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連載

スポーツ法とEU法

第7回 個人・団体・EU(その2)

四天王寺大学経営学部講師 春名麻季〔Haruna Maki〕

団体に吸収される個人

 ヨーロッパ・サッカーは、欧州サッカー連盟(UEFA)の下に統轄される各国リーグでの日本人選手の活躍もあって、日本でも他のスポーツに勝るとも劣らない人気から、毎年のように日本人選手がヨーロッパのサッカークラブへ移籍するニュースが報道される。もちろん日本からヨーロッパへの移籍もあるが、ヨーロッパのクラブ間での移籍もニュースになるし、報道対象は日本人選手だけにとどまるものでもない。UEFAの下に統括される各国リーグに世界中から有名選手が集まっており、まさにそれがヨーロッパ・サッカーへの関心の高さの重要な要因の1つになっている。その点で、サッカーというスポーツは、人ならびに情報の国境を越える移動を可能にするものとして、様々な人間活動の中でも最もグローバル化の進んでいる領域の1つといえる。

 しかし、誰もが希望すればヨーロッパのクラブに移籍できるかというと、事態はそれほど単純ではない。選手は本人の意思のみでプロ選手としてヨーロッパのクラブに所属できるわけではない。プロ・スポーツの場合、単純に考えても自分を選手として契約してくれるクラブが存在しないことにはプロ選手としての活動をなし得ない。さらに、プロ選手としての選手契約が締結されたとしても、プロ・スポーツの競技そのものを統轄する上部機関としてのスポーツ団体(各国サッカー協会あるいは各国リーグ)によって契約したクラブがプロ・クラブとして承認されている必要がある。結局、プロ選手は、たとえ選手契約を締結できたとしても、その後の活動は契約したクラブとの関係で、さらには当該クラブを統轄する上部機関(さらにそれを統括する最上部の頂上機関〔UEFAあるいはFIFAなど〕)としてのスポーツ団体との関係で、二重あるいはさらに多重構造の仕組みの下で団体に吸収されることになる。そしてそこには、プロ・スポーツ団体の内部的自律権の行使として、選手個人を、所属クラブの、そしてクラブを構成メンバーとして形成されている上部機関の客体のように取り扱う可能性が隠されているといえる。

ボスマン判決とその効果

 クラブと選手個人の関係は、契約に基づく法律関係として各国の法秩序、私法秩序の規律対象といえる。しかし、サッカーのようにグローバル化と共に商業化が進むスポーツ活動は、そのスポーツ団体の自律的規制も国内問題にとどまらず、国境を越えた法的問題をも同時に引き起こすことになる。そのなかで、特にプロ・スポーツ選手たる個人を取引の客体のように取り扱い、その権利主体性を団体の内部的ルールによってほとんど否定するような様相を呈していた問題が、所属チーム移籍の際に発生する「移籍金(transfer-fee)」の支払いとそれに関連するプロ選手ライセンスの移譲ルール、未契約選手の出場停止というUEFAの規約に基づいて各国サッカー協会が定めていた選手の移籍規制であった。そして、この問題が、ヨーロッパ・サッカーとEU法の関係において最も有名な1995年12月15日の欧州司法裁判所のボスマン判決で取り上げられ、結論としては、UEFAの移籍規制は当時のEC条約による労働者の基本的自由を違法に制約するとの判断が下された。

 この判決の当事者であるジャン・マルク・ボスマン(Jean-Marc Bosman)は、サッカー選手としてよりもUEFAのルールに風穴を開けた人物として、ヨーロッパ・サッカー界では名前の知られた人物である。彼はベルギー人のプロサッカー選手で、ベルギーのRCリエージュからフランスの2部リーグのクラブに移籍しようとしていた(ボスマンとRCリエージュとの契約期間は満了し、彼とフランスのクラブとは契約合意に至っていた)。しかし、フランスのクラブからRCリエージュに移籍金が支払われず、そのためにRCリエージュはベルギー・サッカー協会にボスマンの選手ライセンスをフランスのクラブに移譲する申請を行わず、選手契約そのものが有効なものとはならなかった。結局、シーズン開始前にボスマンの契約が有効に成立しなかったために、ボスマンの当該シーズン出場資格が否定された(これらの規制はUEFAの規約に基づきベルギーおよびフランスのサッカー協会のルールとして定められていた)。ベルギーの国内裁判所は、このプロサッカー選手の移籍規制をめぐる問題の解決のためにはEU法の解釈とその適用が必要と判断し、欧州司法裁判所に事案が移送されたのであった。

 ボスマン判決の内容は、様々な文献(例えば、井上典之「スポーツ・個人・立憲国家」神戸49巻1号1頁以下参照)で取り上げられていることから詳細はそちらに譲るが、欧州司法裁判所は、ヨーロッパにおけるサッカーという競技の持つ特別の社会的意義からクラブ間での移籍規制の一定の正当な目的(競技結果に対する不確定性確保のためのクラブ間の対等性の維持、若年選手の確保とその教育のための配慮)の存在は認めるものの、移籍金の支払いやその不履行の結果としての重大な不利益を当該目的達成の手段としては不適切で不必要なものと判断した。そのために、UEFAのルールは改正され、現在、クラブとの選手契約終了後は、他のクラブ(もちろんUEFA加盟の各国リーグに所属するすべてのクラブ)との選手契約の締結も自由とされ、その際に旧クラブは新クラブに一切移籍金を要求することはできないとして、選手のクラブ間移籍の自由化がもたらされた。その結果、ヨーロッパ・サッカーの選手移動は活発化し、ボスマン判決後、いっきにヨーロッパの各国リーグは国際化・グローバル化していくことになったのであった。

労働者の移動の自由、それとも人間の尊厳?

 UEFAの規約によって定められていた「移籍金」の支払い要求による選手の移籍規制は、ボスマン判決によって一応、EU法の下での市民の基本的自由の1つである労働者の移動の自由の違法な制約として廃止されることになった。しかし、ヨーロッパでの選手移籍に関して報道されるように、UEFAの統轄下にあるサッカー・リーグでの選手のクラブ移籍には未だに「移籍金」が残存しているかのような印象が強い。これは一体何を意味するかについて、2つの点で検討する必要がある。

 現在、ヨーロッパ・サッカーにおいて移籍金といわれているのは、ボスマン判決で問題になった「移籍金(transfer-fee)」(選手契約満了後にも保有選手としてクラブにその選手のプロ・ライセンスが残る仕組みの下でのライセンス譲渡金のようなもの)ではなく、クラブと選手間で締結されている選手契約の譲渡金を意味する。多くの有力選手は、クラブと3年から5年と長期間の選手契約を締結する(場合によっては10年というものもある)。そして、その契約期間内に他のクラブへの移籍を希望する場合、移籍希望先のクラブに選手契約を譲渡する形で移籍が行われる。選手には移籍の障害を小さくするために長期契約を望まない者もいるが、クラブの側は、契約期間満了になると契約の譲渡金はもはや得られないために、契約期間満了前でも移籍希望先のクラブと交渉を行うことで譲渡金を得ようとして、選手の希望をかなえようとするようにもなっている。ただ、契約の譲渡という形式に変わっているとはいえ、実質的には選手個人をある種の商品のように扱うビジネス形態は、ヨーロッパ・サッカー界ではより強まっているような傾向を見せている。

 ボスマン判決以前の「移籍金」は、活躍場所の変更を希望する選手個人の利益を考慮したものではなく、選手を経済的な取引の客体として取り扱うような制度(現在の日本のプロ野球の保留選手制度のようなもの)の下でのスポーツ団体の自律的な内部的ルールと考えられていた。それと比較すれば、現在の選手契約の譲渡という形式での選手の移籍方法は、必ずしもクラブの経済的利益のみを追求する仕組みではなく、選手個人の希望を踏まえたものへと変化しているということはできる。しかし、たとえ選手の希望を考慮した上での移籍交渉をクラブが行うものであったとしても、当該選手を移籍先のクラブとの間で一種の商品と同じようなものとして取引の対象にし、そのうえで契約の譲渡金額を決めているとすれば、それは、移籍金から選手契約の譲渡金へと名目を変えたにすぎず、実質的には何も変わっていないのではないかという問題が残ることになる。

 この点は、ボスマン判決が、UEFAの移籍規制をEU法の下での労働者の移動の自由に対する制約の可否として取り扱っただけで、それを団体に吸収される個人の本質的な法的地位の問題としなかったこととも関係する。もちろんまだリスボン条約は締結されていなかったが、もしボスマン判決においてEUそのものの存立を基礎づける「人間の尊厳」の尊重という価値を考慮していれば、国家機関ではなく私的団体であるとはいえ、UEFAのようなスポーツ活動において一定の強制的権能を持つような団体が、人間を経済的取引の客体とするような制度を運営することの可否という観点から問題を検討することもできたのではないかと思われる。そして、そのように問題をとらえれば、選手という人間を経済的取引の客体としてしか取り扱わない権能を私的なものとはいえ一定の法主体(UEFAやその下にある各国サッカー協会や各国リーグの運営主体)に容認する制度は、欧州の法秩序の基礎に置かれ、EU基本権憲章やヨーロッパ人権条約で規定された「人間の尊厳」原理に対する重大な侵害と考えられたかもしれなかった。

文化的活動の担い手としてのプロ選手

 個人の人格発現として、才能や能力を自己の欲する場所で発揮してその対価を得、それによって生計を立てるということは、まさに個人の自由な経済的活動として保障される基本的人権の1つである。EUの機関である欧州司法裁判所のボスマン判決によるプロ・スポーツ選手のクラブ間移籍の自由化という現象は、まさにそのような選手個人の能力発揮の場がEUを中心にしたUEFA加盟国のサッカー・リーグ全体に広がるという効果をもたらした。この点で、現在のプロサッカー選手は、中世の傭兵のように、自己の才能と能力を発揮する活躍の場をヨーロッパ全域に広げているといえるのである。

 そのようなプロサッカー選手は、常に経済的活動の客体としてクラブの商品のような扱いを受けているわけではない。個々の選手が「オラがチーム」のメンバーとして受け入れられ、その意味で選手個人はクラブにおいて単なる経済的取引の対象としてではなく、クラブの顔そのものとしての扱いを受けるようにもなっている。それは、サッカーという事象が、単なる経済的活動としてではなく、ヨーロッパの一般市民社会におけるある種の重要な文化的活動としての側面を持っていることとも関係する。そして、サッカーのようなスポーツのグローバル化・商業化の進展は、スポーツ団体と個人の関係においても、どこまでが経済的活動としてEUの専属的権限に服し、どこまでが補完性の原理の働く文化的活動になるのかを常に考えることを必要とするものになっている。そのために、EU法の下では、個人・団体の関係を一面的にとらえるのではなく、状況に応じて複眼的に考察する必要性を常に意識しておくことが重要とされている。

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