続する。その「町」とは何なのか。
(中略)
はっきりしているのは土地との関係性の切れたネットワークだけが存在する「町」が誕生したということである。
すなわち、「インターネット上に成立するバーチャルなコミュニティと同じようなものが、現実の行政的世界に発生してしまったのである」(76頁)。たしかに、各町村は従来通り、ホームページを開設しており、「住民」の概要を、男女別人口と世帯数で掲げている。そして、仮設の役所は「住民」を対象に各種の業務を行っている。
空間を越えた地方自治体:法制度
これは、法制度の上でも「想定外」の事態であった。
たとえば、妊娠していることが判明した時点で、妊婦(またはその代理人)は、母子保健法に基づいて、「妊娠届出書」を住所を有する市町村に提出しなければならない。しかし、被災者の多くは将来の帰還を願って住民票を元の町村に残している。彼女は移転先の町村の住民ではないのである。
住民基本台帳法は22条において「転入(……)をした者は、転入をした日から14日以内に、次に掲げる事項(……)を市町村長に届け出なければならない」と定めている。転入した場合には、その市町村に住民票を移さなければならないのである。ところが、避難は「転入」ではなく、これには当てはまらないとされている。そのために、住民票を移すことは義務づけられていない。
しかしながら、災害対策基本法60条などが想定している避難とは、台風や強風による被害を避けるために、近所の学校の体育館や公民館などに一時的に避難するなど、同一自治体内で短期間だけ避難する行動である。「今回の原発災害による避難のように、市町村や県域をまたがって、しかも今後何年続くかわからないという広域で超長期の避難は想定されていない」のである(今井照 2014、『自治体再建――原発避難と「移動する村」』26頁)。
このような想定外の事態に対処するために「原発避難者特例法」が 2011年8月に制定された。避難先で適切な行政サービスの提供が受けられるようにするために定められた法律である。同法に基づいて、「妊娠届出書」の届出先は、福島県内に避難している場合には仮設の役所、福島県外に避難している場合には避難先の自治体とされた。町や村は、県内に避難している「住民」には仮設の役所を通じて実態を感じとることができるが、県外に避難している住民にとってはそれすらもない、完全にバーチャルな存在となったのである。
仮設の役所は住民票、印鑑登録、戸籍謄本・抄本などの各種証明書を発行しているだけでなく、選挙も実施している。選挙にはもちろん町村長選挙と町村議会議員選挙も含まれている。そこには確かに町が、地方公共団体が存在しているのである。
このような業務をこなすことができるのは、仮設の役所が住民情報を保有しているからである。住民情報はサーバに納められている。葛尾村は手際よく避難の最初からサーバを持ち出していた。その他の町村は住民の誘導に追われ、サーバをそのまま役所に残さざるをえなかった。そこで、いったん避難先に仮設の役所を開設した後、「決死隊」を自称する職員たちが再び役所に向かい、サーバを持ち運んできたのである。「当時の不安定な原発状況や大きな余震のことを考えると、『決死隊』ということばは決して大げさな表現ではない。」(78頁)
市町村や都道府県という地方自治体は、少なくとも日本では、一定の地理的空間として把握されている。すなわち、地方自治法は2条2項において、「普通地方公共団体は、地域における事務(……)を処理する」と定めているのである。しかし、仮設の役所を設けている被災町村には物理的な地域は存在するが、肝心の住民がいない。住民は地域を越えて、全国に散らばっているからである。原発事故によって、地理的空間をもたない地方自治体が誕生したことになる。
近い将来、大地震と大津波が日本を襲う。これによってもたらされる災害は従来の避難によって対応することができるかもしれない。大きな余震が収まり、津波が引けば、元の土地に戻ることができるのであろう。したがって、仮設の役所の存在は今回に限った、きわめて特殊な現象と期待することができるのかもしれない。しかし、原発事故で発生した状態がいつまで続くかはわからないとすれば、問題は一時的ではありえない。また、東京のような人口過密な地域において、地震と津波を一時的な避難で対応できるのかどうかも不明である。それゆえに、行政法学者のなかには、想定外の事態に法制度的に対応しなければならないのではないかと問題提起をする者もいる。
空間を越えた地方自治体の登場は、かつてない難問を、公共政策に突きつけている。