連載
中央大学名誉教授 中村達也〔Nakamura Tatsuya〕
『モモ』
世界中でミヒャエル・エンデの作品が最も広く読まれている国が、ドイツと並んでこの日本ではあるまいか。邦訳全集版が出ているし、遺品や原稿など関連資料の大部分が、長野県の信濃町黒姫童話館の「エンデ資料室」に収蔵されているという。そして、数多くある彼の作品の中でも、『はてしない物語』と並んで広く読まれてきた作品が『モモ』(M. Ende, Momo, 1973、大島かおり訳、岩波書店、1976年)である。邦訳出版以降、現在にいたるまで、根強い人気でロング・セラーとして読み継がれてきた。
主人公のモモは、円形劇場の廃墟に住む、年齢も素性もよく分からぬ浮浪児の女の子である。およそ現代のように管理の網の目が張りめぐらされている社会では、浮浪児が存在するなど異例のことだろう。つまりモモは、現代人がすでに失ってしまったさまざまな要素を豊かに具えた象徴的存在なのである。たとえば彼女は、相手の話にじっと聞き入ることによって、いつの間にかその人に自分自身を取り戻させるという不思議な能力を持っている。人々は、モモに語りかけているうちに、せせこましく生き急いでいる自分自身に、はっと気付かされるのである。
ところが、モモを取り巻く世界は、「灰色の男=時間泥棒」達に支配され始めている。人間らしく生きるための、ゆったりとした豊かな時間が次第に失われて、人々は「時間がない」「暇がない」とつぶやき始める。「良い暮らし」のためにと信じて、人々は、必死に時間を節約し、追い立てられるようにして働く。大人達だけではない。子供達までもが自由な遊びの時間を奪われて、「将来のためになる」勉強を強いられる。
例えば「時間泥棒」にまるめ込まれた床屋のフージーは、それまで手にしていた自由な時間を「時間貯蓄銀行」に預けてしまう。1人の客に1時間ほどかけていた散髪をたった15分で済まし、世間話など一切やめてしまう。年老いた母親といっしょに過ごす時間まで削り、挙げ句のはてに彼女を養老院に送りこんでしまう。さらには、寝る前に1日を振り返る習慣までをも捨てて、時間の節約にこれ努める。そのようにして節約された時間を「時間貯蓄銀行」に預ければ、彼が62歳になった時には、20年分の利子が累積して、彼がもともと持っていた時間の10倍以上の時間となって戻ってくるというのだ。
かくして、彼の稼ぎ高は増え、広く立派な家に住むことができるようにはなったものの、仕事はいっこうに面白くはなく、まったくのお義理でするものとなってしまった。不機嫌で怒りっぽくなり、いかにもくたびれ果てた様子である。彼だけではない。町中の大人達もがせかせかと時間に追われる生活に巻き込まれ、子供達までもが勉強に追われ生気のない顔つきになってしまった。事態の異常さに気付いたモモの友人の道路掃除夫ペッポは、狂人扱いをされて精神病院へと送りこまれる始末である。
その時、この世の時間の支配者マイスター・ホラが遣わした亀のカシオペイアがモモのところにやってくる。カシオペイアに導かれてマイスター・ホラのもとにたどり着いたモモは、人々から奪われた時間を「時間泥棒」から取り戻すための知恵を授かり、命懸けの危険な闘いをどうにかくぐり抜けて、ゆったりと人間らしく豊かな時間を人々に取りもどすことに成功する。
日本版「時間貯蓄銀行」
日本で『モモ』が広く関心を呼んだのは、決して偶然のことではあるまい。すでに検討したように、過労死にもつながる程の長時間労働で自由時間が失われ、定年退職を機に突如として長い「余生」を迎えるというライフ・スタイルに、多くの人々が違和感を抱いてきたのではなかろうか。近年になって、ようやくワーク・ライフ・バランスが議論されるようにはなったものの、事態はさして変わってはいない。戦後日本の経済成長は、実は、「時間貯蓄銀行」に預けられた自由時間を代償にして実現されたのかもしれない。
【図1】のように、生涯全体をLで表し、そのLを就学期であるℓ1、就労期であるℓ2、そして退職後の老年期ℓ3に分けてみることにしよう。ごく平均的な日本の男性にとって、生涯全体Lは、何はともあれ就労期ℓ2を中心に位置づけられてきた。すなわち、固有のℓ1があるのではなく、いわばℓ2の準備期間としてのℓ1、固有のℓ3があるのではなく、いわばℓ2が終わった残りの期間=「余生」としてのℓ3であった。そしてℓ2においては、生涯の生活保障を会社から与えられるのと引き替えに、「良き会社人」として長時間労働をも厭わず働き続ける。いわば、自由時間を会社という「時間貯蓄銀行」に預けて半生を過ごす。一方、ℓ1においては、「良い会社」に入るためのワン・ステップとしての「良い学校」に進学すべく、「良き受験生」として過ごす。そして、「時間貯蓄銀行」に預けられた自由時間が、退職後になっていわば利子が付いた形の「余生」となって戻ってくる。
一方、ごく平均的な日本の女性にとっては、「良き会社人」たる夫に対しては良き妻として、「良き受験生」に対しては賢い母として、つまりは「良妻賢母」としての生活規範が重くのしかかっていた。そうした生活のあり方が、大きく変わろうとしている。「時間貯蓄銀行」に預けられた自由な時間を、ℓ1およびℓ2においてどう取り戻すのか。そして、これまでの「余生」とは異なる意味を持つものとしてのℓ3を、どう創り出してゆくのかが問われている。
以上は、いわば日本版「時間貯蓄銀行」の読み解きであるが、次に取り上げるのは、現実の制度として機能しているドイツ版「時間貯蓄銀行」である。
ドイツ版「時間貯蓄銀行」
ドイツは、オランダに次いで労働時間の短い国として知られる(連載第10回)。この国における労働時間は、基本的には労使間における労働協約によって決められる。企業横断的な産業別の労働協約によって労働時間が決められ、その短縮化が進められてきた。例えば金属産業においては、1995年の労働協約によって、「週35時間労働」が実現することとなった。しかし、経済のグローバル化に伴う競争圧力が強まる中で、使用者側からは、労働時間の柔軟化・延長を求める動きが出始めるようになった。一方、労働者側は、リストラを回避し雇用が保障されることと引き替えに、使用者側の要求を一定程度受け容れる動きを見せるようになった。そうしたいわば労使妥協の産物として形成されたのが、以下で述べる「労働時間貯蓄制度」であり、1990年代末以降、次第に拡がりを見せるようになった(天瀬光二「ドイツの『労働時間貯蓄制度』――新たなモデルの行方」『Business Labor Trend』2008. 8、田中洋子「労働・時間・家族のあり方を考え直す」広井良典編著『「環境と福祉」の統合――持続可能な社会の実現に向けて』有斐閣、2008年、所収、を参照)。
その内容は、(1)労働時間は労働協約によって決められる。(2)しかし、1日の労働時間あるいは1週間の労働時間は、一定の期間で変動させることができる。そして、その一定の期間は、産業ごと、企業ごと、事業所ごとに異なる。(3)その一定の期間における平均値として、労働協約による労働時間が達成される。(4)所定労働時間を超えて労働した場合には、その超過労働時間分がポイントとして「労働時間貯蓄口座」に蓄積される。(5)口座に蓄積された労働時間のポイントは、一定の期間において、有給休暇として利用することができる。例えば、サバティカル、学習、地域活動、ケア活動、等々のために。さらには、早期の退職につなげることもできる。(6)口座に蓄積された時間のポイントは、有給休暇としてではなく、特別手当やボーナスの形で支払われる場合もある。(7)一定の期間を超えて口座のポイントが精算されない場合には、蓄積されたポイントは効力が失われたり、企業が倒産した場合には、口座が保護されない場合もある。
以上のような「労働時間貯蓄制度」を利用しているのは、企業数では全体の3分の2以上、労働力人口では全体の2分の1以上に達する。企業側は、この制度によってさまざまなメリットを享受することができるようになった。すなわち、景気変動に伴う労働需要の変動に対して、雇用労働者数の変更(解雇・新規雇用)によってではなく、雇用労働者数を維持したままでの労働時間の増減によって対応することができるようになった。そのため、解雇や新規雇用に伴う様々なコストを節約できるようになったし、熟練労働者を確保し生産性の水準を維持したままで市場状況の変化に対応できるようになった。また残業の手続きや追加的な手当の必要なしに労働時間の延長ができるようになった。一方、労働者側は、口座に蓄積されたポイントを活用することによって、必要な時期に、適宜、有給休暇を取ることによって、企業外での様々な活動に参加したり、ワーク・ライフ・バランスを回復する途が開かれることとなった。
もちろん、よいことづくめというわけではない。労働者が、蓄積されたポイントを休暇として利用するためには、使用者側や同僚との間で調整が必要となるし、その調整が必ずしもスムーズに行われるという保障はなく、労働者間での不均衡が生じる可能性もあろう。また、労働時間の増減が使用者側の都合を優先して行われるならば、労働者の時間主権が損なわれてしまう可能性もあろう。しかし、F・バウアー等の調査によれば、労働者の大多数は、この制度に対して概ね肯定的な評価をしているようである(天瀬、前掲論文)。
ところで、【図2】で示されているように、リーマン・ショック後の世界不況の中で、オランダを初め他の先進諸国の失業率が上昇している中にあって、ドイツは比較的低い失業率を維持している。これは、固定的な労働時間を前提に、労働需要の減少を解雇=失業という形によってではなく、雇用を維持したままでの労働時間の減少によって対処していることの反映でもある。ドイツの「労働時間貯蓄制度」は、前回検討したオランダの「生涯時間貯蓄制度」と共に、ありうべき1つの可能性を示唆しているといえそうである。ちなみに、オランダの「生涯時間貯蓄制度」は、休暇中の生活費をまかなうための「金額」を口座に貯蓄する制度であったのに対して、ドイツの「労働時間貯蓄制度」は、休暇を取得するための「時間」を口座に貯蓄する制度なのである。