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書斎の窓

巻頭のことば

職業としての大学教員

第10回(最終回) 「フル・モンティ」(全部脱ぎます!)

九州大学教授・副学長 野田進〔Noda Susumu〕

 雇用や労働問題に関する秀作が多いのは、なんといってもイギリス映画だろう。サッチャーリズム吹きすさぶ経済状況のなか、リストラされた中年男たちが一致団結して男性ストリップ興業を始める「フル・モンティ」(1997年)、炭鉱の閉山やストを背景に鉱夫たちのブラスバンドの活躍を描いた「ブラス!」(1996年)、最近では、労働者派遣や外国人不法就労問題を描いた「この自由な世界で」(2007年)など、いくつも思い浮かぶ。いずれも問題を深刻ぶるのではなく、かといって斜に構えるでもなく、程よいバランスで知的な共感を誘う、この国独特の語りのセンスがある。文学の伝統(アラン・シリトーなど)と関係があるかもしれない。

 これらの映画で共通しているのは、雇用から放逐されて、競争に駆り立てられる労働者たちであり、そうした状況から何とか脱却しようとする姿である。それは、文字通り裸一貫の(男性)ストリップ開業であったり、破綻寸前で奏でるブラスバンドの調べであったり、法違反すれすれの派遣会社の起業であったりする。彼ら・彼女らの未来に、光明は見えただろうか。

 「他人ごとではございません」ということを、申し上げたいのである。

 文科省が昨年11月26日に公表した、「国立大学改革プラン」は、ご存じの方が多いであろう。同プランは、大学の機能強化を図るべく、「自主的・自律的な改善・発展を促す仕組み」の1つとして、「人事・給与システムの弾力化」を推進する。具体的には、平成28年3月までの改革加速期間に、正規教員を「年俸制」の対象にすることとする。単に「お勧め」するというのではなく、これを大学への重点支援(傾斜配分)の条件とするという「半強制」である。こうして、国立大学では、正規雇用の教員の相当割合(研究大学では20%)を、年俸制の対象とすることを余儀なくされている。

 ここにいう年俸制とは、通常の用語法とは異なり、①65歳の定年退職時に支給されるであろう退職金を毎年の給与へ前払いし、かつ、②毎年度評価により業績給を支給するという賃金制度のことである。①によれば、65歳まで勤務しなければ得られない定年退職金を割合的に先取りできることになり、早期退職による雇用流動化が促進される。②によれば、競争的研究資金の獲得や勤務評価により業績給が支給されることになり、競争環境が促進される。つまりは、正規教員の流動化・競争促進システムの導入政策といえよう。

 こうした大学教員の雇用流動策は、いま規制改革会議の意向で推奨されている「限定正社員」構想と通じるものがある。日本の正社員は職種や勤務地が無限定である一方、事実上雇用を保障された特権的な地位にある。そこで、成長戦略の一環として、「人を動かす」ことが重要であるとし、職種や勤務地を限定した正社員を拡大しようとしている。限定正社員は、その職種等がなくなれば(またはその職種で成果が上がらなければ)解雇が可能となり、また均衡の範囲で多少の格差を設けることも認める。そういった構想である。

 国立大学法人の教員の場合、最初から職種も勤務地も限定されるから、こうした方法で流動化を促進することはできない。そこで着目されたのが、退職金前払いによる流動化促進ということなのであろう。年俸制教員は限定正社員の教員版であると、私は考える。

 国立大学は法人化から10年を経過し、グローバル化や研究の活性化の点でずいぶん様変わりしたように思う。それでも、文科省には運営費交付金を基礎とする人事・給与システムは公務員体質を引きずって活性化を妨げていると見えるようだ。しかし、その政策手法は、大学や教員をゴールのないレースに駆り立てるようなものではないか。

 年俸制の導入によって、労働契約上の紛争が生じるようなことがあってはならないのは当然である。そのために、これで経済的な不利益が生じないよう、各大学は慎重に制度設計をする必要がある。しかし、実は本当の問題はその先にあるのかもしれない。この制度の対象とされた教員には、ある種の覚悟が必要である。1つは、いわば雇用流動化の対象要員とされている事実を受け止めることである。または、さもなければ過去の業績にこだわらずさらなる業務実績に力を注ぐことである。「全部脱ぎます!」と言うべきか。

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