自著を語る
早稲田大学大学院法務研究科教授 大塚直〔Otsuka Tadashi〕
本年9月末に『環境法BASIC』という書物を上梓させていただいた。個人的な見解にすぎないが、執筆に当たって考えたことをいくつか記すことにしたい。
環境法の教科書は既に相当数に上っている。有斐閣から出されたものだけでも、阿部泰隆=淡路剛久編『環境法(第4版)』、交告尚史ほか『環境法入門(第2版)』(有斐閣アルマ)、南博方=大久保規子『要説・環境法(第4版)』、筆者の『環境法(第3版)』があるし、他社から出版されているものも少なくない。
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では、環境法全体を捉える書物を執筆するとき、どのような点が問題となるのだろうか。
第1に、環境法学は優れて政策的な学問であるため、その点を踏まえたものでなければならない。しかし、これは、実はかなり困難な問題である。環境法政策を論ずるには、その背景についての新規の情報を含む知識を有した上で判断することが必要であり、一面的な知識・背景に基づく議論は一見とっつきやすく見えるが、実際には採用できないこともあるからである。環境面から見れば最善の方策であっても、場合によっては、残念ながら「持続可能な発展」の観点から採用できないことも存在する。しかし、環境政策の決定に当たっては、様々な利害が対立する中でそれらを考慮しつつ、なお環境の価値を最大限尊重するための針の穴を通すような作業が期待されている。新しい提案をすること自体に大きな意味があるわけではなく、その実施可能性を考慮し、また、それを主張することの波及効果にも配慮する必要がある。さらにどのような環境政策をとるべきかについて見解の対立は当然ありうるものの、前提として、主要国の制度・政策の概要の理解が必要となる。
第2に、環境訴訟については、環境法に関する書物では必ず叙述しなければならないであろう。環境民事訴訟、環境行政訴訟の要点と具体的な裁判例の動向を記すことは重要な作業となる。もっとも、環境法実現のための手法には種々のものがあり、訴訟は法的に極めて重要なものであるが、他面、これも環境法の実現のためには、一手法にすぎないことも認識しておく必要がある。
先にあげた『環境法(第3版)』は、このような目標を目指し、格闘して執筆したつもりであった(未だ十分な結果は得られていないが)。その際、筆者がいくつかの審議会、研究会に出させていただき立法にも多少関与させていただいたところから、そこで得たり、自ら研究して得た情報のうち学問的に重要と思われる部分を公表し、社会に還元することも考えていた(筆者の恩師である星野英一先生が原子力損害賠償制度について法学協会雑誌に書かれていたことなどを1つの模範としていた)。今でもこの点は社会において一定の意義があると考えているが、他方、同書が版を重ねるたびに先端的な政策に関する記述が膨らんでいった結果、学生や院生からは直ちには興味がわかない叙述が増えてしまった嫌いはあった。
いわゆる「学生・院生向けの教科書」を書くことに対する批判的議論は今も残っていると思われる。私自身、これまでは、学生目線で執筆するよりも、環境法学や環境法政策の発展に重点を置いて執筆してきた傾向があるし、「『面白くて試験に役立つ』教科書」に対する批判(平井宜雄『教壇と研究室の間』v頁)も理解させていただいているつもりではある。ただ、他方で、学生・院生が時間が乏しい中で効果的・効率的な学習をすることは、環境法学の発展にとっても重要な課題である。何よりも現代人は時間がなくなっており、また、ともすればマニュアル化したものを求めるようになっている。それが良いことかどうかはともかくとして、ある程度は対応せざるを得ないのではないか。また、一般論はともかくとして、筆者としては、『環境法(第3版)』について「非常に多くのことが書かれているため、通読するのは難しい」と学生・院生に言われてしまい、――各箇所について特に興味がある場合に読む書物として一定の意義はあると思っているが――、他方で通読できる教科書も書かなければならないと考えた次第である。
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次に、環境法の体系書ではなく、学生や院生向けの教科書を著わすときにはどのような配慮をする必要があるだろうか。
本書は、この点に意を砕いたものとなった。本書の執筆に当たっては、私自身が司法試験を受験したときのことを思い出し、学生、院生に求められているものは何かを考え、また実際に聞いてみた。
それを踏まえて考えてみると、教科書の執筆に当たって重要な第1点は、論述の明快さではないか。結論の明快さとともに理由が付されていることが必要である。
第2は、環境法のエッセンスが漏れなくかつ簡潔に記述されることである。環境法のエッセンスとは何か。民法でもない行政法でもない環境法のエッセンスは何か。本書はこの点に配慮した書物になった。前述したように『環境法(第3版)』が環境政策の先端を目指したものであるのに対し、本書は国内環境法のエッセンスを記したものとなったと思われる。
第3は、論述の中でどこが特に重要かを明らかにすることである。アンダーラインを引いたのは、早稲田大学法科大学院出身で現在弁護士として活躍中の方の発案による。これについては最初は私自身かなり抵抗があったが、彼は自らの体験に基づきその重要性を指摘してくれた。どこにアンダーラインを引くかについてはそれなりに考えたつもりである。結果的に、重要点が示されることによってその周辺の記述との関係が立体的に理解できるという効果を発揮したように思われる。アンダーラインにこのような効果があることは意外であった。
第4に、学習の効率をあげるため、Qの方式をあちこちで用いた。短時間で学習することが必要な場合には、問題を設定しつつ、その解答となる結論が示されることが必要となろう。その意味で本書は、環境法学習の最初に読むことを想定しているとともに、学習をした後、復習をする際にもQについて自学自習ができることを考えている。
第5に、学説上見解が分かれる点については、その見解を主張している論者の名前を記した。教科書の性格上、文献を掲載することは差し控えたが、文献の多くについては『環境法(第3版)』にあげられている。論者の名前を記すことは、読者が学説の理解をする上で非常に重要であるし、先人に対する礼儀と今後の環境法学の継続的な発展のためには必須であろう。本書のはしがきにも書いたが、環境法学は様々な対立の中で先人が切り開いてきたものであり、現在の研究者はそれを認識しつつ、それにいくつかのものを積み上げることに努力を傾注すべきであると考えられる。
なお、本書のはしがきにも書いたように、本書は『環境法(第3版)』のダイジェスト版ではないと言って差し支えないと思う。確かに、同じ筆者が書いているのだから考え方は基本的に同様であるし、目次も類似しているが、上記のような教育的配慮から特に明快な叙述を心がけたし、学習上の理解が容易になるように配慮した。そのため、叙述の仕方がかなり変わったところも少なくない。さらに、訴訟については、『環境法(第3版)』よりもかなり増量したし(第11章)、第11章まででは扱わなかった各分野の訴訟について新たに第12章を設けた。また、当然のことながら同書が出版された2010年よりもアップ・ツー・デートなものとなっている。
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本書の執筆は筆者にとっては、環境法における教育的配慮について考える契機となったとともに、環境法上の問題の核心がどこにあるかを考える機縁ともなった。環境政策の最前線について論じる場合には、ともすれば全体の議論の中の枝葉に目を奪われることも少なくない(そして、最前線の政策においては、枝葉の部分についても決着をつけることが必要な場合が多い)。もちろん問題によっては何が核心で何が枝葉か自体が争われることもあるが、何が問題の核心かに配慮した議論の仕方をすることは環境法学にとっても――まして環境法の教育上は――極めて重要であろう。