巻頭のことば
第9回 学生の卒業と教員
九州大学教授・副学長 野田進〔Noda Susumu〕
卒業シーズンが近づくが、卒業といえば、ご存じニューシネマの代表作、『卒業』(1967年、マイク・ニコルズ監督)である。大学を成績優秀で卒業したのだが、これから何をして生きていけばよいのか分からない。そんな青年が、実にややこしい経緯の中で恋にめざめ、伴侶と自分の生きる道を獲得していく。それは若者の大人社会に対する闘争、あるいは社会の中の自己確認の行為であり、そうした過程を経てこそ、真の意味の「卒業」となることを示唆している。
ところで、私が若い頃にこの映画を観て感心したのは、主人公ベンジャミンが就職活動をするのが学生時代ではなく卒業した後であり、大学を離れて帰郷した際の祝賀パーティーなどで、大人たちが彼にあれこれ仕事探しのアドバイスをしているシーンであった。日本では、ありえないことである。
日本の新卒採用のシステムには、①4月いっせい採用であり、②人事部一括採用であり、③卒業と就職との間に1日の隙間もないという強固な原則がある(このために秋入学・秋卒業は困難となる)。こうした方式は、卒業しても無業となる若者を極力生み出さないようにするシステムとしては機能してきた。しかし、このために日本の若者は、映画『卒業』とは逆に、卒業してないのに就職を意識し、就活せざるをえない。働くことの意味を十分に自覚せず、業界や企業の知識も生半可のままに、職探しに駆り立てられる学生を見ていると、気の毒でならない。実際には、新卒無業にはならないとしても、数年後に離職する比率は高いのである。平成23年3月の新規大卒者の卒業後3年目離職率は、31.0%にのぼる(厚労省調べ)。
こうした中、周知のように、経団連は採用活動の見直しを図り、学生の就職活動を「後ろ倒し」することにして、就職活動の解禁時期を3年生の3月に、選考開始の時期を4年生の8月に繰り下げることを決定した。この新方式は2015年卒業学生(現在の2年生)の就職活動から適用される。この改革は、学生が就職活動に振り回される時期が短縮される点で、適切であるように見える。しかし、実際には、一部の企業や熱心な学生は、3年生の夏休みのインターンシップでコネを付けて内々定をするであろうとも予想されており、むしろ就活前倒し効果が生じるとの指摘もある。
教員にとってはどうだろうか。卒業の前に就職活動をする現実からすれば、大学の教員が学生の就職に関わることが多くなるはずである。年度末が近づくと、学生の卒業と就職を控えて、教員としても仕事の節目という感じを強く受ける。私の場合は、ゼミナールで1年間ないし2年間つき合ってきた学生が、長い就活の末に就職先を見つけて卒業を迎えると、ある種の達成感がある。
ところが、大学の教員が、学生の就職活動にいかなる関わりを持つかは、学部や教員によってずいぶん温度差があるようだ。私の見るところ、一般に人文社会科学系学部の教員は、学生の就職活動や就職先に関心が低いように見える。理系学部であるならば、教員は企業との研究連携も多く、それに関連して学生の就職先が決まることも多いであろうが、文系はそうはいかない。いきおい、学生のキャリアサポートのような仕事は、大学事務の就職支援のセクションか一部の(物好きな?)教員に任せてしまい、自分は知らんぷりを決め込んでいる人も多いようである。
米語のcommencementには、大学の卒業式(学位授与式)の意味があるようだ。人は卒業して職業を得ることでまさしく新しい人生を開始するのであり、就職とは人の第2の誕生を意味する。加えて、グローバル人材の育成は大学に課された使命であり、しかも在学中にそれを実現するのが日本の方式である。とすれば、学生の就職活動に大学の教員が何ら関与しないのは、仕事の上でとても大事なことを疎かにしているように思えてならない。大学教員こそが、グローバル職業人であるのだから。