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柏木惠子・高橋惠子[編]『日本の男性の心理学』<2008年6月刊>(評者:京都大学 伊藤公雄教授)=『書斎の窓』2008年11月号に掲載= 更新日:2008年11月22日

 本書は,男性性というジェンダーに焦点を絞った,「初の本格的」(本書「はじめに」より),かつ総合的な,日本における男性をめぐる心理学の研究書ということができるだろう。
まず本の構成からみていこう。第1章「ジェンダー視点に立つ男性の心理学の課題」では,男性の心理学の位置づけと男性をめぐる現代日本の「問題状況が整理されている(国際的にもめずらしいほど低下した日本の若者の殺人率などの鋭い指摘がみられる,長谷川寿一さんの「殺人動向から考える男性心理」が興味深かった)。
続く第2章の「ジェンダー意識の発達」では,発達に応じた形での男性性の構築をめぐって,幼児教育,メディア,被服行動などとかかわらせつつ論じられている。「夫婦関係における男性」の第3章では,夫婦関係や介護問題などが考察され(これまで評者も議論してきた夫婦間の意識のズレを,データで明らかにしている稲葉昭英さんの「配偶関係と精神的健康」と,介護殺人・心中における男性加害者の多さなどを論じた,無藤清子さんの「介護とジェンダー」,男性の対人関係能力と結婚の可能性を世代を追って考察した,中村真由美さんの「男性に求められる資質の変化」など,面白い研究紹介が目立った章だった,第4章「親としての男性」では,男性の育児参加や父親研究が論じられる。
「職場の男性」と題した第5章では,職場での男性のストレスや,仕事と家庭の間のコンフリクト(ワーク・ファミリー・コンフリクト)などが分析されている。最後の第6章は,「心理臨床における男性と女性」という形で,DVを含む男性性をめぐる臨床的課題とその対応策が整理されている。
あわせて34名という数多くの執筆者による本書は,各章に章全体をオーバービューする総論と,それに対応する「研究紹介」論文がそれぞれ四本から六本配されており,現在の日本における男性の心理学の到達点を,要領よくまとめている。
 ●心理学と社会学の「対話」
実は,ぼくは,これまでも本書の編者(個人的には親しみをこめて「ダブル惠子さん」と呼んでいるのだが)たちのジェンダーの心理学的研究には,さまざまな場でお世話になってきた。特に柏木惠子さん編集の『父親の発達心理学』(川島書店)や単著の『家族心理学』(東京大学出版会)は,授業や講演などのタネ本として使わせてもらってきたし,同じ「ダブル惠子さん」の共編著『心理学とジェンダー』(有斐閣)には,ぼくもコラムを書かせていただいてもいる。
また,これらの研究書を,家族研究やジェンダー研究を進めようとしている社会学の若い世代に紹介させていただくこともよくある。若い世代の研究者の間には,自分が「所属」していると考えているディシプリンに強く縛られていて,「すぐ横」に自分と同じような問題関心からなされたまとまった研究が存在しているのに,まったく気がついていないという人が目につくからだ。
その意味で,ぼくの属する社会学分野の男性性研究と,心理学の研究は,もっともっと共同作業をしてもいいのではないかとときどき思う。
というわけで,ここでちょっと,本書の執筆者の多くが属している心理学と,ぼくの所属する(自分で「所属している」と思っているだけで,ほんとは「仲間」に入れてもらっていないかもしれないが)社会学との関係についても一言ふれておきたい。
個人的には,社会学というディシプリンは,(質的/量的)データに基づきつつ,「社会」の「輪郭」を描き出し,その分析をもとに,「よりよい社会」(もちろん,主観的に構成された「よりよい」であることは自覚しつつ)を構想する学問だと思ってきた。もちろん,これは,あくまでぼくの「社会学」イメージであり,社会学者のなかからも異論が出てくるかもしれない。他方で,心理学は,あくまで個人の(ないし個人間の)心理が対象になる学問だろう。
もちろん,両者の間には,視点においても研究方法においても大きな差がある。しかし,同じ研究対象(ここでは,男性性,ジェンダー,家族,労働といった課題)をもっているということで,この分野にかかわる心理学者と社会学研究者とは,実は多くの共通点をもっているはずなのだ。
実際,このことは,これまでのジェンダー心理学との「対話」のなかで,ぼく自身が経験してきたことでもある。意識調査やアンケートなどの量的データや,インタビューや文献調査などによる質的データに基づいて,ぼく自身,ここ30年ほど「男性学・男性性研究」を,仕事のひとつとしてやってきた。この30年ほど,ぼくが書いたり論じたりしてきたことが,実は,(ここ10年ほどの間に急成長してきた)ジェンダーの心理学や男性性の心理学研究によって,はっきりと裏付けてもらえたという印象を,ぼくは,強く感じているのだ。
その意味で,本書が,ジェンダーや家族を研究している多くの社会学の研究者(もちろん,社会学以外の人も含めて)と,ジェンダーおよび家族の心理学との間の,ある種の「架け橋」のような機能を果たしていただくことを,強く期待したいと思う。
 ●マジョリティ研究の可能性
書評という仕事からはちょっと離れるかもしれないが,もうひとつ,ぼくが,社会学の分野でこれまでやってきた男性性研究を通じて,最近,考え始めている課題についても書いておきたいと思う(それは,今後の男性をめぐる議論において,「男性の心理学」者たちと,共有しておきたい課題でもあるからである)。
最近,男性学・男性性研究というのは,広い意味での「マジョリティ研究」だったのではないか,ということをよく考える。
1970年前後に,(新左翼運動を始めとする若者の反乱とともに)「マイノリティ運動」と,それと連動するアイデンティティ・ポリティクスが拡大したことはよく知られている。ジェンダー研究誕生の背景になった第2波フェミニズムの登場もまさにこの時代のことだ。女性ばかりではない。この時期以後,エスニック・マイノリティ,障がい者,高齢者,子どもといった,それまで周縁におかれていた人々への注目が広がった。それが,そのまま学問領域に持ち込まれることで,アカデミズム(なかでも人文社会科学)もまた,大きなパラダイムの変更を余儀なくされたといえると思う。
もちろん,こうしたマイノリティ研究は,今後も,もっともっと拡大していく必要があるだろう。なかでも,個人的には,マジョリティに対するマイノリティの「被害者」性(「被害者」意識構築)の研究(被害者自身の自己意識形成と,他者,特に,差別する側のマジョリティへの対応の形成プロセスなど)に強い関心がある(その意味で「被害者」性の「社会学」や「心理学」がもっとあっていいと思う)。
しかし,それ以上に,今後,光があてられるべきは,「マジョリティ」問題なのではないかと思うのだ。女性に対する男性(男性学・男性性研究),同性愛者に対する異性愛者(異性愛者研究),エスニッック・マイノリティに対するエスニック・マジョリティ(たとえばアフリカ系の人々に対する「ホワイトネス研究」や「在日外国人」に対する「日本人」研究)などを対象にした研究である。これらのマジョリティのマイノリティへの無自覚なマジョリティ性の構図や,それがマイノリティの側に生み出す「反応」,さらにマジョリティ側の「対応」といった,マジョリティ・マイノリティ関係を,マジョリティの分析を通じて明らかにする作業は,人権や社会的公正という課題に対応するためにも,今,本格的に問われているのではないか。
書評とはちょっと離れてしまったかもしれないが,「女性の心理学」から「男性の心理学」へ,あるいは,「女性学」から「男性学・男性性研究」へという展開を眺めながら,こんなことを,今,ぼくは考えているということを書かせていただいた。
 ●「男の子」問題という課題
最後に,書評にもどって,本書を読んで,ここ七,八年ほど,特に気になっている男性問題のひとつに関連して,ちょっとだけ注文をつけたいと思う。というのは,本書を読んで,「男の子」や「若い男性」の心理についての論文がもう少しあったらすごくよかっただろうに,という印象をもったからだ。ぼくが,この間,言い続けてきた,いわゆる「男の子」問題についての心理学的分析である。
OECDの学力調査でも,中等教育レベルでの低学力層には明らかに男の子が目立つ。OECDのデータ(2003年発表)をみても,OECD加盟国の同世代の大学型高等教育への進学率は,女性51%に対して男性は41%と,10%も水をあけられているのである。この大学進学率における女性優位は,経済先進諸国が教育に力を入れるようになった1990年代以後,顕著な傾向として生まれたものだ。背景のひとつに,女性に対するさまざまなジェンダーによるバリアーからの解放があったのだろうと思う。ジェンダー・バイアスが解消された社会では,「男の子」に「分が悪い」状況が始まっているのだ(ちなみに日本は,男性48%に対して女性は33%という,経済の発達した諸国のなかでは,信じられない数字だ。同じOECDのデータによれば,男女平等度と女性の学力の高さはかなりはっきりとした相関があるという。日本社会のジェンダー・ブラインドな対応の問題性は,こんなところにもみられるのだろう)。そのため,多くの経済先進国では,学力における男女差(男子の学力低下)が,かなり問題にされつつある。
おそらく,日本社会でも,初等・中等教育レベルで,こうした「男の子」問題は(自覚されないままにすでに)起こっているはずだ。
こうした「男の子」問題は,最近,連続して発生した若い男性たちの,「誰でもいいから殺したかった」という形での事件においても,どこかで通底しているはずだ。こうした10代から20代の「男の子」の心理分析という作業については,「男性性」の心理学と社会学との共同作業においても,今後,求められる重要な課題のひとつになるだろうと思う。
「男性の心理学」研究者のみなさん,今後とも,どうぞよろしく。
(いとう・きみお=京都大学教授)

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