橋爪 隆著『正当防衛論の基礎』<2007年7月刊>(評者:上智大学 林 幹人教授)=『書斎の窓』2008年4月号に掲載= | 更新日:2008年11月13日 |
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「正当防衛論」は,橋爪教授の助手論文のテーマである。教授はそれを法学協会雑誌に掲載した後,他の雑誌にも正当防衛論を発表してきた。本書は,それらを基礎として,教授の正当防衛論の集大成を行ったものである。わが国にも大きな影響を与えているドイツの学説判例にも詳細な検討が加えられ,わが国の大審院・最高裁判例はもちろん,最近の下級審判例,そして,わが国で主張されているほとんどあらゆる学説に対して,的確な分析と評価が示されている。ここに,現在の正当防衛論の最高峰が築かれたといって過言でない。
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第1章においては,正当防衛の基本原理を検討する。そして,正当防衛は優越的利益原理のもとで根拠づけるべきだとする(34頁)。しかし,ドイツで有力であり,わが国でも支持者の多い「法確証原理」に対しては批判的である(35頁以下)。そして,個人的な利益状況からアプローチする見解を支持する。その中でも,侵害者の利益の要保護性の減少を説く見解は,その理由が明らかでないとして,拒否する(64頁)。むしろ,防衛行為者の特殊事情に着目する見解を支持する(66頁以下)。86頁には,本書のまとめがなされており,正当防衛と緊急避難の相違点は,「現場に滞留する利益」が防衛される利益に加算されることにあるとする。そこから,退避義務を負わないだけなく,厳格な利益衡量も要しないことになるとする。この現場に滞留する利益の要保護性は,(自宅かどうかなどの)場所的状況や行為者の目的・認識等から判断される。118頁には,本章のまとめがなされている。そこで,優越的利益原理の「外在的制約」として,「侵害が切迫する以前において,被侵害者が正当な利益を犠牲にすることなく,侵害を事前に回避し得た場合には,被侵害者は事前の侵害回避義務を負う」とし,これに違反した場合には,侵害の急迫性が否定され,正当防衛は成立しないと述べる。とくに,国家機関などによる公的紛争解決によることが義務づけられる状況については,やはり侵害の急迫性は否定されるとする。
第2章においては,相互闘争状況をめぐる判例理論を検討している。そして,「侵害の予期も含めて,侵害に先行する時点における行為者の意識内容が,正当防衛の成否において決定的なファクターとなっている」と指摘する(178頁)。
第3章において,相互闘争状況における正当防衛の限界について理論的検討を加える。そして,判例の採用する積極的加害意思要件は,「行為の法益侵害性の評価と全く無関係な心情要素にすぎない」として却ける(236頁)。また,防衛意思も,不要とする(247頁)。さらに,挑発行為に基づく正当防衛の制限を検討し,「挑発行為者について正当防衛が制限・否定されるのは,行為者が事前に不正の侵害を招かないように行動すべきであり,かつ,行為者の事前の主観的・客観的状況にかんがみれば,それが十分に可能であったことが理由とされていると考えるべき」だとしている(304頁)。
第3章第6節において,著者の主張の要である侵害回避義務論を展開する。まず,正当防衛状況においても一定の場合には侵害を事前に回避する義務があるとする(306頁)。もっとも,侵害の確実な予期がない場合には,侵害回避行為は特段の負担となるから,義務づけられない(309頁)。とくに,警察や関連団体の助力によって暴行を阻止することが確実容易といえるまでの具体的な予期が認められないかぎり,退避義務はない(313頁)。現場に赴くことの利益性を判断するときには,行為者の目的が重要な考慮要素となる(317頁)。警察に通報することが特段の負担でないときは,警察による保護が確実に期待できる状況であれば,通報によって侵害を回避する義務を認め得る(319頁)。以上のような侵害義務の違反があるときは,急迫性が否定される(324頁)。
終章において注目されるのは,侵害現場で,防衛行為者が選択可能な有効な防衛手段のうち,最も被害が軽微なものを選択しなければ,過剰防衛となる(353頁),利益衡量の視点は原則として不要であり,「必要最小限度」の防衛手段を講じたかで,正当防衛の限界を画するとしている(354頁)ことである。
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以上が本書の概要である。以下には評者の見解を述べる。
まず,正当防衛を優越的利益原理によって根拠づけるべきこと,法確証原理を採用すべきでないこと,には全面的に賛成である。さらに,急迫性要件の内容として,単に客観的な要素だけでなく,主観的なものを含めるべきこと,他方,防衛意思は不要と解すべきことにも賛成する。この急迫性・防衛意思については,評者の従前の見解を改める。その理由については著者と若干の相違があるが,ここでは立ち入らない。
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以下にはいくつか疑問を述べる。
まずは,著者が強調する「現場に滞留する利益」についてである。これは,正当防衛において,退避義務がないこと,また,法益の均衡を要しないことを説明しようとするものである。しかし,まず,防衛行為の相当性(ないし必要性)が問題となった判例において,そのような利益は考慮されていないと思われるし,評者自身考慮すべきものとは思われない。生命や身体という重要な利益が衝突している状況において,そして,著者のように,急迫不正の侵害を加えようとする者の法益が,それにもかかわらず,それを受けようとする者の法益と同じように要保護性を失わないとするならば,著者の指摘するような利益は,それほど重要なものとは思われない。急迫不正の侵害を受けつつある者に退避義務はなく,また,その場合法益の均衡を要しない反撃が許されるのは,基本的には相手が急迫「不正」の侵害を行っているからである。そこから,人に卑怯になることを命じえない以上は,退避義務を課しえず,また,そのような相手の法益の要保護性は減少することとなると解するのが妥当と思われる。
著者の主張の最も個性的であり,重要なのが,侵害回避義務論である。急迫性要件において,相手の不正な侵害に先立つ事情,とくに,主観的な事情を考慮すべきだという主張は,判例理論を踏まえながらも,挑発による・自ら招いた正当防衛の問題状況や,原因において違法な行為の理論をも視野に入れた上での,独自の完成された正当防衛論であって,まさに圧巻である。しかし,なお,全面的に受け入れることはできない。判例の積極的加害意思要件は,不正侵害の時点,せいぜい,その直前の意思を内容としている。それ以前の事情は,それを推定させるかぎりにおいて意味をもっている。ところが著者の見解では,このような時間的にかなり先立つ事情が,それ自体独立の意義をもたされている。なるほど「急迫性」要件に関わるものとはいうが,時間的にかなり前の「義務違反」を問題とする以上は,このことを否定しえないであろう。評者の見解では,そのような理論構成は,その義務違反を犯罪実行行為とするのでなければ成り立たない。実際,著者の侵害回避義務論は,(本書の結果無価値論的基調に反して,しかもかなり主観的な)許された危険の法理を彷彿させる。著者は,おそらく実行行為ではないと否定するであろう。しかし,実行行為でない「義務違反」を根拠に犯罪の成立を認めることはできないと筆者は考える。
次に疑問に思ったのは,防衛行為の「必要最小限度」ということの意味である。評者の誤解かもしれないが,著者は,この要件を純粋に事後的に判断し,たとえば昭和四四年最高裁判例の場合でいうならば,突き飛ばす方向を若干変えて,自動車のバンパーに頭を打ちつけさせないでも同じ防衛効果をあげえたことを立証できたならば,過剰となると理解しているように思われる。そうだとすれば,それが昭和四四年判例の趣旨とは思われない。評者は,この判例は,相当性を事前判断し,かつ,ある程度の幅でリスクを侵害者に負担させる趣旨のものと解するべきで,そのかぎりで正当なものと考えている。
本書の基調となっているものの一つに,「公的救済」という概念がある。私人による武力行使を制限し,なるべく,警察などの助力を受けるべきだという見解である。積極的加害意思要件を打ち出した昭和52年判例の背後にある刑事政策的考慮であり,それは最近の下級審判例にまで及んでいる。たしかに,過激派や暴力団が相手の攻撃を待ち構えるのは違法と解すべきかもしれない。しかし,一般私人が警察に連絡しなかったような場合,そのことのみを捉えて,これを違法とすることができるであろうか。不正の侵害に対して退避義務がないように,警察に届けることは,権利ではあっても,義務ではないのではないか。仮に違法としても,そのことだけで犯罪の成立を認めていいかは別問題である。そのような生の刑事政策的考慮を犯罪成立要件の中に持ち込むことに,評者は違和感を覚えた。
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本書は,著者の青年期を捧げ尽くした成果である。本書を読んで,改めて正当防衛論の奥深さを思い知った。おそらく著者にとって,このような書評は「確実な予期」の範囲内であろう。いつの日か,評者は「正当防衛」されることを覚悟している。
(はやし・みきと=上智大学法学部教授)