連載
第2回 仲裁手続のハイライト
早稲田大学社会科学部教授 福永有夏〔Fukunaga Yuka〕
この連載では、ハーグの平和宮を本拠地とする常設仲裁裁判所(PCA)において法務官補佐として勤務していた経験をもとに、投資仲裁をはじめとする国際仲裁の舞台裏を紹介している。
今号では、仲裁手続の中でもハイライトと言える口頭審理について紹介したい。
ランチもカスタマイズ
そもそも口頭審理で何が行われるかと言えば、紛争当事者の代理人による弁論が繰り広げられるほか、鑑定人や証人に対する尋問が行われる。短いものでは1日から数日、長いものでは数週間程度続けられることもある。
前回の連載では、紛争当事者が自分たちに都合の良いよう手続を「カスタマイズ(最適化)」できるのが仲裁の特徴だと紹介したが、口頭審理についても例外ではない。
たとえば、口頭審理は通常は一般に公開されないのだが、紛争当事者が合意する場合には一般市民の傍聴が認められ得る。仲裁は、本来手続の秘密性が特徴の1つであるのだが、特に投資仲裁は、市民の生活に直結する問題を扱っているなどの理由で、市民にも「見える」手続にすべきと主張されてきた。近年の傾向は、こうした主張を踏まえた透明性の改善として評価できる。ただし、口頭審理を公開しても、肝心の傍聴人はほとんど集まらないのが実情である。ドラマの法廷シーンと異なり実際の口頭審理は淡々と進むことが多いので、よほどの物好きでない限りわざわざ傍聴しようと思わないのはやむを得ないであろう。
また、口頭審理を開催する場所も、紛争当事者が合意によってある程度自由に定めることができる。PCAの扱う仲裁の口頭審理も、ロンドンやパリなど、ハーグ以外の都市で開かれることが少なくない。最近では、シンガポールなどヨーロッパ以外の都市で口頭審理が開かれることもあるが、残念ながら日本の都市が選ばれることはほとんどないようだ。日本の都市は、仲裁口頭審理の場所として選ばれるための魅力を欠いていると言わざるを得ない。
カスタマイズできるのは、ランチも例外ではない。口頭審理がPCAの本拠地である平和宮で開かれる場合には、基本的には平和宮の食堂がランチを提供する。しかし、紛争当事者の要望に応じ、特別なランチが提供されることもある。たとえば、極めて高額の損害賠償が請求されていた事件の口頭審理では、ハーグ市内の高級レストランから特別なランチが毎日平和宮に運ばれていた。また別の事件では、口頭審理の期間中、平和宮の一角がスパイシーな香りでいっぱいになっていた。
仲裁のプロフェッショナルたち
口頭審理は、仲裁のプロフェッショナルたちが力を競い合う場とも言える。
中でも仲裁人たちは、口頭審理の場で様々な個性を見せてくれる。たとえば弁護士としても活躍するある仲裁人は、熱心に資料のページを手繰りながら弁論に聞き入り、代理人や証人たちに何度も厳しい質問を投げかけていた。他方で、必死に弁論する代理人を悠然と眺めるのみで、口頭審理期間中「特に質問はない」の一言しか発しなかったのではないかと思えるような仲裁人もいた。むろん、いずれの仲裁人も、並行して何件もの仲裁案件を抱える優秀な法律家であることに疑いはない。
紛争当事者の代理人は、米国や英国などの弁護士が務めることが多いが、投資仲裁では被申立人となった国(途上国の場合が多い)の弁護士が務めることもある。国際仲裁の面白いのは、たとえば一方の紛争当事者の代理人がアメリカ法の弁護士で、もう一方の紛争当事者の代理人がウズベキスタン法の弁護士、などということも起こり得ることだ。こうなると、同じ国際投資法について議論していても、双方の議論の組み立て方が全く異なり、うまくかみ合わなくなってしまうこともある。
仲裁のプロフェッショナルは、表舞台に立つ仲裁人や代理人ばかりではない。損害賠償額の算定を専門に行うような公認会計士や、ほとんど聞いたこともないような言語の通訳者など、仲裁は多くのプロフェッショナルの仕事によって成り立っている。
私にとって特に印象的だったのは、速記官の仕事ぶりである。速記官は、口頭審理における発言を逐一記録する。しかもその記録は、ライブノートと言われるソフトを通じて、仲裁人や代理人、そして事務局職員の前におかれたスクリーン上にリアルタイムで表示される。いわば「字幕付きの口頭審理」だが、スクリーンを少し操作すれば数時間前の発言を表示することもできるので、字幕よりすごい。たとえば、「ライブノートの何頁何行目に証人の○○という発言がありますが、これについて質問します」といったやりとりも可能になる。
1日の審理が終わって小1時間もすると、速記官はその日の速記録を仲裁人や代理人、事務局に送付してくれる。代理人たちは、徹夜を覚悟でその記録を読み込み、重要な発言を見つければ翌日の弁論でさっそく引用することになる。そして我々事務局も、徹夜を覚悟で同じ記録を読み込み、録音された音声と照らし合わせて誤りがないかをチェックするのだ。言うまでもなく、速記録に大きな誤りが見つかることはほとんどなかった。
仲裁の「素人」たち
口頭審理には、仲裁の「素人」たちが参加することもある。
たとえば口頭審理が一般に公開される場合には、一般市民が傍聴人としてやってくる可能性がある。ただし傍聴人は、口頭審理が行われている部屋に同席することは通常許されない。代わりに、傍聴人のために特別に設けられた別室で、同時中継される口頭審理の映像を観賞できるに過ぎない。先に、口頭審理を一般公開しても傍聴人が集まらないと書いたが、その背景にはこうした事情も多少は影響しているかもしれない。
他方で、投資仲裁で被申立人となっている国の政府関係者などが傍聴する場合には、口頭審理が行われている部屋に同席することも認められ得る。ある事件の口頭審理では、被申立人の代理人の後ろに、当該国の関係者が数十人も座っていた。大勢の当事者を真後ろに背負いながら弁論する代理人は、相当なプレッシャーを感じていたのではないかと思う。
仲裁の「素人」の中でも特に重要なのが、証人として手続に参加する者たちである。証人は、仲裁の「素人」ではあっても、紛争を解決する鍵を握っていることも多い。
ところで、口頭審理において私がしばしば務めた役割の1つが、証人の「付添い人」である。口頭審理では、1人の証人に対する尋問が何時間も、場合によっては何日も続けられる。尋問を行う代理人にとっても尋問を受ける証人にとっても大変なプロセスだ。当然、尋問の途中で休憩やランチなどが挟まれる。しかし、休憩中やランチ中に、代理人が証人に「入れ知恵」をしてしまうと、証人の証言の客観性が保たれない。そこで、証人が休憩中やランチ中に代理人と接触しないよう、事務局職員が証人に付き添うのである。
「付添い人」と言えども、証人と事件の話をするのは好ましくなかろう。私が証人に付き添う時は、なるべく当たり障りのない話をしてやり過ごすようにしていた。ただ証人の中には、厳しい尋問に辟易し、私に不満をぶちまける人もいた。そんな時は、日本人得意の「微笑み」で証人にひとときの癒しを提供するよう心がけていたのだが、効果のほどは定かでない。
黒子が報われるとき
最後に、口頭審理における我々事務局職員の役割を紹介しよう。
口頭審理の準備過程においては、紛争当事者の主張書面を読み込み関連資料を作成するなど、高度な法的素養が問われることも少なくないのだが、口頭審理において必要とされるのはむしろ運動能力だ。……審理の途中、仲裁人から「他の関連事件の資料が見たい」と耳打ちされて、PCAの資料室にダッシュする。「ところでこの条約の○○語訳はどうなっているの?」と聞かれて、自分のオフィスに駆け上がり、あわてて条約のデータベースを探る、などなど……。そうこうしているうちに、平和宮の階段を転げ落ちるという失態を犯してしまったので、どうやら私にはこちらの能力は備わっていないようだ。
とはいえ、仲裁人や代理人が口頭審理をスムーズに実施できるよう、黒子に徹してお手伝いすることが事務局の役割なので、それほど難しいことではない。ずいぶん楽しみにしていた口頭審理ではあったが、終わってみれば、学会や研究会を開催するのとあまり変わらない、というのが率直な感想だった。
口頭審理が終わった日には、仲裁人が事務局職員を招いてちょっとした労いのパーティーを開いてくれることもあった。そうした場所では、仲裁人の本音が聞けることも少なくなく、興味深かった。ある事件では、口頭審理が終わった後、仲裁人のみならず代理人や紛争当事者も入り混じってのディナー・パーティーが開かれた。少し前まで火花を散らしていたプロフェッショナルたちが、ワインを片手に談笑する姿を見るのは不思議な感覚であった。
口頭審理が終わって一段落すると、仲裁人は、数カ月かけて仲裁判断などの決定文書を起草していく。起草過程においても、事務局の補佐が求められることがある。事務局がどの程度補佐するかは、事件によって異なり、一概には言えない。
たとえば強い熱意と高い能力を兼ね備えたある同僚(Bさんと呼んでおこう)は、仲裁人からの信頼も厚く、Bさんが担当する事件においては自ずと事務局の役割も大きくなっていた。おかげで私も、Bさんとチームを組んだ事件においては、特にやりがいのある仕事を任せてもらうことができた。そのうえ、Bさんのお国柄か、Bさんと仕事をしていると、「You are a machine!」とか、「You rock!」とか、ちょっとしたことでも大げさにほめてくれるので、今度はどんな言葉でほめてくれるかと楽しみにしながら仕事をしていた。
ところで私のPCAでの任期は、本来は、Bさんとチームを組んだ事件の仲裁判断の起草過程の最中に満了することとなっていた。しかしBさんの口利きで、私は本来の任期が満了した後も、この事件に限って補佐を継続できることになった。私が平和宮を去って数カ月後、この事件の仲裁判断が発出されたときには、大きな達成感を得ることができた。残念ながらこの仲裁判断は公表されていないが、「喧嘩両成敗」とも言うべきバランスのとれた判断であった。