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中川功一 [著]『技術革新のマネジメント――製品アーキテクチャによるアプローチ』<2011年2月刊>(評者:法政大学教授 近能善範教授)=『書斎の窓』2011年7・8月号に掲載=
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更新日:2011年8月19日 |
1 本書の狙い
改めて言うまでもなく、日本の製造企業は、近年非常に厳しい競争環境に置かれている。欧米企業の競争力回復や、韓国・台湾・中国など新興国の企業の躍進によって国際競争は激しさを増す一方であり、国内では売れても海外ではシェアをとれない製品分野が増えたこともあって、日本の製造企業の国際的プレゼンスは全体として低下傾向が続いている。
筆者(中川氏)は、このように日本の製造企業が近年になって困難な競争環境に直面するようになった原因の一つに、製品アーキテクチャの変化と、そうした変化への不適合があると考えた。しかし現状では、製品アーキテクチャに関する研究の蓄積は進んでいるものの、一部の研究が矛盾し混乱したインプリケーションを提示しているため、このままでは企業の技術経営について十分な提言が出来ない状態にある。そこで筆者は、製品アーキテクチャの理論を再構築してその妥当性を検証すると共に、そこからさらに一歩踏み込んで、事例分析と理論検討を通じて製品アーキテクチャの変化に適合するためのマネジメントについても考察を行い、本書を世に問うたのである。
以下では、本書の構成と内容、意義などについて説明した上で、本書で触れられなかったが評者(近能)が重要だと考える論点を指摘し、今後のあるべき研究の方向性について議論していく。書評としてはやや異例であるが、後半部分の「将来的な研究の方向性についての評者の自説展開」に若干厚めの紙幅を割いて、後の議論喚起を促したいと考えている。
2 本書の構成と内容
本書は、3部・10章から構成されている。第1部(2章~4章)では、先行研究のレビューを行っている。続く第2部(5章~7章)では、順に理論、統計、事例という異なる三つのアプローチに基づいて、製品アーキテクチャ理論の再構築と、その妥当性の検証を行っている。最後の第3部(8章~10章)では、製品アーキテクチャの変化に直面した企業がとるべき具体的なマネジメントを、二つの事例分析と、第2部で構築した理論枠組みに基づいて検討している。
このうち、本書の理論面での核となっているのが5章である。この章では、これまで行われてきた多数の製品アーキテクチャ研究を、企業を知識の集合体であると捉える「知識ベースの企業理論」の観点を取り入れることによって整理統合し、理論の再構築を試みている。
筆者の主張は、概略以下の通りである。企業は、固有の知識ネットワークの体系(本書の中では「組織能力」と呼んでいる)として捉えることが可能であり、それはさらに、取引先(たとえば部品メーカーや完成品メーカー)や提携相手など、外部の企業とも連結し、さらに大きな知識ネットワークの体系を形成している。一方で、製品アーキテクチャとは、製品を構成するコンポーネント群の技術的相互関係のネットワーク構造として捉えられる。
そして、こうした「コンポーネントのネットワーク構造」(=製品アーキテクチャ)と、企業内外に張り巡らされた「知識のネットワーク構造」(=企業に固有の組織能力の体系)とは、適合関係にあることが望ましく、不一致が生じると技術的課題が適切に解決できなくなってしまう。このような事態に陥った場合、もし仮に、製品アーキテクチャの変化に合わせて知識のネットワーク構造の体系を適切に修正することができれば、企業はその技術変化に適応できる。しかし、知識のネットワーク構造の体系の改編が遅れたり、適切な改編が実施できなければ、企業はその不適合ゆえに技術的課題の解決が行えず、製品アーキテクチャの変化に遅れをとってしまうことになる。
ここで重要な点は、製品アーキテクチャが変化した際に、変化させなければならないのは企業内外の知識のネットワーク構造であり、企業内外の組織構造ではないということである。その意味で、製品アーキテクチャがインテグラル型のときには垂直統合型の組織が適し、モジュラー型のときには独立・専門特化型の組織が適するという、世間的によく知られた命題は、必ずしも正しくない。企業の垂直統合度や内部組織の構造、外部企業との関係のあり方といった要素の変化は、そうした必要とされる知識のネットワーク構造の変更を実現するための一つの有力な方法ではあるが、決して唯一の方法ではない。たとえば、周辺のコンポーネント分野に技術研究の範囲を広げたり、他のコンポーネント・メーカーや完成品メーカーと提携したり開発協業を行って学習の方向性を変えるといった方法でも、十分にその目的を達成することは可能なのだと、筆者は主張している。
一方、実証面で核となっているのが、7章、8章、9章の三つの事例研究である。このうち7章は、光ディスク・ドライブ(ODD)産業についての詳細で非常に興味深い事例を扱ってはいるが、基本的に5章で再構築した製品アーキテクチャ理論の妥当性を検証するという位置づけの章なので、紙幅の関係でここでの内容紹介は割愛する。
続く8章では、ハード・ディスク・ドライブ(HDD)産業を取り上げ、HDD用磁気ヘッドという部品の専業メーカーであるTDKが、いかにして、垂直統合をすることなくHDDの製品アーキテクチャのインテグラル化に対処したのかに焦点を当てて、事例分析を行っている。
内容は、概略以下の通りである。HDD産業では、製品アーキテクチャが十数年程度の時間をかけてゆっくりとインテグラル化の程度を高めていったのであるが、TDKはそうした動きが起こる前から、自社の製品領域(磁気ヘッド)を超えて、磁気メディアなどのより広い範囲の技術的知識の学習を進めたり、あるいは完成品メーカーであるHDDドライブメーカーとの開発協業を積極的に行うなどの方法を通じて、HDDという製品システム全体についての理解を深め、システム知識を蓄積していった。
このようにTDKは、垂直統合を行う代わりに、自社事業領域を超えた範囲に及ぶ技術的学習を積極的に行っていくことを通じてシステム知識を蓄積し、製品アーキテクチャのインテグラル化に適合していったのだと、筆者は主張している。
9章では、光ディスク・メディア産業を取り上げ、十数年程度の時間経過の中で、「CD-R」→「倍速対応CD-R」 → 「CD-RW」→「記録型DVD」へと光ディスク記録メディア(以下「メディア」)の主流が目まぐるしく変遷し、そのたびに二~三年周期で製品(工程)アーキテクチャがインテグラル型からモジュラー型へと変化していくという事態に、三菱化学メディアがいかにして対処していったのかに焦点を当てて、事例分析を行っている。
内容は、概略以下の通りである。三菱化学メディアでは、新製品が投入された当初のインテグラル型製品の事業では、メディアの記録面の材料となる有機色素の開発と、メディアの成形や有機色素の塗布などを行うための製造工程の開発を自社で手掛け、互いに綿密に調整し合いながら材料・工程・レシピ(製造条件)の最適な組み合わせを見つけ出し、実際に完成品の生産まで手掛けて、メディアの製品システム・工程システムについての全体的な理解を深め、システム知識を蓄積していた。
その後、材料、工程、レシピのバラ売りを始める企業が現れ、製品(工程)のモジュラー化が進み、それらを利用した廉価な普及品が登場して市場が急拡大するようになると、同社は自社生産を止め、台湾を中心とした完成品生産専業企業に生産を委託し、完成品の供給を受け、メディアの販売業務に専念するようにした。ただしこの際には、生産委託先の企業に材料・工程・レシピをセットで販売するとともに、それを利用して生産された付加価値の高い完成品の供給を受けて販売を行うことで、製品(工程)がモジュラー化した段階でも、材料・工程・レシピの販売と完成品の販売の両方から利益を確保できる仕組みをつくり上げていた。
このように三菱化学メディアでは、現在普及局面となったモジュラー型製品の事業では、材料・工程・レシピの販売と(生産を委託した)完成品の販売のみに専念しつつ利益を確保し、その利益を次期投入予定のインテグラル型製品の事業に再投資し、開発・生産部門に材料と製造工程の開発と実際の完成品の生産までを一貫して手掛けさせることによって、新たなシステム知識の形成を途切れさせない仕組みを作り上げていたのだと、筆者は主張している。
3 本書の意義
本書の第一の、そして最大の特徴は、「知識ベースの企業理論」の観点を取り入れることによって、製品アーキテクチャに関わる多様な現象を首尾一貫して説明する理論体系を構築したことにある。「製品アーキテクチャと適合しなければならないのは、企業内外に張り巡らされた知識ネットワークの構造であり、企業内外の組織構造ではない」という主張は、いささか「コロンブスの卵」的ではあるが、学術的にも実践的にもきわめて興味深い。これを、先行研究を踏まえて理論的にきっちりと論じるだけでなく、統計分析と事例分析を通じて妥当性を検証している点で、本書は非常に意義深い研究だと言えよう。
本書の第二の特徴は、筆者に「多くの日本製造企業の実務家の方々へ、研究を通じて何かしら意味のある経営上の指針を示したい」という「熱い想い」があり、それゆえにかなり踏み込んだ議論を行っている点にある。単なる製品アーキテクチャと組織構造の適合・不適合の問題を越えて、製品アーキテクチャと知識のネットワーク構造とのスタティック(静態的)な適合・不適合の問題をも越えて、製品アーキテクチャの変化に対応する知識ネットワーク構造の変革のマネジメントについて具体論にまで踏み込み、理論的な検討を加えている点で、ほかに類書が見当たらない、ユニークな研究だと言えよう。
本書の第三の特徴は、テーマ設定、理論枠組みの導出、調査手法の選定、事例の記述、そこからの解釈と考察といった、論文全体の構成も、論文を構成する各セクションの記述も、きわめて整然としつらえられている点にある。決して単純な内容ではないのだが、論旨展開が非常に明晰で、文章にキレがあり、非常に読みやすい。統計分析のセクションなど、個別に見ていくとやや甘さが残っている箇所があることは事実だが、理論・統計・事例のバランスを取りながら証拠を積み上げ、全体として説得力ある議論を展開している点に、弱冠二九歳(一九八二年生まれ!)の若き研究者とは思えないほどの力量を見てとることができる。
4 残された論点
このように、本書の学術的・実践的な貢献は大きい。とはいえ、あらゆる研究がそうであるように、本書によっても未だ解明されない、あるいは本書の成果ゆえに新たに浮かび上がってきた研究課題も残されている。ここでは、細部に分け入って論じることはせず、実践的なインプリケーションという観点に立ったときに重要だと思われる一つの論点に絞って、残りの紙幅を使って論じることにしたい。 既に述べたように、筆者(中川氏)は、日本の製造企業が近年になって困難な競争環境に直面するようになった原因の一つとして、製品アーキテクチャの変化と、そうした変化への不適合があると考えた。確かに、パソコン、携帯電話、DVDプレーヤー、液晶テレビなどを代表とする幅広い製品群で、一般に「モジュラー化」と称されるような技術変化が生じ、それと同時に日本企業の国際的なプレゼンスが大きく低下した。そしてその背景として、日本の製造企業の知識ネットワーク構造と製品アーキテクチャの不適合が生じていたことは、恐らく事実であろう。その意味で、本書の提示する処方箋は、かなりの程度の汎用性を有していると考えられる。
しかし、もし仮にこの処方箋を知ってさえいれば、現在苦境に陥っている多くの日本製造企業が問題を回避することができたかどうかについては、かなり疑問の余地があるように思われる。評者(近能)の印象論にすぎないが、「モジュラー化」に伴って国際競争力を大きく低下させた日本製造企業では、実務に携わっている方々の多くが、薄々(あるいはかなりの程度)不適合が生じていることに気づいており、どうすればよいのかを概ね理解しつつも、改革を阻むインセンティブの壁が二重三重に張り巡らされていたために身動きがとれず、対応が後手後手に回ってしまったのではないだろうか。つまり、分かっていても出来なかったことに、より本質的な問題があったのではないだろうか。
評者は、1990年代以降に多くの日本の製造企業を襲った(今でも襲い続けている)いわゆる「モジュラー化」と称される技術変化は、単なる「アーキテクチャル・イノベーション」ではなく、クリステンセンの唱える「分断的イノベーション(disruptive innovation)」でもあったと考えている。(1)
実際、パソコン、携帯電話、液晶テレビ、DVDプレーヤーなどを代表とする幅広い製品分野で、それまでは製品開発のたびごとに主要なコンポーネントを最適設計していくインテグラル型の製品が一般的であったのだが、新たに、汎用のコンポーネントを組み合わせるだけで完成品として機能するようなモジュラー型の製品が現れた。そして、後者は前者に比較して、(1)従来の顧客が重視する品質や機能といった評価軸上でのパフォーマンスは低下するが、(2)新たな顧客が重視する価格(コスト)という評価軸上では劇的にパフォーマンスが向上し、(3)しかも品質や機能の面でも急速にパフォーマンスを向上させて既存技術との差を詰めていった。さらに、そうしたモジュラー化された製品は、それ以前のインテグラル型の製品に比べて、価格水準も利益水準も低く、しかも当初は市場のローエンドだけにしか受け入れられなかったので、市場規模が小さかった。つまり、これらの製品分野に生じた技術変化は、分断的イノベーションとしての色彩を色濃く帯びていたと考えられるのである。
こうした分断的イノベーションが発生した場合、既存企業は、「既存顧客からの否定的な声」、「カニバリゼーション(共食い)への恐れ」、「市場の上位セグメントに向けた撤退への誘惑」といった二重三重のインセンティブの壁に阻まれてしまい、変化に適合することが難しいとされる。(2)同様に、現在「モジュラー化」の脅威に晒されている日本製造企業の実務家の方々が、仮に本書を読んで、その提言を十分に理解したとしても、社内力学的な問題から、アドバイスの通りに行動することは難しいと感じるのではないだろうか。
この点で、本書の事例で言うと、TDKの場合は「持続的イノベーション(sustaining innovation)」タイプの製品アーキテクチャ変化であるが、三菱化学メディアの場合は分断的イノベーション・タイプの製品アーキテクチャ変化である。同社は、撤退寸前にまで追い込まれ、窮余の一策として、2節で説明したような新しいビジネスモデルを生み出し、こうしたアーキテクチャルかつ分断的なイノベーションを乗り越えた。本書が提示する処方箋を本当の意味で活かしていくためには、こうした成功事例の研究を積み重ねて、知識のネットワーク構造の改編を阻む二重三重に張り巡らされたインセンティブの壁(「イノベーターのジレンマ」)を突破するための方法論を解明していくことが求められると、評者は考えている。
筆者はまだ若く、本書を通過点として、さらに先に進むだけの十分な能力、気力・体力、研究意欲を備えている。ぜひとも、今後も研究を積み重ね、アーキテクチャルかつ分断的なイノベーションを乗り越えるためのマネジメントを理論的・実践的に明らかにし、日本のみならず世界の技術経営研究をリードして欲しいと願っている。
(1)Christensen, C. M. (1997) The innovator's dilemma: When new technologies cause great firms to fail. Boston, MA: Harvard Business School Press. (玉田俊平太 監修 伊豆原弓 訳 『イノベーションのジレンマ: 技術革新が巨大企業を滅ぼすとき』 翔泳社、 2000年)。
(2)紙幅の関係で、分断的イノベーションの要件や、それが既存企業に対して破壊的なインパクトを及ぼすメカニズムについての説明は省く。詳しくは、近能善範・高井文子『コア・テキストイノベーション・マネジメント』(新世社)の解説を参照のこと。
(こんのう・よしのり=法政大学経営学部教授)