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書斎の窓

巻頭のことば

経済学とその周辺

第3回 行動経済学の流れ

武蔵野大学経済学部教授 奥野正寛〔Okuno-Fujiwara Masahiro〕

 一昔前までの経済学が考える人間像は、「利己的で自分のことしか考えず、しかも超合理的に行動する」というものだった。つまり人間とは、感情を無視し、冷徹に自分のことだけを考え、状況を考え抜いて最適な行動をとる存在だ、と仮定していたのである。

 そんな人間像は現実の人間を適切に表していない、という疑問や反論は、経済学内部にも多かったが、主流派の反論は次のようなものだった。「人間が感情的にあるいは非合理的に行動するなら、具体的にどんな行動をとるというのか。それが判らないのなら、利己的に合理的に行動すると考えて理論を作り、それが現実をうまく説明できるかどうかで判断すれば良いではないか? 事実、そうして作られた経済理論は、現実をうまく説明している」と。

 このような考え方が崩壊し始めた原因の1つが、実験経済学と行動経済学の発展である。例として、独裁者ゲームの実験を考えてみよう。いま被験者を集め、お互いに相手が誰かわからないように2人ずつのペアにする。各ペアの片方を提案者、もう片方を受領者と呼ぼう。実験をする人は、各ペアの提案者に例えば1,000円を与え、それを提案者が自由に自分と受領者で分け合うことを許し、具体的にどのような分配が行われるかを調べることが実験の趣旨である。

 お互いに相手が誰だかわからない匿名社会なので、経済学の伝統的な人間像が正しいなら、提案者は全額を自分が取り、受領者には1円も与えないはずである。しかし実際にこの実験を行うとほとんどの場合、提案者は受け取った1,000円の内、300円程度を受領者に与える。このことは明らかに、人間は利己的ではないことを示している。

 独裁者ゲームをもう少し複雑にしたのが、最後通牒ゲームである。最後通牒ゲームでも提案者と受領者のペアを作り、提案者に1,000円を与える。提案者はそれを受領者とどう分けるかを決め、分け方を受領者に通知する。独裁者ゲームとの違いは、ここから後である。1,000円の分け方を知らされた受領者は、それを受諾するか、拒否するかを選択できる。受諾した場合、1,000円は提案者の提案通りに分けられ、双方に対応額が与えられる。しかし受領者が拒否した場合、与えられるはずだった1,000円は取り上げられ、提案者・受領者どちらも1銭も受け取れない。これが最後通牒ゲームである。

 伝統的経済学の人間像から考えると、提案者が1円でも受領者に与えると言えば、受領者はそれを拒否して何も得られないよりはましだと考え、提案を受諾するはずである。提案者がそれを見通せば、受領者には1円だけ与えて、提案者は999円を自分が受け取るという分け方を提案するはずである。

 最後通牒ゲームの実験が大きな関心を集めたのは、各国で行われた様々な実験結果は常に、提案者が提案するのは、1,000円をほぼ500円ずつ分け合おうという提案だと分かったからである。しかもそのような提案を行う理由は、提案者が1,000円の6割以上を取ってしまうような提案に対して、受領者が拒否するからだということが明らかになったからである。つまり、受領者は提案を受諾して400円貰うより、拒否して零円しか貰えない状態を選択するのである。

 この結果を説明する最も有力な理論は、人間は公平を重視し、しかも他者に対する羨望や妬みも持っているという仮説である。いま、与えられた1,000円を提案者と受領者が分け合う公平な割合が社会で共有されているとしよう。例えばその割合を、ある社会では5割ずつだと意識されているとする。このとき、提案者が5割を超えて受け取る分配を提案すれば、受領者は提案者に羨望を感じる。羨望感が十分に大きければ、受領者は提案者への5割を超えた分配を受け入れるより、公平を優先してお互いが零円しか貰えない方がまだましだ、と思うだろう。

 このため、提案者が1,000円の5割を超えて受け取るような分配は、受領者に拒否される。それを見通せば、提案者も諦めて最初から1,000円を等分する分配を提案せざるを得ない。こう考えれば、実験結果はうまく説明できることになる。

 このように最近の経済学では、実験を使いつつ、公平や羨望といった心理的な要因をも取り入れた行動経済学が大きな流れに成長している。

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