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佐々木 聡[著]『日本的流通の経営史』<2007年11月刊>(評者:東京大学 大東英祐名誉教授)=『書斎の窓』2008年7・8月号に掲載= 更新日:2008年11月17日


 本書は明治期から1960年代までの石鹸・洗剤・化粧品・歯磨の流通チャネルの変遷を経営史の観点に立って実証的に検討した労作である。洗剤や歯磨きは,いわゆる“最寄品”で,多くの消費者はこれらの商品の買置きはしない。当面の必要量を“最寄”の店で“当用買い”することが多い。このような購買習慣を前提とすると,メーカーにとっては消費者の“最寄”の店に,常に過不足なく自社製品を配荷しておくことが重要である。このような状態を全国的な規模で実現するには,高度な情報の収集・処理能力と物流・商流のネットワークが必要なことは,容易に推測することができる。現代のトイレタリー業界の大企業は,それぞれ方式で,そのような流通チャネルを展開している。本書では,明治期から現代の姿が出現する直前までの,流通チャネルの変遷が丹念なファクトファインディングの積み重ねによって明らかにされている。
 本書の特徴は,これまで「メーカーの流通戦略やマーケティング戦略の受け手として,没個性的に位置づけられてきた」傾向のある「卸店による経営の主体的な営み」を重視していることにある。このような視点は戦中・戦後の統制経済の時代の分析においても貫かれている。統制経済の時代の流通問題については経営史的な研究の蓄積がきわめて乏しかった。著者によって,その空白を相当程度まで埋められたのであり,その結果,明治期から戦後の高度成長期までという長期間の歴史的な変遷が一貫してたどれるようになった。その意味で,本書はトイレタリー業界の流通史の研究を大きく前進させたということができる。


 本書では序章と終章の間に,各時代を扱う8章を配置されている。次にまず,本書から読み取れる時代区分に従って,この業界の流通制度の変遷を大まかに紹介する。
 〈「宿せり」〉 化粧品・石鹸・歯磨き業界の流通制度として,もっとも初期的な制度は,明治中期(1890年代)まで行われていた「宿せり」であった。当時,これらの商品を扱ったのは,東京の日本橋や大阪の久宝寺町の伝統的な小間物の卸売商であり,地方から商品の仕入れにきた商人が泊まっている宿に問屋の番頭が見本を持参して出向いて注文をとるか,あるいは地方商人が卸売商をたずねて商談をまとめるという方式である。
 日本橋馬喰町で洋小物の輸入・販売の卸・小売商として,1887年に創業した長瀬商店(現在の花王)は,当初はこのような「宿せり」を基礎に地方問屋との取引を拡充していった。
 〈メーカーの地方進出〉 「宿せり」は,鉄道・通信システムの発展に伴って取引関係の広域化が可能になると,その役割を終えた。長瀬商店は1889年に委託製造の長瀬留型石鹸を発売し,翌90年には委託先の工場を専属化して自社ブランドの花王石鹸の製造に進出した。同様に,小林富次郎商店は九六年に「ライオン歯磨」を発売して,各地に代理店を設定して販路の拡大に努めはじめている。
 このように長瀬商店も小林商店でも,1890年代以降,積極的に全国各地の地方問屋との継続的な取引関係を持つようになったが,有力な卸商には広域的な商圏で活動し,傘下に多数の二次卸商と小売店を持つものが少なくなかった。彼らは花王とライオンの両方と取引関係を持つことで独自の品揃えを行っていた。また,有力な卸売店に奉公した後に独立開業し,後に業界のリーダーとして活躍した例も相当数が確認できる。このような卸売商の活動もあって,1920年代のトイレタリー業界の有力企業は,不安定な経済環境にもかかわらず,全国的な規模で流通チャネルを通じて売上を伸ばすことができたのである。
 長瀬や小林は流通チャネルの構築と並行して,「花王石鹸」や「ライオン歯磨」について,大規模な宣伝により,「ブランド」イメージの確立に力を注いだ。やがて両社の製品は,消費者の意識の中で,無銘品と明確に区別されるようになった。その結果,売上は増加したが,同時に大きな問題が派生してきた。「ブランド品」を「おとり」として廉価販売することで集客する小売店が現れ,しばしば末端価格の値崩れが起こったのである。
 〈1930年代の動向〉 「おとり廉売」に起因する末端価格の乱れの防止対策を契機として,1930年代に流通チャネルに新しい動きが出現した。メーカーは卸売商に協力を求め,直販制を試みた。1927年にライオンでは,乱売防止のために,地域別に卸売業者の団体=「ライオン会」を組織し,卸売り段階の価格協定を締結した。31年には,値下げと共に小売価格まで指定し,リベート制度などの取引制度を設けて,卸売り店の協力を求めたのである。「販社」の形に組織した先駆的なケースとされる資生堂のチャネル政策も,「おとり廉売」に伴う末端価格の値崩れ防止への対応策であった。
 花王では二代長瀬富郎のもとで,1930年の新装花王の発売と共に,流通チャネルと取引制度の刷新を図った。広い商圏と多次元的な取引関係を持つ有力な卸商が介在するため,本舗の意思は末端の小売店にまで浸透せず,正確な市場の動向を伝える情報が得られない。長瀬は乱売を止められない根源的な理由はここにあると判断し,チャネルリーダーとしての地位を確立することを目指したのである。広域的な商圏を持つ広域問屋のテリトリーを縮小・整理し,建値を明確化してブランド内競争を抑えようとしたのである。
 〈戦時統制〉 石鹸の統制は1939年の価格統制からはじまった。値崩れに悩んできた業界の一部には,価格統制を歓迎する向きもあったが,市場の動きに人為的な規制を加えると,それを回避しようとする動きや想定外の問題が生ずる。この場合も,原料価格の上昇による公定価格の維持の困難化,配給の都市部への集中などの問題が生じた。その是正のために,メーカー,流通業者,商工省の間でさまざまな協議が行われ,42年7月に,石鹸の製造と元卸業務を担う「日本石鹸配給統制株式会社」が設立された。府県のレベルでは,卸売商業組合が統制組合として認定され,「統制会社」の下部機構の役割を担うこととなった。「統制会社」では製造業者の優位に立ち,府県段階の配給機能は統制組合が担うこととなり,石鹸の配給はまったく卸問屋の手を離れたのである。
 〈戦後統制〉 敗戦直後の数年間は,戦時中の組織を再編成され,新たな公定価格の設定や石鹸の規格の制定や原料割り当てが実施された。しかし,粗悪品が横行し闇市場の拡大は止まらず,戦時中以来の一手買取方式による配給統制は,独占禁止政策の観点から見直しが必要で,1949年4月に「石鹸配給規則」に基づく予約注文制が発足した。
 この切符制のもとでは切符の獲得競争が起こり,その中から新しい業界秩序が形成されていった。小売店の登録競争では,他業種からの参入も多く乱戦状態となったが,メーカーを後ろ盾に持つ小売業者が大量に切符を集めた。卸売り段階では,小売業者と直接に接点を持つ二次卸の健闘と一次卸の大問屋の劣勢が目立ち,両社の間に軋轢が生じた。メーカーの段階では,油脂からの一貫生産体制を備えたメーカーが優位に立場を占めた。このように切符制のもとで,主要な石鹸メーカーの優位が明らかとなり,戦時中に希薄化していたメーカーと卸売・小売店との結び付きが再び強まったのである。
 〈再販制度の導入〉 1953年9月に,独占禁止法の適用除外措置として,石鹸や歯磨等について再販制度の導入が認められた。この業界は長年の宿弊とされていた乱売を防止するための法的手段を得ることとなったが,それが直ちに実際に導入されたわけではない。
 当時のライオンや花王の卸売店の中には,なお複数の有力メーカーから仕入れを行い,広域的な商圏と多くの二次卸店を持つ店が少なくなかった。このような有力な卸商の存在が「範囲の経済」に裏付けられているとすれば,彼らの活動に束縛を加えることは得策ではない。花王は再販制度の導入よりも,返品問題や手形サイトの短縮が優先課題とされ,現金割引の導入や錯綜した取引関係を合理化する政策を推進した。また,商品の種類の増加による取引条件の多様化・複雑化に対処すべく,商品ジャンル別に取引条件を決める方式や予約注文制を試みたが,後者は市場の動きに即応できないとの理由で廃止されるといった試行錯誤の過程もあった。
 こうした一連の対策にもかかわらず,1960年代に入ると値崩れや卸売店の破綻が続出した。多くの代理店は過小資本体質できわめて不安定な経営状態に陥っていることが調査によって確認された。かくして,花王では1963年3月にまず,卸レベルに,次いで64年9月に小売レベルに,おおむね従来の取引制度を維持したままで,再販制度を導入したのである。


 “卸売商の主体的な営み”を重視した実証分析は実り多く,いずれの論点も確実な資料の分析に裏付けられているので,ほとんど異論の余地はない。その上でやや批判的なコメントを加えるとすれば,“主体的な営み”に関する考察の範囲が狭いことである。
 戦前の大規模な卸問屋にはお金持ちの資産家というイメージが伴う。地方の有力な卸商が商圏を広げていく際には,金融機能が重要な役割を果たしていたと見て大過なかろう。しかし,本書では問屋金融の役割はまったく検討されていない。
 また,有力な問屋は伝統的な「家業」として営まれ,その従業員管理は,「住込仕着制」であったと考えられる。本書でも暖簾を分けてもらって独立開業したケースがいくつか確認されているように,卸商の経営には後進を育成する仕掛けが組み込まれていた。しかし,従業員管理制度が「通勤給料制」へと移行すると,そうした機能は失われることとなる。こうして“卸商の主体的な営み”に関する検討の範囲を,金融,労務管理……と広げていけば,従来の経営史研究では取り上げられることの少なかった“中小企業”の経営史的研究への道が開けたはずである。
(だいとう・えいすけ=東京大学名誉教授)

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