書評
『経済史――いまを知り,未来を生きるために』
一橋大学名誉教授 斎藤 修〔Saito Osamu〕
本書は4半世紀以上にわたって経済史の講義をしてきた著者が、その内容を文章化し、1冊の書物としたものです。そのような来歴のゆえに――「ですます」調で書かれているからでもありますが――本書を読むと小野塚先生の授業を聴いているような臨場感を味わうことができます。しかも、著者が「あとがき」に記しているように、ご本人の思考が深まり、変化してゆくなかで、その過程を想い出し、反芻しながら書き進めたそうですので、読者は著者と一緒にそのプロセスに参加しているような気分にもなれる、稀有な本でもあります。
1 リベラル・アーツとしての経済史
日本の大学経済学部はたいていの場合、昔から経済史という科目群を重視してきました。それは、経済学が西欧から輸入されたときに影響力をもっていたドイツ歴史学派の理論・政策・歴史を三本柱とするという、経済学教育観にもとづくものでした。現在はアングロ・アメリカン流経済学が多数派でドイツ歴史学派の経済理論など見向きもされませんが、歴史は重要だという観念だけは残っているのでしょう。その入門講義は、多くの大学で1、2年生向に経済史概論あるいは一般経済史といった名前でおかれているはずです。
この講義を、専門課程で経済史のゼミを選ぼうとしている学生を対象に教えるのはそれほど難しいことではないでしょう。しかし、経済学あるいは社会科学全体のカリキュラムを念頭におくと、どういうスタンスで授業に臨むのか一工夫が必要となります。経済学的思考への誘いとして歴史を使うという方法、現代の政策課題に過去の政府や他の経済主体がどう対応してきたかをみるという教訓提供型、あるいは発展途上国を念頭に開発経済学的発想で教えるというアプローチもあります。しかし、本書はそのどれとも異なります。
21世紀初頭の私たちはいくつかの難しい問題に直面しています。際限なき欲望の追求は今後も可能か、それを資本主義以外の方法で達成することはできるのだろうか、管理社会と自由・自律への希求は両立するのか、等々。こういった大問題を取り上げ、それを狭い意味での経済学の勉強に特化しようとしている学生に考えてもらうために経済史の授業を構成するというのが小野塚先生のスタンスです。経済史とは、狭義には「近現代の経済と社会を特徴付ける市場経済・資本主義の起源と特質・特異性を叙述する」学問です(2頁)。しかしこの本では、「共同体」「社会モデル」「制度」「家」「自然」など、通常の経済学の枠をこえた概念と問題への言及と叙述があります。本書のサブタイトルを援用していえば、「いまを知り、未来を生きるために」過去を振りかえり、歴史を手がかりに私たちの社会の未来を考えようというのが読者へのメッセージです。言葉の本来の意味でのリベラル・アーツが念頭におかれた経済史だといってよいでしょう。
2 市場と共同体
リベラル・アーツとはいっても、狭義の経済史として物足りないというわけではありません。本書は伝統的な論述構成を守っているところがあり、その上で最近2、30年に学界へ登場し、論争が行われたトピックも目配りよく取上げられています。例をあげれば、勤勉革命論、市民革命の修正主義的解釈、産業革命の修正主義的解釈、大分岐論争などです。
また、専門性を重視していないということでもありません。人文・社会科学を俯瞰するための基礎的な概念は注意深く選択され、説明されています。それだけではなく、本書全体が「市場」と「共同体」という視角から叙述されているといってよいでしょう。すでに述べたように、伝統的な経済史は、市場が成長し、その市場経済の発展の上に資本主義が展開する過程を話の中心においてきました。共同体がテーマとして登場するとすれば、それは市場が展開することによって浸食され、解体してゆく存在としてでした。しかし、著者のストーリー・ラインはそれほど単純ではありません。
本書の概念枠組では、市場経済と共同体の対抗軸に加えて、非市場的ではあっても伝統的な共同体とは質を異にする協同性(アソシエーション)が重要な役割を果たします(第4章1)。それをうけて社会類型としても、原子論モデル(匿名的な契約関係に基礎をおく市場経済と、万人の万人に対する闘争を制御するために形成された国家とからなる)と有機体モデルだけではなく、協同性モデルもあるのです(第7章3)。
協同性モデルとは、「自覚的で目的意識的な結社(アソシエーション)とそのネットワーク」によって構成された経済と社会です(156頁)。私たちになじみ深い株式会社、生協のような協同組合、労働組合、非営利活動法人(NPO)はその典型的な例で、ちょうど退潮する共同体に代わるかのように近代になって登場してきました。歴史の流れは非市場組織の弱体化過程と考えられているわけではないのです。資本主義の経済制度を説明する第14章ではこの視角が活かされています。とくに、雇主(企業)と被雇用者の双方が結社を形成するようになったことの含意が重要です。結社は組織なので、組織の論理が働きます。「複数の人間で分業して効率的に事に当たろうとするなら ……[事業は]単一の意思によって指揮・命令されなければならず、現場で働く者たちはその意思に服従して実行する」ところの「労指」関係が発生せざるをえないのです(337頁)。すなわち近代の労働市場とは、内部に組織の論理を抱え込んだ結社対結社の相対取引(団体交渉)となり、市場とはいっても、原子論モデルの想定とは異なった態様をもつことになるでしょう。
この流れを労働者の側からみれば、社会全体を協同性によって作り変えようという構想が生まれるのは必然でしょう。社会主義です。実際、20世紀には社会主義体制が出現しましたが、永続きしませんでした。もちろん、資本主義に欠陥はあり、矛盾を指摘するひとが後を絶ちません。けれども、「資本主義でない生産様式は、実現可能な仕方では、一つも構想されていない」というのが著者の意見です(526頁)。つまり「資本主義の次」はないのです(72―73頁)。結社モデルも永い間「希望の言葉」でしたが、組織の論理と無縁ではありえず、それゆえ執行部の意向次第では「個人の自由」を侵害する場合が生ずる可能性を排除できないのです(162―163頁)。これは市場経済に内在的な欠陥というよりも、組織というものに固有の問題です。その「難問」を克服できないかぎり、アソシエーションもまた「見果てぬ夢」なのです(509頁)。
しかし、現代の資本主義の構成員が市場を組織によって代替してきたという事実は残ります。現代社会を構成する単位は、原子論的個人ではなく、自由な個人が創りあげたところの、しかしいったん形成されると組織の論理が働くところの結社を担い手とする市場社会だといってよいでしょう。それは私たちの制度選択と政策形成へのスタンスに影響する歴史変化です。紙幅の関係で十分な紹介ができませんでしたが、古典的自由主義や近年のネオ・リベラリズムとは異なって、介入的自由主義と呼ばれるアプローチが成り立ちうるのも、そして現代はその介入的自由主義に立脚した「お節介な」社会という判断が下されるのも(430頁)、それゆえなのでしょう。
終章では、社会主義あるいはかつての有機体モデルのような「大きく強い規範」の実現ないしは再建を目指すのではなく、「小さく弱い規範」を一つずつ実現させてゆくのがよい、それが歴史の教えてくれる教訓だと述べられています(536―537頁)。これも、著者が現代社会の抱える問題の根源は市場メカニズムというよりも、個人の自由と組織の論理の間の相克だと考えていることを示唆します。本書が、伝統的な経済史では正面から論じられることの少なかった家と家族、さらに人間と自然といった問題に頁を割いたのもこのような歴史観と無関係ではなかったはずです。
3 フィードバック
私は本書を、何十年も前に初めて一般経済史を講義することになったときのことを想い出しながら読みました。著者は「まえがき」のなかで、本書を使った学生や先生にぜひ感想や使い勝手についてのコメントを寄せてほしいと要請していますので、もし私が教科書として使っていたら著者に何をお願いするだろうかと考えてみました。3つほど挙げます。
1点目、市場・共同体・協同性の三分法よりも市場と非市場組織(共同体)という二分法のほうがわかりよくはないかと思います。経済学が基本的にこの二分法だということもありますが、それよりもパーサ・ダスグプタの『経済学』(邦訳、2008年)という、共同体から市場に代わるのが歴史の流れだと仮定することなく、両者をパラレルに扱った優れた入門書があるからです。そこでは、協同性は広義の共同体の一変種として扱えられており、どちらも有力者が組織を私物化したり、個人の自由意志を窒息させたり、自由な人間関係の形成を阻害することがある一方で、市場や政府を鍛えるという役割を果たしうる存在だということを教えてくれます。
第2は、著者独自の「労指」関係という概念についてです。これは本書全体を貫く歴史観と深く関わる重要な提案なのですが、いまのところ3箇所(42、162、337頁)でそれぞれ独立に――分業論、協同性論、そして労資・労使関係論との関連で――論じられているので、これだけでは受講生にその重要性を認識させるのが難しい。著者の提案は、私の理解では次の3つの問題に関連します。長期的な趨勢としての官僚制化(ウェーバー・テーゼ)、近現代になって顕著となった企業組織による市場の代替傾向、そしてそれが労使関係・労務管理へ与えたインパクトです。それぞれが一節を充てるに値する大きな問題ですが、最初の2つは問題の所在すら明示されていない。節に相当する長さはなくとも、それぞれについてまとまった歴史叙述があったらよかったと感じました。
最後に、歴史の流れの異文化比較にもう少し頁を割いてほしかったと思います。本書でも近世国家の殖産興業政策類型論(第10章2)とか経済発展の型(第12章)についての叙述はあります。しかし先に、近代の労働市場が組織の論理を抱え込んだ結社対結社の相対取引市場となると述べたことから類推がつくように、労組の結成基盤が企業の場合と職種の場合と産業の場合とでは労働市場のあり方が変わるでしょうから、市場経済にも多様性があるとみたほうがよくなります。つまり、非市場組織が多様であるように、市場経済にも多様性がみられるという事実にも、受講生の注意を向けるべきではないでしょうか。
実際に教科書として使っている先生方にはもっと具体的な注文があるはずです。読者諸氏にもそれぞれの感想があるはずです。ぜひコメントを小野塚先生に送ってください。そのような著者と読者の「対話」をへて、本書はさらによい経済史入門となるでしょう。