自著を語る
『越境犯罪の国際的規制』と日本国内の諸実践
防衛大学校人文社会科学群国際関係学科准教授 石井由梨佳〔Ishii Yurika〕
1 はじめに
昨年8月に『越境犯罪の国際的規制』を上梓することができた。「越境犯罪」(transnational crime)という語は、字義通り、複数の国に影響を及ぼす犯罪と広く捉えることもできるが、本書では「恒常的かつ定型的な国際協力を必要とする国内法上の犯罪」と絞りをかけて用いている。
本書は、多種多様な越境犯罪の規制が形成されてきた経緯を示すとともに、犯罪捜査において、国がどの範囲で他国にある情報を収集し証拠を取得できるのか、国はどこまで他国に協力しなくてはならないのか、金融機関や企業も含め、規制の対象となる私人の権利がどこまで保障されるのかを国際法の観点から分析したものである。
越境犯罪の大半は国際法が直接規律しないものであるが、国際法上、国内法に共通している犯罪を特定して国際協力を義務付けているものや、国際法益を害する犯罪を特定してその国内的規制を義務付けているものもある。
国際法学において従前より焦点が当てられてきたのは、後者の国際法上の義務付けがされている犯罪であった。それに対して本書では、国際法上の義務はないが、国際協力の仕組みが構築されている諸犯罪を、国際法体系の中に位置付けることを試みた。また、犯罪の規制について国際法上の義務付けがされている場合でも、先進国の間では条約が定める基準を上回る協力がなされている。本書では、それらの上乗せされている部分において生じている諸論点の検討に紙幅を割いた。
これらの諸規制の形成過程を辿ると、主に米国、欧州連合(EU)及びその加盟国が、外国企業に対する自国国内法(EUの場合は域内法)の適用、発展途上国との二国間条約の締結、条約レジームの形成、政府間会合における非拘束的な基準の策定などの手段を駆使して、自らの政策を国際的に実現していく経緯を鮮やかに見ることができる。本書ではそれらの実践を、先行研究が示してきた静態的な刑事共助に対する理解と対照させながら、跡付けることを意識した。
今日でも、市場に任せておくと深刻な社会的被害をもたらし得、それに効果的な対応をするには国際協力が必要である事象は次々と生じている。仮想通貨、燃油の密輸、海底ケーブルを通じた情報の不正取得などが数年来の話題である。本書のアプローチはこれらの新しい動向を検討するときにも役に立つと考えている。
もっとも、本書は専ら国際法の観点からの分析を行ったものであり、日本と越境犯罪の国際的規制との関係を記述する余裕がなかった。しかし述べるまでもなく、刑事法領域においてもグローバル化に対応した法制のあり方を考えることは避けて通ることはできない。そこで本稿では、越境犯罪の国際的規制と日本国内法が緊張関係を生み出す局面を例示的に列挙し、自著の紹介に代えることにしたい(〔 〕内の章・節は本書のものである)。
2 刑事共助における私人の地位と日本法
渉外性を有する犯罪について二国間共助を通じて情報交換や証拠提供を行う場合、そこで対象となる私人の権利をどのように保障するかは、越境犯罪の規制全体を貫く問題である。刑事共助は国家間の協力であるとされ、私人は反射的利益ないし不利益を享受するとしても、あくまでも客体としての地位しか有していないと理解されているためである〔序3章〕。
そこで生じる論点の一つが、外国法上の手続において得られた証拠を、いかなる要件の下で日本の刑事手続で用いることができるかである。これについては周知の通り、最高裁が最大判平成7・2・22刑集49巻2号1頁(ロッキード事件)で、共助によって得られた証拠であっても、日本の刑事裁判上事実認定の証拠とすることができるかは、日本法に則って決せられるべきことを判示した。
もっとも、日本は2000年代半ば以降、米国、中国、韓国、EU、ロシア等と刑事共助条約を締結しているが、そこでは証拠の取得は要請を受けた国の国内法に従って行われることが定められている。そこで、近年では事案に応じて個別の協力が強化されている点が着目される。最判平成23・10・20刑集65巻7号999頁(福岡一家四人殺害事件)では、中国に逃亡した同国民の容疑者の取調べを中国当局が行ったところ、同国では黙秘権が保障されていないため、取調べの際に捜査官が作成した供述書の証拠能力が争われた。しかしこの事件では、日本側が予めその取調べ方法を中国側に要請しておいた。そこで裁判所は、本件では黙秘権が実質的に告知され、取調べの間、肉体的、精神的強制が加えられた形跡はないといった事実関係を踏まえ、それが適法な証拠であると判示した。
現況ではこのような個別の対応で足りると言えるが、条約の適正手続保障規定と、国内法との連結を強化する余地はある〔序3章〕。複数国の当局が共同で捜査を行うことが多い米国と中南米諸国や、EU域内では、一方国で取得した証拠を他方国の刑事手続で用いることを前提とした協力体制が整えられている〔第Ⅱ部1章〕。そこでは、双方当事国で適法性が担保できるように手当がされている点が参考になるであろう。
3 行政手続と刑事手続との関係
共助に関する別の主要論点に、一方国の行政手続の下で取得した情報を、他方国の刑事手続で用いることの可否及びその要件がある。
日本国内でも、公正取引委員会や税務当局などの行政機関が、その法執行のために収集した情報を、刑事手続において利用することの規整原理については判例や学説の蓄積がある。同じく、他国との行政当局間協力の場合にも国際捜査共助法の潜脱を防止する要請が働く。そこで、日本国内法では、行政手続で得られた情報を外国当局に提供する場合には、それが相手国の刑事手続で用いられることのないように手当てをしていることが多い。例えば、金融商品取引法189条は、外国金融商品取引規制当局に対する調査協力について定めをおいているが、提出された報告又は資料の内容が「外国における裁判所又は裁判官の行う刑事手続に使用されないよう適切な措置がとられなければならない」としている。独禁法43条の2等も同様である。
しかし他国の例を見ると、行政当局間で情報交換をする場合でも、それが相手国の刑事手続に使用されることを見据えて行うことが増えている。その中でも、税務情報の交換についてはその傾向が顕著である〔第Ⅰ部4章〕。1988年の税務行政執行共助条約では、一方国が提供した税務情報を他方国が刑事手続で使う場合には提供国の同意が必要であることが定められていたが、2010年の改正議定書ではその条項が丸ごと削除された。さらに、日本も参加している「税の透明性及び税務目的の情報交換に関するグローバル・フォーラム」では、共通の基準に基づいて、自国が保有している相手国国民等の税務情報を自動交換することが推進されている。これらの条約等では、納税者や関連する第三者の実体的ないし手続的権利に関する規定は殆ど置かれていない。
これについては、他国に情報を渡す場合には相手国でそれが刑事手続に用いられることを妨げないという立場をとることもできるが、私人の権利を保障するために制約をかける立場もありうる。日本では、今年3月に租税条約等実施特例法8条の2が改正され、税務情報が相手国の刑事手続で用いられる場合の、財務大臣の同意付与要件が定められた。
この問題に関する議論が詰められているとは言い難いが、憲法上の要請、及び個別の行政協力の特質に照らした対応が必要とされる(このような動向に鑑み、本書では、行政協力それ自体の形成にも紙幅を割いている。これに関連して、東京地判平成29・2・17未公刊では、国税庁が条約上の情報交換規定に基づき条約相手国に原告である日本人に関する情報要請をしたことの適法性が争われ、関連論考が既に出ている点も付記しておく)。
4 一方的法執行を巡る国際紛争とその収斂
越境犯罪に関しては、法人連結や取引を根拠にして自国法を適用することが少なくない〔序2章〕。かつては、米国による独占禁止法や輸出管理法が他国領域で生じた事案について適用され、対象となった国が自国企業に米国当局への情報提供を禁止する対抗法を立法するなどして、国際紛争が生じたことがあった。米国が主張する管轄権の基礎(効果主義等)が国際法上の対抗力を有するかについて見解の相違があったことも紛争の一因であった〔第I部1・2章〕。それに比べれば管轄権の基礎自体に争いはなかったが、証券法違反の罪や租税犯罪についても同様の対立が生じた〔第I部3・4章〕。
今日では、米国等が外国企業に対して法を執行する場合には、管轄権が適法であることを前提にし、答弁取引や訴追延期合意などに基づき、対象となる企業や金融機関の「同意」を得て情報を提出させることが多い。特に競争法違反の罪〔第I部1章〕、経済制裁法違反の罪〔第I部2章〕や外国公務員贈賄罪〔第Ⅱ部2章〕は、相当に広い範囲で米国法の適用が及ぶ。本書では、米国の実行を中心に扱ったが、競争当局の外国企業に対する法執行に関しては、EUと中国当局も熱心であることが報じられている。また、本年にEUで発効した個人情報保護に関する、一般データ保護規則も同様の効果をもたらしうる。
これらの実行とは対照的に、日本が法を適用する側に立つ時は、その管轄権の基礎に疑義が生じうる場合には、あくまでもそれを行使しない選択をする傾向があるように思われる。例えば競争法における効果主義は1980年代以降に欧州諸国がそれを受け入れてからはその適法性が正面から争われることは殆どなかった。しかし、日本はその採用すら慎重であった。そして、最判平成29・12・12民集71巻10号1958頁は、国際法上の立法管轄権の射程を先決的に検討することなく、独禁法所定の要件を限定解釈することによって、同法の適用範囲を画定するアプローチをとった。
また、東京高判平成28・12・7高刑69巻2号5頁では、捜査機関が差し押さえたパソコンの内容を複製したパソコンからメールサーバにアクセスし、閲覧、保存したメールの証拠能力が問題となった。裁判所は、当局は捜査活動において他国の主権に対する侵害を生じさせることがないよう、サーバコンピューターが外国に存在すると認められる場合には、基本的にリモートアクセスによる複写の処分を行うことは差し控え、国際捜査共助の捜査方法を取るべきであったとして、その証拠能力を否定した。ちなみに、捜査機関によるクラウドへのアクセスの可否については定まった見解はない。例えば米国で本年3月に成立したクラウド法(Clarifying Lawful Overseas Use of Data Act)は自国管轄下にあるプロバイダー等が外国に保存しているデータの当局への提出を原則として義務付けている。
このような場合に一律に管轄権行使を差し控えることが国益に資するとは限らない。政府が取るべき方針については熟議が必要であろう。
5 条約の国内的履行
越境犯罪の規制を条約の実施として国内的に履行する場合、従前の実践に比べて特徴的であるのは、加盟国が、その実施に関して、継続的に他国に対する説明責任を負う仕組みが導入されている点である。
一例が資金洗浄罪(2000年組織犯罪防止条約等)、テロ資金供与罪(1999年テロ資金供与防止条約、安保理決議1373)、及び、大量破壊兵器を拡散させないための金融措置(安保理決議1540、1718等)に関して勧告を出している金融活動作業部会(FATF)である。FATFは設立条約すら持たない政府間会合であり、字義通り、国がその勧告に従わなくても法的な責任は問われない。しかし、FATFでは参加国が相互に勧告の履行状況を審査して、その詳細な結果を公表している。日本は2008年の第3次対日審査で要改善項目を指摘され、さらに2014年には、全体会合で資金洗浄とテロ資金対処のための適切な立法を早急に行うように名指しで声明まで出されたことがあるため、順次法改正を行っている。これまで、例えば禁止される資金供与の範囲やゲートキーパー規制に関してFATFが求める法改正をすることには、日本国内で反対の声が強かったことは周知の事実である〔第Ⅲ部2章〕。しかしそのような国内での見解の相違が生じる局面でも、条約の履行が十分になされていることを、他国や国際機関に対して説明できることが必要になる。
終わりに
これらの例に示されているように、日本国内における、越境犯罪の国際的規制の実践は、まだ発展する余地を大いに残している。そしてそこで生じる諸問題に取り組むにあたっては、それぞれの犯罪が国際法上どのような性格を有するのか、私人の権利はいかなる基準で保障されるべきかという、本書で扱った問題は避けて通ることはできない。本書がその答えを適切に提供しているのかは読者の判断にお委ねするしかないが、筆者としても今後の展開を注視していきたいと考えている。