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中田裕康 [編]『家族法改正――婚姻・親子関係を中心に』<2010年12月刊>(評者:大阪大学教授 松川正毅教授)=『書斎の窓』2011年7・8月号に掲載=
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更新日:2011年8月19日 |
は じ め に
Ⅰ 本書の中にあるもの
Ⅱ 本書から導かれるもの
む す び
は じ め に
21世紀に入り、多くの国々で、家族法が改正されている。社会がそして家族が変遷し、それに対応するように、あたらしい価値観や理念を柔軟に法典の中に位置づけている。特にフランス法では、家族法は一新した。わが国も、社会や家族の変遷に、法律が対応できなくなる場面に遭遇している。しかし、わが国では、未だ家族法改正の動きは鈍く、家族法改正に関心が薄く、具体的な動きは感じられない。 家族の実情と法のアンバランスの中にあって、本書は、研究会での議論を基にして家族法改正の法案を、その理由とともに示している。比較法的な研究とわが国の学説、判例の分析に裏打ちされた改正案である。法理論の根拠が明確であり、読者は本書の中に議論の対象を見つけやすく、その波及効果は大きいと感じる。
1 本書の中にあるもの
本書は、大きく二つからなる。一つは、2009年の私法学会シンポジウムの報告に基づく論考であり、他の一つは、2003年以来、続けられてきた民法改正委員会家族法作業部会(研究者の任意の研究活動)の成果を公表した2006年の座談会をまとめたものである。
特に、2009年の第二次案報告の成果は大きい。「婚姻法・離婚法」を大村論文、「実子法」を窪田論文、「養子法」を床谷論文、「親権法」を水野論文が扱っている。それぞれが、改正案の提示と分析、検討を行っている。加えて、「婚姻外カップルの関係」を山下論文が、「親子の養育関係」を久保野論文が扱っている。そしてそれぞれの論文の、ポイントをついた要約と分析(瀬川論文)が、「コメント」と題して続いている。「コメント」での要約は的を射たものであり、改正案の要約を再度、ここで試みる必要性はないと思う。
ここでは、法案の特徴を一言メモするにとどめたい。婚姻・離婚法に関して、多くの改正案の主張の中でも、特に夫婦の財産関係に関する立法の必要性に興味を抱く。いわゆる後得財産分配制の理論である。現在まで夫婦の財産関係を問題にすることは少なく、重要な改正案である。親子法に関しては、子の出生時で父子関係を考えるという改正案は、数多い興味深い改正案の中でひときわ大きな特徴をなしている。養子法に関しては、未成年養子に関して、家庭裁判所の関与を拡大することと、特別養子縁組の要件の緩和が改正案となっている。親権法に関しては、その不適切な行使の際の親権の制限などに家庭裁判所の権限を拡大することの妥当性に触れられ、また共同親権に関しても、わが国の実情を考慮した上で、改正案が展開されている。さらに、婚姻外カップルについて、制度として規定を設け、保護されるべき事実的な関係とそうでない関係とを分ける立法案が示されている。最後に、親子の養育関係について、我妻説と中川説の対比を軸にして、家族と国家の役割について分析が深められている。 いずれの分析も比較法的にもレベルが高く、問題意識も明確であり、力強く読者に迫ってくる。読者は、本書により、現在の最高レベルの家族法の理論に触れることができる。本書で示された改正案を受け入れるかどうか、また示された改正案の道を進むべきかどうかの判断は別として、いずれにしろ、本書で示された改正案は、つねに参照されそして議論の対象とされるべき研究成果であると思う。
また、これらの研究会での検討に加えて、「コメント」と「家族法改正への若干の視点」と題しての分析がシャープで興味深い。このような外部からの批判的かつ分析的な改正案の位置づけ、問題提起が本書の学問的価値を増している。
2 本書から導かれるもの
前に進まない家族法改正
わが国では、財産法分野と異なり、家族法分野の法改正はなかなか進展しない。これに対して、評者が研究対象とするフランス法では、2000年に入ってから、家族法に関する多くの条文が改正されている。今日では、わが国の法改正の遅延は、ヨーロッパの視点から目立ちつつある。本書を読み進むにつれ、遅々として進まない家族法改正に対する研究会メンバーのいら立ちやむしろ諦念のようなものさえ感じることがある。
改正の遅延の原因の一つとして、意見の対立が大きくまたは多く、一つの意見にまとまりきれないということが、一般的によく指摘される。しかし、家族法改正を先導し、実現した国でも、意見の対立はことのほか大きかったし、激しかった。このような中で、新しい立法が生まれてきているのである。明治期の法典編纂から、終戦後の民法改正に至るまで、その立法の発端は、外圧にあったので、自らの力で家族法の意見の対立する領域を改正する経験に乏しいのかもしれない。これだけの法理論が、本書で示されているのであるから、「守るべきものを守る」立法に向かう筋道は、すでに充分整っていると思う。 法改正のひとつの手法として、判例の理論を条文としてまとめることがある。現にフランス民法の改正では、判例理論を条文化したものが散見される。流れを立法につないで行く作業である。わが国の家族法では、これすら実現していない。 もう一つの立法の手法として、判例の解釈を条文化するだけで充分であるのかどうかを検討することが必要になろう。新たな権利を明確化するために、条文に新しいものを付け加えたり、消し去ったりする作業である。
どの分野のなにを?
さて、わが国は家族法の何を改正、立法すべきであろうか。何を問題であると考えるのかは、改正へのもっとも根源的な原動力となる。気づかなければ、何もかわらない。
変遷した家族を取り巻く現在の法律の中で、特に改正が必要と思われる分野は、「夫婦の財産関係」「親権法」、「実親子法(生殖補助医療を含めて)」であると思う。本書の改正案の原点となった二〇〇六年の第一次案についての座談会でのテーマは、まさに比較法的な動向も視座に入れた問題意識が印象的である。 パリやトゥールーズで日本の家族法を講義すれば、夫婦の財産、親子の法律、親権に関しての質問が多い。生殖補助医療では、法律のないわが国の現状に疑問がもたれる。これらはフランスではすでに積極的に法改正が行われている領域であり、わが国は問題に気づかずに放置しているように見えるのであろう。特に、子の利益のとらえ方に、わが国とフランスでは大きな温度差がある。
身近な家族とその価値観の多様性
家族は私達にとって身近である。それぞれがもっともよいと思う価値観を有し、それを自らの家族内で実現しようとする。専業主婦型の家庭がよいと思えばそれが家族の中で理想として追求される。もしも主従関係のある家族がよいと思えばそれが家族内の理想となる。家族の自由を尊重すればそれが家族の中に生かされる。妻が家計を握るのをよしとすればそれで行く。家族の法を改正するのに、このような「意見」を聞いて行うのであれば、法改正は不可能であろう。
多様性の中で光る理念
このように原則自由な家族の中で、法は家族の何を守ろうとするのか、これを知ることは重要である。ポルタリスが民法典序説で描いたような、法の理想とする愛情に満ちた平和な家族像は、現在でも多くの人々があこがれ、そして理想としている。かつては、この理想の実現を図るために、法律の中にそれを再現しようとした。しかし、このような平和で愛情に満ちた家族には、とりたてて法を必要としないのである。現代社会では、このような理想を実現するのが困難いや不可能な場合が多い。現在の立法は、このような家族に、理想をむりやり実現させようとするのではなくて、保護の在り方を規定しようとしている。法の理念が、理想の実現から、保護の在り方へと確実に変遷しているのが理解できる。
少なくとも家族の中で、危害が加えられることがあってはならない。また、不平等もよくない。このように家族の中で、許せいないものを修正し、新たな理念に向かって立法することが重要になってくる。この問題意識の上に、法理論が構築されていく。
本書では、法律によって何を規定すべきなのか(何を守ろうとするのか)、これを理解した上で、改正案の冷静な試みが、繰り広げられている。その結果、触発されて、理論的に考えることが多く湧いてくる。また守ろうと主張するものに対する批判もしやすくなる。 有斐閣のアルマシリーズの親族相続法の挿絵として、一ページにカノーヴァのプシケーの彫刻を掲載している。この本の初版が刊行されたときに(2004年)、献本をしたパリ第一大学のラブリュース・リユー教授と、リヨン第三大学のリュブラン・ドゥビッシー教授から、フランスでは、家族法は子を中心に置き始めているので、フランス法の家族法のイメージとしては、子のみの絵が挿絵にふさわしいとの意見を頂いたのを覚えている。フランスでは親権法そして親子法が大きく変わろうとしていた時代である。時代を反映した立法の精神がよく現れていると思う。意見の対立の激しいフランスは、理念を持つこと、そして表現することにたけている。フランス民法での非嫡出子の廃止や共同親権の原則化は、判例による平等化への動きがあったものの、最終的には、立法が理念に導かれて一気に実現した。
改正案の理論に関するメモ1
(大村論文)
本書で示されている夫婦の財産の清算を前面に出す改正案はぜひ検討する必要性があると思う。夫婦の財産関係の清算と相続は一連のものではあるが、視点を異にするものであり、区別しなければならない。区別することにより、配偶者の財産的な地位の明確化にむけて一歩を踏み出すことになる。昭和三六年の最高裁大法廷判決(最大判昭和36年9月6日民集15巻8号2047頁)は、別産別管理制に基づく課税が憲法違反であるかどうか争われた事例である。夫婦の財産は財産分与請求権、相続権、扶養請求権で調整されているので、民法の別産別管理制の条文は憲法違反でないと判示している。このような考え方であれば、専業主婦の地位はつねに依存型になっている。夫婦が共同生活を行っているときには、妻は扶養され、離婚時には相手方に金銭の給付を求めることになる。死亡時には、自らの財産を清算により取得するのではなく、夫から相続でもらうことになる。いわゆる潜在的共有(持分)の考え方である。このシステムは、平等の衣を着た不平等であるともいえる。ここでは経済的な自立は考慮されることはない。
改正案として示されている後得財産分配制は、物権法上の共有ではなく、後の精算時に共有を考えて、請求権を発生させる案である。死亡時と離婚時にはこれで夫婦の実質的な平等が図られることになろう。しかし、共同生活を行っている間は、専業主婦であれば、夫の収入に依存して生活することになってしまう。これは、現実として認めざるをえないのだろうか。婚姻中の配偶者の経済的自立も、考慮に入れる改正案はできないだろうか。物権的な共有にしつつ、配偶者はプラス財産のみをもらい、負債はいらないということを実現すれば、虫のいい話になってしまう。債務を清算と絡めてどのように扱うかが重要なポイントになろう。 いずれにしろ、夫婦の財産を積極財産と消極財産で清算することは、夫婦の平等を実現するために重要である。わが国では、夫婦の財産に関して、この清算の考え方が法律的にもまた実務的にも乏しい(フランスでは公証人がこの役割を果たしている)。
改正案の理論に関するメモ2
(窪田論文)
親子関係に関して、子の出生時で父子関係を考える案が示されており、興味深い。社会的な事実認識に基づく、親子関係の考え方である。しかし、懐胎時を問題にする伝統的な「推定規定」から決別するのであれば、大きな変革であり、慎重でなければならないと思う。推定の及ばない子などの判例理論は、条文化が可能である。父子関係に関する推定規定の背後には、いわゆる生物学上の真実に対する敬意(むしろ畏敬)というものがあり、法はそれを建前上尊重している。父子関係に関しては真実を積極的にゆがめることまではしていない。法的に争えない状況を作っているにすぎない。ここでは、生物学上の真実には触れないでいる。このような位置づけが可能であれば、懐胎時期を問題にする推定規定は父子関係の基本的な原理を定めている重要な規定であるといえる。「子の出産時にその夫であった者を、その子の父とする」案は、場合によっては、真実とは関係なしに父子関係を、法が積極的に作ることを認めることになる可能性がある。伝統的な懐胎時の推定規定も残し、二つの可能性を示す推定規定とするのが望ましいように思う。
すべての実親子関係は、父子関係と母子関係で規定するように改正されないだろうか。直ちに実現は困難であっても、いずれは嫡出子、非嫡出子の格差は消えていき、区別の必要性もなくなっていくものだと思う。
嫡出否認の訴えを、子にまで認めるのは伝統的な法理論からは画期的なことに思う。しかし、これは本来的には、育てることになる親としての父親のみに認められたものであり、子に関しては、他にも争い方がある。否認権の他に、親子関係存否確認などをどのように位置づけるか問題となろう。またこのように考えれば、同時に否認権の期限制限とは別に、身分に関する訴えの消滅時効の規定と、事実関係(生活の事実)の尊重に配慮した規定も検討が必要となろう。
AIDの父子関係に関して、同意の力のみで、親子関係を作るのは不可能であろう。同意の力で真実をゆがめることまで認めてしまうことになるからである(わが国の父子関係は、真実をベースにし修正を図っている)。これに対して、法案に示されたように、否認権を失うとする規定は賢明であると思う。しかし、同意の取り方にはもっと関心を持つべきであると思う。婚姻のような当事者の問題ではなく、父子関係は法的身分に関することであり、単なる届出では不充分である。意思の確認は不可避であり、公の関与(たとえば裁判官)を絡める手続きが必要であろう。さらに意思確認は、施術の際にも、再度、必要になろう。性質の異なる二つの意思が必要と考えている。特にわが国では、家族法の領域で、手続きと意思が一致しないことがあり、多くの問題を生じている。これはわが国の家族法の特質の一つである。
認知に関して、子や母の承諾を求めている点は、新しい考え方である。夫婦の子の場合には、子の意思は関係しないことを思えば、なぜ認知に際して、必要になるのだろうか。本来、自然に親子関係があれば、法はそれを認めるのが基本であるとすれば、その基本を離れるには相当の理由が求められよう。父子関係は原則として事実を前提にして存在しているのであり、父たりえないとするのではなく、父ではあるが親権を行使し得ないという解決方法がある。
改正案の理論に関するメモ3
(水野論文)
現在社会では家族は密室化されてしまう恐れがある。親権の制限など、裁判官による子の保護が必要であるという考え方は説得力がある。
共同親権に関して示された改正案は、原則として共同親権を採用したフランス法を理解した上で、日本の現状にあうように熟慮の上、微妙に修正されている。父が認知した子に関して、届出をもって共同親権をする案が興味をひく。しかし、子にとって、父母がいることは出生の前提であり、そのことから考えれば、親権を行使する親を一人とするかどうかの判断を親の意思に任せるのは、理念に反するのではないだろうか。ここは、共同親権を原則として(父や母のみの意思に左右されない)、単独親権となる例外的な場合を定めるのが、保護の体制としてふさわしいと思う。わが国の社会の現状を考えれば、現在は共同親権を実現するのは困難であるということに配慮した法案であるように思う。この点は、よく実務家からも指摘される。しかし、原則化することは、親の意思にも左右されない子の権利を明確にし、理想とされる子の利益の実現に向けて将来的に社会を導くことになると考える。また単独親権となる例外を規定することにより、社会の現実にある程度対応させることができる。また、改善すべき社会の現実が明確になる。法の観点から、原則と例外をはっきりさせることは重要である。実現困難だからという理由で、子の本来の権利が後退するのは、真の意味の子の利益にならない。困難ではあっても、実現に向けて歩まなければならないと思う。いったい子の利益とは何なのか、これがいつも問われていると言えよう。
再婚家族などにみられる継親と連れ子の関係は、親権の重要な問題の一つである。配偶者の親権を代理行使する法案が示されている。これなども、現状を熟知したするどい問題意識からの提案である。ここは、例えば前の夫の親権と、新しい夫の権利の問題ととらえ、親権の委譲の問題として分析することに評者は興味がある。親権は、代理行使に適さず、前の夫との権利の修正が必要と考えるからである。
む す び
本書に触れることにより、読者は、そこから湧き出てくるものの多さに驚くことであろう。本書は、多角的な理論的思考に向かわせてくれる。まさに、良書のもつ力が潜んでいる。
好き嫌いのレベルを超えて、法改正に向けて歩むべき時である。家族に関する民法典の規定は、すでに破綻しつつある。保護の規定としては不充分であり、不平等が散見される。さらに条文を読むだけでは、現在の家族法が理解できない。これは、市民にもっとも近く関わり深い家族の法律のあるべき姿ではなかろう。 ここに至れば、立法への努力は法律家の責務である。この責任を果たすための確かな第一歩を刻むことになる研究が公刊されたことを心から喜びたい。
(まつかわ・ただき=大阪大学大学院高等司法研究科教授)