連載
中央大学名誉教授 中村達也〔Nakamura Tatsuya〕
はじめに
連載第2回目で取り上げたA・ゴルツは、「より少なく働き、より良く生きる」をスローガンに、年間1000時間労働、生涯40年間での4万時間労働を、将来展望として思い描いていた。ライフステージのそれぞれの時期に、適宜、長期休暇を挟みながら、労働を離れた自由な時空間の中での豊かさのあり方を模索していた。もちろん、この数字(労働時間)を実現している国はまだ存在しない。しかし、前回検討したように、先進諸国の中では、オランダの年間労働時間が1300時間台と最も短く、ゴルツ自身も生前(2007年死去)、オランダの動向に強い関心を寄せていた(A. Gorz, Métamorphoses du travail Quète du sens : Critique de la raison économique, 1988, Misères du présent : Richesse du Possible, 1997)。
とはいえそのオランダも、1970年の頃には、年間労働時間は1800時間台の水準にあった。その後しだいに減少して、2004年には1400時間を切って現在に至っている。果たして何があったのか。石油危機後の経済停滞と深刻な失業問題を抱えていたオランダで、1982年、「ワッセナー合意」と呼ばれる政労使間の注目すべき取り決めが成立した。労働側は賃上げ要求を断念し、使用者側はその見返りに雇用の保障と労働時間の短縮を進める。そして政府は、賃金抑制による生活水準の低下を補うための減税を実施する。3者がそれぞれに痛みを分かち合い、経済の停滞を乗り越え失業問題の解決に協力した。政労使の強力なリーダーシップの下に結ばれたこの合意が、その後のオランダの労働のありように、大きな影響を及ぼすこととなった。
かつてのオランダでは、スウェーデンなどのような夫婦ともにフルタイム労働の2名稼得者モデルとは異なり、フルタイム労働の男性と専業主婦の女性という1名稼得者モデルが一般的であった。しかし、労働時間が短縮化しパートタイム労働が拡がるにつれて、次第に女性の労働参加が進むこととなった。【図1】に示されているように、1960年代の頃には、子育て期の女性の労働力率はほぼ20%と、当時の日本と比べてもはるかに低い水準であったが、その後、しだいに労働力率は上昇し、現在では子育て期の女性の労働力率はほぼ80%台にまで達している。そして【図2】で示されているように、現時点でのオランダの女性全体の労働力率は、スウェーデンやデンマークと並んで高い水準にある。1人1人の労働時間が短く、より多くのメンバーが労働を分かち合うワーク・シェアリングによって低い失業率を実現し、夫婦でフルタイムとパートタイムを適宜組合せた、2人で1・5人分の所得を稼得する、いわゆる「オランダ・モデル」が定着するようになったのである。
図2 労働力率(%,15歳以上,2012年)
男女平均 |
男 |
女 |
|
日本 |
59.1 |
70.8 |
48.2 |
アメリカ |
63.7 |
70.2 |
57.7 |
イギリス |
62.7 |
69.1 |
56.5 |
フランス |
56.7 |
62.0 |
51.9 |
ドイツ |
60.1 |
66.4 |
54.1 |
オランダ |
65.2 |
71.1 |
59.5 |
デンマーク |
63.2 |
67.4 |
59.1 |
スウェーデン |
71.1 |
73.9 |
68.2 |
韓国 |
61.3 |
73.3 |
49.9 |
ここで、労働時間短縮化が進んだその背景を確認しておこう。1994年、ILOはパートタイム労働条約を採択し(第175号)、パートタイムとフルタイムの労働条件を平等にすることを確認した。そしてオランダはこの条約を批准(スウェーデン、フィンランド、イタリア等も批准。日本、イギリス、フランス、ドイツ、デンマーク、アメリカ等は未批准)。次いで、1997年、EUパートタイム労働指令が採択されて、EU加盟国はパートタイム労働をフルタイム労働と平等に取り扱うべきことが義務づけられた。世界的に、パートタイム労働の待遇改善へと舵が切られたのである。
国レベルでの試み(オランダ)
ところでオランダでは、EU指令に先立って1996年に、「労働時間差別禁止法」が制定された。これは、パートタイム労働であれフルタイム労働であれ、賃金や手当や休暇、福利厚生や職業訓練や企業年金など、労働条件の各領域において格差があってはならないことを定めたものである(【図3】参照)。いわばパートタイム労働者を短時間正社員として認めるものであり、その後のパートタイム労働の増加につながった。
図3 フルタイム労働者に対するパートタイム労働者の賃金水準(時給,%)
日本 |
56.8 |
2011年 |
アメリカ |
30.7 |
2011年 |
イギリス |
71.2 |
2011年 |
フランス |
89.1 |
2010年 |
ドイツ |
79.3 |
2010年 |
オランダ |
128.5 |
2010年 |
デンマーク |
81.1 |
2010年 |
スウェーデン |
83.1 |
2010年 |
さらに2000年には、「労働時間調整法」が制定された。これは、労働時間の長さを、働く側が自らの権利として選択できることを認めたものである。10名以上の労働者が勤務する事業所が対象で、1年以上の雇用関係にあること、この権利の行使は2年に1回までとする等の条件の下で、働く側が自らのライフステージやライフスタイルの違いに応じて、労働時間を短縮したり延長したりすることができるというものである。使用者側は、代替要員が確保できなかったり、労働時間延長に見合う仕事量がない等、明白な理由が存在しない限り、働く側の労働時間変更の要求を拒否することができない。
さらに注目すべきは、2006年からスタートした「ライフサイクル規定」と呼ばれる生涯時間貯蓄制度である。労使間での合意が前提であるが、働く側がライフステージのそれぞれの時期に、育児、介護ケア、研修、その他サバティカルの目的等で長期の休暇を取ることが可能となった。その際に、長期休暇中の生活費を確保するために、毎年の給与所得の中から12%を限度に、さらに生涯全体では210%を限度に貯蓄するための専用の口座を金融機関に開設する。例えば、2年間にわたって毎年所得の12%、合計24%を貯蓄すれば、1年の24%に相当する2ヶ月余りの休暇を取得することができる。最大の210%を貯蓄すれば、2年余りの休暇を取得できる計算となる。
その間の生活を支えるための所得がこの口座から毎月支給され、貯蓄残高に対しては非課税、給付される段階で所得税が課される。休暇取得回数に制限はなく、転職しても企業が倒産しても貯蓄残高は維持される(水島治郞『反転する福祉国家』岩波書店、2012年、参照)。もしもゴルツが存命であれば、きっとこの制度の動向に関心を寄せたにちがいない。
企業レベルでの試み(未来工業)
以上は、オランダという国レベルでの短時間労働の試みであるが、企業レベルでの試みとして、日本での実例を見ることにしよう。岐阜県安八郡輪之内町にある、電気設備資材・給排水設備・ガス設備資材の製造販売を業務とする中堅企業、未来工業株式会社である。1965年の創業、資本金70億6786万円、売上高250億7100万円、純資産407億8800万円、総資産498億3200万円、従業員782名(いずれも2013年3月期)。
この企業の特徴は、年間の休日数が多いこと、1日の労働時間が短いことにある。年末年始の休暇は約20日間、5月の連休を挟んで約10日間の休暇、そして夏期休暇が約10日間、さらに有給休暇を20日間と計算すれば、年間で約160日の休日となる。一方、1日の労働時間は、午前8時30分の始業、16時45分の終業、昼休みは12時から13時、そして残業は禁止。以上をもとに計算すると、年間の労働時間は1466時間ということになる。
オランダの年間労働時間よりは長いものの、日本の平均労働時間に比べれば、「毎勤」基準で年間約279時間ほど短く、「労調」基準では年間約457時間も短い(2012年)。さらに、育児休暇は最長で3年間、この間の給料は支払われないが、社会保険料は会社が負担する。日本全体では全雇用者の36・6%を非正規雇用者が占めている中で(2013年)、未来工業ではパートやアルバイトや派遣などの非正規社員はおらず、すべて正社員。定年は70歳で、60歳以降は賃金の上昇はないもののほぼ同水準を維持する。
果たして利益はあがっているのか、賃金水準はどうなのか興味をそそられるが、売上高経常利益率は、同業他社の大企業よりもかなり高く、賃金水準は岐阜県内企業の中ではトップクラスという。なぜ、このようなことが可能なのか。その秘密は、どうやら徹底した製品の差別化にありそうだ。これまで約2万点を越える製品を開発し、最近では毎年300〜500の新製品を開発、改良品を含めるとその数は年間約1000点にも達する。そして、取得した特許や実用新案などの知的財産権、工業所有権は4000件を超える。社内にはいたるところに「常に考える」というスローガンが掲示されていて、新製品作りに取り組んでいる。大手問屋ではなく工事業者と最も近い中小問屋300社と取引関係を結び、さらに工事現場に足を運んで製品を使う側に立った製品開発につなげる。
同業他社にはないような一工夫ある製品、アイデア商品が生まれる理由の1つが、この企業の提案制度にある。新製品の提案は、年間1万〜1万5000件、1人当たり年間約20件にも達する。すべての提案に対して提案料が支払われ、採用されると最高3万円の報奨金、200件以上の提案者には、さらに15万円がプラスされる。製品開発にあたっては、各部署の独立性と自発性を尊重するよう、上司への報告、連絡、相談(ホウ・レン・ソウ)を禁止。各部署に権限と責任を与えることによって、積極的な製品開発につながる自由な発想とアイデアが生まれやすい状況を作り出している。そして、現場部門が重視されていることを象徴するのが、総務・人事・経理など本社機能を担う部門の従業員数が少ないこと。各部署で必要な人材は人事部を通さずに各部署が直接に確保している(坂本光司『日本でいちばん大切にしたい会社2』あさ出版、2010年、山田昭男『ホウレンソウ禁止で1日7時間15分しか働かないから仕事が面白くなる』東洋経済新報社、2012年、参照)。
新しいアイデアにもとづく差別化された新製品を次々と生み出すのは、決して長時間労働によってではなく、仕事と生活がほどよくバランスがとれた(ワーク・ライフ・バランス)状況の中での、自由で柔軟な発想によるのであろう。この企業の経済的パーフォーマンスの良さは、短時間の労働と休日数の多さと無関係ではないにちがいない。そして同様のことは、マクロの国レベルでも言えるのではあるまいか。
小括
すでに前回検討したように、オランダは、先進諸国の中では最も労働時間の短い国である。そのオランダが、就業者1人当たりGDPで見た労働生産性においても、就業者1時間当たりGDPで見た労働生産性においても、いずれも世界のトップクラスに位置している。さらに労働時間だけでなく、パートタイムとフルタイムとの平等な扱い、有期雇用と無期雇用との平等な扱い、派遣社員と派遣先会社の社員との平等な扱いなど、総じてディーセント・ワークに向けた取り組みが進められている国の方が概して労働生産性が高いことも、前回すでに検討した。
情報化とサービス化とグローバル化が進み、経済社会が急速に変化する中でのありうべき労働を考えるために、国レベルでのオランダ、企業レベルでの未来工業は、今後とも十分検討に値する事例といえそうである。もちろん、オランダ経済にしても未来工業にしても、残された課題がないのではない。例えば未来工業の経営は、創業者であり現在は相談役の地位にある山田昭男氏のユニークなパーソナリティーに依存するところが大きいようであるが、そうした個人的特質を越えて組織をどう刷新しつつ持続可能なものとしてゆくのか。さらに、この企業の製品の主要な需要先である建設産業自体が、かつてほどの成長が見込めなくなっている中で、どのような企業展開を進めてゆくのか。
またオランダにしても、短時間労働とワーク・シェアリングによって低い失業率を維持してきたものの、リーマン・ショック後の世界不況を契機に、失業率が高まっている(【図4】参照)。オランダは、GDPの大きさでいえば日本のほぼ12・9%と小規模で(2012年)、そのGDPの67・3%に相当する額の輸出が経済の大きな支えとなっている(2011年、同年の日本のそれは14・0%)。世界経済の動向に影響される度合いが大きいのである。こうした問題にどう対処してゆくのか。また、労働時間の短縮化の下でパートタイムとフルタイムを組み合わせて、労働と生活がほど良いバランス(ワーク・ライフ・バランス)を確保することを目指すとしても、フルタイム労働の大部分を男性が担い、パートタイム労働の大部分を女性が担っているのが現実である。そして、上位の職種はフルタイム、下位の職種がパートタイムであることも多く、女性にとってのキャリア・アップの道が狭められているとの指摘もある。これは新しい形での男女間の不平等を固定化するものだとの批判(H・メース『パートタイム・フェミニズムよさらば!』[H.Mees,Weg met het deeltijdfeminisme!, 2007]、水島、前掲書)にどう答えるのか。課題はいくつも残されている。