連載
第1回 投資仲裁の舞台裏
早稲田大学社会科学部教授 福永有夏〔Fukunaga Yuka〕
はじめに
映画でもドラマでも、続編はつまらないと相場が決まっている。続編を観た観客は「前作の方が面白かった」と嘆息し、製作者は見通しの甘さを悔やむのだ。
この小稿は、「書斎の窓」2013年12月号に掲載させていただいた「平和宮の平和でない? 日々」の続編である。続編執筆という親切なご依頼を、一抹の不安を感じながらも引き受けさせていただいたのは、国際仲裁の世界を日本の皆さんにもっと知っていただきたいと思ったからだ。
続編と聞いて「前作を読んでいないぞ」と不安になった方のために、少しおさらいをしておこう。
著者は、2012年4月から約1年間、オランダはハーグの平和宮を本拠地とする常設仲裁裁判所(PCA)において法務官補佐として働く機会を得た。前作では、PCAが国際紛争を平和的に解決するという理想を掲げて1899年に設立されたこと、国際司法裁判所(ICJ)の本拠地として知られている平和宮がもともとはPCAのために建設されたこと、一時は世界からほとんど忘れ去られていたPCAが投資仲裁をはじめとする多数の国際仲裁を扱う機関として近年再び脚光を浴びていることなどを紹介した。
今号から3回にわたって連載させていただく小稿では、私の個人的体験も織り交ぜつつ、PCAの扱う投資仲裁の舞台裏を紹介する。
投資仲裁と「マフィア」
投資仲裁の舞台裏を紹介する前に、そもそも投資仲裁が何かを改めて説明しておく必要があろう。
投資仲裁は、外国投資家と投資受入国との投資紛争に関する仲裁である。たとえば日本企業(外国投資家)がある国(投資受入国)で原子力発電所を建設し、発電事業を始めたとする。ところがその国で政変がおこり、新しく成立した政府が日本企業の建設した発電所を国有化したとしよう。日本企業にとっては大変な損害だ。裁判に訴えようにも、外国企業の財産を勝手に国有化してしまうような国の裁判所は、まともな裁判をしてくれないかもしれない。そこで登場するのが、国際的な裁判手続である投資仲裁である。外国投資家は、投資受入国の裁判所の代わりに投資仲裁を使って投資受入国に損害賠償などを求めることができる。
仲裁というのは裁判手続の一種であるが、紛争当事者が手続を自由に定められるという点で一般的な裁判所とは異なる。「自由に定められる」と言っても、ゼロから手続を作るのは面倒だ。そこで、仲裁の基本的な手続を定めたテンプレート(雛型)とでも言うべきものがいくつか用意されている。紛争当事者は、まずは適当なテンプレートを選び、さらにそれをカスタマイズ(最適化)して自分たちに最も都合のよい仲裁手続を作っていくのだ。
したがって、投資仲裁もその他の仲裁も、最初のステップは仲裁の手続を定めることにある。最初に定められる手続的問題には、たとえば、仲裁の適用法や言語を何にするかといった重要なものから、紛争当事者の提出する書面はA5判でなければならないといった細かいことまで含まれる。そのほか、仲裁人(仲裁における裁判官のようなもの)に対する報酬額も手続の最初に定められる。
ところで他人の懐具合はどの世界でも気になるところだが、仲裁人の報酬は、時間単価でいえばおおむね5万円前後が相場である。意外と少ないと感じられるかもしれないが、たとえば自分のオフィスで関係書類を2時間ほど読めば、それだけで10万円である。また終日口頭審理を行う場合には、日当として一律50万円程度が支払われることもある。一概には言えないが、数件の投資仲裁で仲裁人を務めれば、都内の一等地にマンションが買えそうな報酬が支払われる。報酬を支払うのは、もちろん紛争当事者である。
ただしこれで驚くことなかれ。代理人(弁護士)に支払う報酬などを加えれば、紛争当事者の支払う仲裁関係費用の合計は数億円に上ることもある。仲裁人や仲裁に係わる弁護士などのことを「仲裁マフィア」と呼ぶことがあるが、仲裁が生み出す金額の大きさやその閉鎖的なありようを見れば、あながち誇張とは言えまい。投資仲裁が活性化して1番喜んでいるのは、保護されるはずの投資家ではなくて、多額の報酬を得ている仲裁人や弁護士なのかもしれない。
仲裁は踊る、されど進まず
PCAでの私の体験に話を進めていこう。
PCAでの勤務は、初めから順風満帆とはいかなかった。私と同時期にPCAに在籍していた法務官補佐の中には、赴任早々大きな仲裁案件を任される人もいた。特に、仲裁で使われている英語以外の言語を母国語とする人は、ずいぶん重宝されていた。
他方で私はといえば、仲裁の実務を経験しようと意気込んでやってきたにもかかわらず、なかなか大きな仕事を任せてもらえなかった。PCA自体が比較的暇な時期であったという事情もあるだろうが、日本からやってきた研究者に仲裁実務ができるのかという偏見もあったと思う。実際、ロースクールを終了し法曹資格を取得して間もない若い法務官補佐たちの中で、早稲田大学での教職を持ちすでに「アラフォー」となっていた私は異色の存在であった。
とはいえPCA赴任からひと月近くたち、ようやく2件の投資仲裁の案件を担当することが決まった。いずれも口頭審理が迫った案件で、チームを組んだ法務官とともに、口頭審理に向けた準備をすることとなった。
口頭審理に向けた準備とは具体的に何をするのか。口頭審理に向け、紛争当事者は主張書面を提出し、仲裁人は主張書面を読み込むことになるのだろうが、PCAのような仲裁事務局が果たす役割というのはなかなか表に出てこない。それだけセンシティブな問題であり、ここでも具体的に言及するのは控えたい。ただ、仲裁を料理に例えるならば、仲裁人が、紛争当事者の提出する主張書面という名の「材料」を料理して仲裁を行うところ、仲裁事務局は、「材料」を切りそろえ、場合によっては下ごしらえをして、仲裁人が料理をしやすいように整えるのが役目ということになろう。
さて、ここで信頼を得ればもっと仕事を任せてもらえるだろうとの期待を膨らませつつ、私はようやく任された2件の口頭審理に向けた準備に没頭することになった。ところが、2件のうちの1件は、ある時点で手続が先に進まなくなってしまった。
仲裁というのは、紛争当事者が手続を自由に定められるのが利点なのだが、その分紛争当事者の都合で手続が止まってしまうことも珍しくない。
手続が止まってしまう理由には様々なものがある。1つは、紛争当事者が和解に向けて話し合いを始めたという場合である。話し合いがまとまって和解が成立すれば、それで手続は終了するし、まとまらなければ手続が再開する。仲裁のそもそもの目的は紛争を解決することにあるので、紛争当事者が話し合う間手続を中断することには何の問題もない。
ところが困ってしまうのは、一方の紛争当事者が手続を進めたいと考えているのに、他方の紛争当事者の都合で手続が進まない場合である。たとえば一方の紛争当事者が、担当者が変わったとか書面の準備に必要な資料が集まらないとか様々な理由をつけて、なかなか主張書面を提出しないことがある。学生のレポートではないので、「提出期限を過ぎたから不可」と言うわけにもいかず、提出があるまで気長に待つしかない。
また、一方の紛争当事者がお金を支払わないために手続が進まないこともある。仲裁というのはなかなか世知辛い世界で、仲裁人や仲裁事務局の報酬や費用をあらかじめ予納金として収めないと、手続を進めてもらえない。手続中に費用がかさめば、追加の予納金が請求され、それが支払われるまでは手続が中断する。資金が潤沢な大企業であればよいが、そうでない紛争当事者の場合には、手続を進めるためあれやこれやと金策に走ることとなる。
私が最初に担当した案件のうちの1件は、様々な紆余曲折を経たのち、私がPCAを去る直前に、手続の終了が決定した。
いざ! ロンドン
最初に担当したもう一方の案件は、おおむね順調に進んだ。といっても、チームを組んだ法務官(Aさんと呼んでおこう)とは、意見がぶつかることもあった。先ほど仲裁を料理に例えたが、Aさんにも私にも「材料」の切り方にこだわりがあり、どちらもなかなか譲らなかったというところだ。今から思えば、大学教授でもある法務官補佐とチームを組むのは、Aさんにとってはあまり歓迎すべきことではなかったかもしれない。とはいえ議論したり時には打ち明け話をしたりしながら、少しずつ信頼関係を築いていった。
そして口頭審理が目前に迫ってきた。口頭審理は、いわば仲裁手続のハイライトである。それまでほとんどメールや電話で通信をしていた紛争当事者や仲裁人、そして事務局が一堂に会し、弁論や証人尋問などを行うのだ。
口頭審理は、事務局であるPCAからは法務官のみが出席することも少なくないが、口頭審理の出席者が多い場合などはチームを組んだ法務官補佐の出席が認められることもある。法務官補佐たちにとっては、口頭審理に出席することが目標の1つになっていた。
ところが私の担当していた案件の口頭審理は、ロンドンで開かれることとなっていた。PCAの扱う仲裁の口頭審理がハーグ以外の都市で開かれることはそれほど珍しいことではないが、その場合には費用の問題もあり、法務官のみが口頭審理に出席することになっていた。せっかく口頭審理の準備を手伝ったのに晴れ舞台に出られないのは残念だったが、やむを得ないとあきらめていた。
するとチームを組んでいたAさんは、PCAの事務総長と副事務総長に手紙を書き、私がこれまでこの案件の準備に貢献してきたこと、口頭審理で私の支援が必要であることを説き、私のロンドン行きを認めるよう説得してくれた。事務総長と副事務総長の許可が取れた後は、仲裁人や紛争当事者からも了解をとり、私は特例としてロンドンでの口頭審理に同席できることとなった。
同じころ、他の法務官たちからも少しずつ信頼を得、担当する案件も増えていった。もちろん私自身の努力によるところもあろうが、最初にチームを組んだAさんが信頼を寄せてくれ、それを行動で示してくれたことが大きかったと思う。どこの世界でも、結局重要なのは信頼関係なんだと痛感した。
口頭審理の様子については、次回の原稿で紹介することとしよう。