伊藤 眞・加藤新太郎・山本和彦[著]『民事訴訟法の論争』<2007年7月刊>(評者:京都大学 笠井正俊教授)=『書斎の窓』2008年12号に掲載= | 更新日:2008年11月24日 |
(T=法科大学院教員,S=法科大学院学生)
1 総論
T 伊藤眞教授,加藤新太郎判事,山本和彦教授の鼎談『民事訴訟法の論争』を読んだそうですね。いかがでしたか。
S はい。民事訴訟法の主要テーマについて,詳しい議論がされていて,面白かったです。
T 十分に理解できましたか。
S 十分といえるかどうかは自信がありませんが,論争の背景や概要を説明してから詳しい議論をするというスタイルをとっているので,学生にも取っ付きやすい感じがしました。
T 内容について,簡単に紹介してくださいますか。
S はい。本書は,その「はしがき」にもあるように,これまで活発に議論がされてきたいくつかの分野における「民事訴訟法の論争」について鼎談を展開したもので,法科大学院や法学部の学生などに,論争の意義と背景を知り,今日的な問題状況への影響を考えるための手がかりを提供することを目的とするものです。取り上げられている事項は,順に,民事訴訟の目的論,訴訟物論,判決効論,証明責任論,証明度・証拠論,手続保障論(実体的正義と手続的正義),和解論,多数当事者論で,これらの八章から成っています。
T 鼎談の役割分担は,伊藤教授が民事訴訟法研究者の年長世代に属する者として,山本教授が中堅の研究者として,加藤判事が実務家の目から見て,それぞれの論争の意味合いを考えるものだとされていますね(本書「はしがき」)。この3人の方々は,これまで,研究者の各世代や実務家の中でも,とても活発にお考えを発表され,その学説が重要な役割を果たしてきている代表的な方々です。
S われわれ学生も,ご著書やご論考をよく拝見しています。その意味でも,親しみやすく,また,読む価値がある本だということですね。
T そうです。研究者にとっても,これら3人の著者がこれまでの主要な論争をどのように把握して,ご自分のお考えと関連させているのかを知ることができるのは有益です。歴史上の諸学説の評価にとどまらず,鼎談ならではの相互の学説批判も時折展開されていて面白いですし,一定の自説を持っている研究者は,他説の評価や相互の議論の部分を読んでいるときには,いずれかの学説に肩入れしてしまうでしょうね。また,そこで論じられていない別の見解が良いと考える場合もあるでしょう。特に若手の研究者にとっては,日本の民事訴訟法学史のエッセンスを知ることができるという意味での意義もあります。
S 議論は多岐にわたっているのですが,さまざまな視点が生かされて,バランスがとれている感じがしました。
T 各論争について,学説の意味を理論的な観点,実務的な観点,制度論的な観点等から多角的にとらえているというわけですね。また,「論争」という題名の本ですが,著者相互の議論は,鋭角的に切り込み合うというよりも,互いの意見を十分に聴き合うというスタイルで,考え方の方向が一致することも多く,割合にマイルドな仕上がりになっています。
2 各論
T 本書の内容を順に見ていきましょうか。
S 最初に民事訴訟法の目的が来ており,その部分は読むのが少し難しく感じました。
T 目的論は確かにそれ自体が難しいテーマですし,第1章で取り上げると,読者が先に進むことを躊躇するというおそれはありますね。しかし,「目的論棚上げ論」も主張されているのに対して,やはりこの目的論や訴権論こそが民事訴訟や民事訴訟法学の基礎・基本であるという著者らの強い思い入れが現れているのだと思います(本書19~20頁参照)。
S 第2章の訴訟物論は,それに比べると読みやすかったように思います。
T訴訟物については,法科大学院の理論と実務を架橋する教育の中で学生の皆さんも意識することが多いからかもしれませんね。
S 新訴訟物理論が学説上強く主張され,実務へのインパクトはあったけれども実務が旧訴訟物理論を採り続けている状況やその理由(38頁~40頁の加藤判事の発言),伊藤教授が旧訴訟物理論を基礎に考えておられる理由(55~56頁)など,興味深かったです。
T 法科大学院の学生の皆さんは,民訴実務系の科目の影響があるのかもしれませんが,旧訴訟物理論により親しみを感じるのですかね。
S それは確かにそうかもしれませんが,既判力の客観的範囲などは新訴訟物理論の方が妥当な結論を理論的に導きやすいように感じます。ただ,新訴訟物理論で要件事実の組み方がどうなるのだろうというような話は,学生の間でも出るのですが,今まで学説上もあまり明らかになっていないように思います。山本教授は,新訴訟物理論と要件事実論は矛盾しないとおっしゃっていますので(39頁,61頁),学生のグループで考えてみても面白いのかもしれませんが。
T まあ,法科大学院で勉強しているからといって,あまり要件事実にばかり深入りするのはどうかと思います。第4章の内容にも関係しますが,要件事実論は訴訟実務上の道具立てにすぎないともいえますので,その基礎となる実体法の解釈論をしっかりと勉強して理解してください。もっとも,本書でも示唆されているように(61~62頁),要件事実の組み方を考えることで,新訴訟物理論にいう「受給権」とは何かということが理論的に明らかになってくるかもしれませんね。
S 訴訟物論については,二重起訴禁止,既判力の客観的範囲等の関係で直ちに結論に結び付かないという「相対化」が言われていますが,原則はやはり原則であり,中核になる部分は訴訟物を基準に考えるべきだというのは,3人の著者の一致したご意見のようですね(52~55頁)。
T 私も著者らに賛成で,そのあたりは学生の皆さんに強調したいところです。
S 第3章の判決効論は,普段頭を悩ませている論点がたくさん出ていて,勉強になりました。学説の紹介で,主唱者のお名前だけが挙がっていて,引用文献が記載されていない部分があるのは,少し不親切な感じもしたのですが。
T 本書の所々でそうなっていますが,専門家にはこのテーマでこのお名前というだけですぐに論文等が思い浮かぶこともあって,座談の流れでそれらは省略されているようですね。伊藤教授の教科書『民事訴訟法』を始めとして,引用されている文献をあたればたどりつけるという趣旨なのかもしれません。ただ,読者として学生を想定するならば,逐一注記した方がよいでしょうね。ところで,この章では,反射的効力と既判力の時的限界にかなりの紙幅が割かれていますね。これらは,前者について山本教授が,後者について伊藤教授が,それぞれ自称「超少数説」ないし「単独説」を採っておられるところで,それだけにきちんと議論をしておきたいし,今後のより活発な論争も喚起したいという思いがあるのだと思います。伊藤教授の「学者はリスクを取れ」というお考え(自正55巻3号(2004年)20頁参照)とも通ずるものです。
S 伊藤教授は,反射効を否定する説もごく少数であると位置づけておられますが(97頁),この点の学説の分布についてはいかがお考えですか。加藤判事も否定説のようですし(93頁),先生も授業では反射効否定説を推しておられたように記憶しています。
T 私は,肯定説の理論づけにいまだ強い説得力を感じるところまでいかないので,相対的解決の原則を適用して否定説を採っています。学説の分布については,各先生が授業でどのようなことを話しているかまで数えなければならないとするときりがないですが,伊藤教授作成に係る否定説側の準備書面例が,「近時は,学説上でも反射効否定説も多く,反射効理論が学界の通説や多数説であるとは到底いえない」(90頁)としているのが一方当事者の主張ならではのブラフにすぎないとは思いたくないですね。判例が少なくとも結論としては認めていないわけですし。いずれにせよ,学説の分布などについては,座談ならではの謙遜や修辞が入ったりもしますので,慎重な読み方が必要だと思います。
S 第4章の証明責任論の部分も,論争の歴史や本質,要件事実論の位置づけ等,法科大学院生にとって必読だと感じました。
T 要件事実論や証明責任論は主として実体法の解釈の問題なのですが,学生の皆さんには,司法研修所の見解を金科玉条のごとく扱うのではなく,加藤判事がいうように「解釈論の市場の中で優劣が決まっていくという当り前の話」(129頁)を銘記してもらいたいですね。そして,最後に3人のご意見が基本的に一致しているように「証明責任論の次のステージは,審理過程の規律原理の解明である」(139頁)という見方に,私も賛成です。研究者として心しなければならないところです。
S 第5章の証明度・証拠論に関しては,どのくらいの心証が得られれば「証明」と言えるのか普段からよく分からないと感じています。「高度の蓋然性」とか「相当程度の蓋然性」とか「優越的な蓋然性」といわれても,基準として抽象的すぎて実感できないというのが正直なところです。
T 実務家だとある程度「実感」できるのかもしれませんが,それ以上に言葉でうまく説明できる人は少ないでしょうから,学生の皆さんが分かりにくく感じるのは無理もないですね。判例は「高度の蓋然性」という言葉を使いながらも,その字面ほど「高度」なものを求めていないという山本教授や加藤判事の見方(147~148頁)は,そのとおりだと思います。文書提出義務のところはどうですか。
S 判例の動向が分かりやすく整理されていると感じました。
T そうですね。文書提出義務については,続々と判例が出ていますが,本書は主要な判例の意義や評価を的確に述べており有益です。
S 第6章の手続保障論のところでは,まず,「第三の波」という学説が紹介されています。
T 以前,法科大学院のあなたの先輩にあたる学生が「民事訴訟法で『第三の波』という学説が昔あったと聞いたのですが,どのようなものですか」と研究室まで質問に来られて,隔世の感を抱いたことがあります。私たちが学生の頃は,学部生にも『これからの民事訴訟法』(井上治典・伊藤眞・佐上善和著,日本評論社,1983年)などは割と身近な存在でした。
S 私たちは,何かそのようなものを聞いたことがあるという程度ですね。
T 本書(179頁)でも引用されている,井上治典・高橋宏志編『エキサイティング民事訴訟法』(有斐閣,1993年)なども読んでみられることをお勧めします。本書にもましてエキサイティングな本です。
S この章では,司法をめぐる制度論・政策論と釈明義務等をめぐる解釈論との関係が鮮やかに浮き彫りになっていると感じました。
T 私は,本書の中でこの章が最も味わい深いと感じています。やはり手続保障というのは,民事訴訟を貫く根本的な理念ですね。第1章の目的論以上に具体的な法解釈に及ぼす影響は大きいと思います。それに,実体的正義と手続的正義とのバランスも,価値観が分かれる永遠のテーマだという感じがします。
S 学生の答案で手続保障がマジックワードになってしまっているという耳の痛い指摘もありますが(173頁)。
T 大切な言葉はよく理解して使ってほしいということですね。ところで,伊藤教授が「結局,手続保障の中心になるのは,当事者にとっての証拠の確保ではないか」とされているのは(182頁),とても意義のあるご指摘だと思います。それとともに,本人訴訟では代理人訴訟よりも釈明権行使の必要性が高いかという文脈で,「長期的に見ると,釈明権の行使を通じた裁判所の後見的サービスは解消されるべきである」とされていること(189頁)も重要ですね。私は,証拠確保手段や弁護士へのアクセス等の環境を十分に整備した上で当事者の自律性・自己責任をできるだけ認めていくというのが,今後進むべき道ではないかと思います。
S 第7章の和解論は,和解という柔らかめの話なので,よく理解できたと一応思うのですが,和解の難しさや面白さの実際は,実務に就いてから当事者と向き合わないと分からないのかなという気もします。
T 授業でも,和解と判決の利害得失,対席方式がよいか交互面接がよいか,心証開示の是非・要否等を議論すると,結構盛り上がるところですよね。まあ,柔らかいばかりではなく,きちんとした手続が必要ではないかというのがここでの論争の焦点ですが。
S 第8章の多数当事者論では,実務と学説との対立や乖離が生ずる場面もいくらかうかがえたように思います。第7章の和解論にもそういうところはありますが。
T 多数当事者論は,学説上も議論の余地がまだたくさんあるところですね。最近の最一小判平成二〇年七月一七日(裁判所時報一四六四号一頁)などは,論争を豊かにするための格好の素材です。
3まとめ
T 本書は,鼎談形式をとっており,学生にとっても読みやすい工夫がされていますが,より掘り下げた理解や考察のためには,やはり,本書で引用されている文献等を直接読んで考えてみることが必要となりますね。そのきっかけになることを著者らも願っていると思います。本書の内容が著者らなりの整理に基づくもので,論争のとらえ方には他にもいろいろな可能性があることはいうまでもないですし。
S 法科大学院の学生にそれだけのことをする時間があるとはなかなかいえない現状ですが,特に関心をもったテーマからでも原典を読み進めていきたいと思います。
T 無理のない範囲で,そうしてください。今日は,そのようにお忙しい中,付き合ってくださってありがとうございました。
(かさい・まさとし=京都大学教授)