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書評


『アカウンタビリティから経営倫理へ――経済を超えるために』

国立環境研究所循環型社会システム研究室長 田崎智宏〔Tasaki Tomohiro〕

國部克彦/著
四六判,236頁,
本体2,700円+税

1 経済の制御という21世紀の最大テーマ

 「経済をいかに制御するか」

 これが本書が掲げる本質的な問いである。現在の経済は経済格差、金融システムの不安定化、財政赤字、労働問題、地球環境問題などの様々な問題を引き起こしている。しかもグローバル規模で、かつ歴史上まれにみるスピードで。環境負荷に着目すれば、日本人は自らの生活と仕事という人間活動を通じて、平均して一人あたり年間12.8トンもの資源を消費し、年間9.7トンもの温室効果ガス(二酸化炭素換算)を大気中に排出している。読者の皆様が家庭から出すごみ量を想像して欲しいのだが、家庭ごみの一人あたり排出量が平均して約0.2トンであるので、その量の約65倍の量の資源を消費しており、約50倍もの量の温室効果ガスを大気中に放出していることになる。膨大な量である。世界に目を向ければ、子供10人のうち1人程度が児童労働をしている状況で、一部の経済活動がそのような児童の将来の可能性を奪っている(労働により教育を受けられず、結果として雇用条件のよい就職が困難となる)。2000年から2016年にかけて世界における5歳未満の発育阻害(生後1000日の間に慢性的な栄養欠乏に陥ることで引き起こされる)は減少したものの、未だに1億5千万人が発育阻害である一方で、5歳未満の肥満は増加している。残念ながらグローバル経済は、この非人道的な生産物の配分状態を「見えざる手」によって制御できてはいない。

 このような状況のなか、2015年9月の国連総会では持続可能な開発目標(SDGs)が採択された。SDGsが掲げる17の目標と169のターゲットは、人類が2030年までに対応すべき問題が多岐に渡ることを物語っている。SDGsが国際社会や各国の人々に期待するように、これらの個別問題に的確に向き合って改善策を講じていくことは大切なことであろう。しかしながら、著者が第一に指摘するのは、引き起こされている多数の問題はいわば「症状」に過ぎないのであるから、対症療法ではなく、これらの症状を引き起こす「原因」に対応すること、すなわち、経済をいかに変えていくかにこそ目を向ける必要があるとする。また、著者はこの問題こそ21世紀を生きる人類に課せられた最大のテーマと位置づけるのである。

 ここで原因療法を掲げるということは、特に目新しいことではないと思う読者もいるだろう。しかしながら、あえてこの論点をこの著書が掲げることには今日的意義があると評者は考える。リーマン・ショックやサブプライム・ローン問題は経済システムの負の側面を端的に我々に示したし、近年顕著にみられる先進国におけるナショナリズムは、行き過ぎてコントロールが効かないグローバル経済への反射的反応としてみれば得心できるものである。平たく言えば、多くの人々がグローバル経済に翻弄されているのが今日である。このような経済そのものがもたらす問題を多くの人々が感じ取れる今日だからこそ、また、経済がもたらす影響に対して無力感を感じてきた今日だからこそ、この問いを明確に掲げる意義がある。

2 世界を変えるのは認識か行為か――積極的な会計論

 では、どうやって制御するのであろうか。著者が着目するのは会計である。

 正直、なぜ会計なのか、多くの人が戸惑うかもしれない。会計というものは、経済あるいは企業のなかで起きている事柄を金額として記述するものであり、なんら行為的な力をもたないからである。果たしてそうだろうか。著者は、哲学的視点からコペルニクス的転回をして読者に語りかける。そういえば、三島由紀夫は小説『金閣寺』のなかで、世界を変貌させるのは認識か行為かという問いを登場人物に語らせていた。当時20代の評者には理解できなかった視点であるが、認識で世界が変わるという発想には驚いたものである。著者は、偉大な言語学者であるソシュールが、言語に先だって対象が存在するという受動的言語観を否定し、現実が言語によって構成されているとした能動的言語観を打ち立てたことを参照しつつ、会計学にもそのような力があると考える。能動的な会計の誕生である。

 近年、評者が専門とする環境研究分野では、個々人の行動に働きかけることよりも社会システムを転換して人間が引き起こす環境負荷を低減することの重要性が認識され、いかにそのような社会転換が行われてきたかを研究するトランジション・マネージメントの分野が台頭してきている。我々個人は社会に「埋め込まれた」存在なのであり、我々はいやがおうにも社会の様々なシステムのなかで生きていかなければならない。それは交通のシステムであったり、流通のシステムであったり、慣習という名の社会システムであったり。それを否定して山奥に住み自給自足の生活を営むことは不可能ではないが、社会全体がそのような状態になることは考えにくい。個人に環境負荷を発生させる原因を突きつけ環境配慮行動の責任を求めても、個人個人は埋め込まれた存在であるために行動できることには限界があることから効果はさほど期待できない。だからこそ、個人を規定する社会システムの方に目を向けるのである。トランジション・マネージメントの分野をリードする研究者であるヒールズは、これらの社会システム(レジームという)を形成するルールとして三つの類型を提示しており、その一つが認識である。認識を変えることは、社会や経済を変える一つのステップとなるという考えは、著者の会計観や近年の環境研究とも共通している。「権力の行使は計算によって規則づけられる」とフーコーが指摘したように、会計が計測するものを変えていくことで、それらに基づいて行動判断をする企業や市場へと影響を与えていくのである。認識が先にあり、行動はその後に形成されていく。

3 公共性とは何か――多元的主義に基づく会計論とアカウンタビリティ

 それでは、現在の経済に欠けているのは何か。著者の論考を一言でまとめれば「公共性」といえる。冒頭で述べた様々な社会問題を解消・緩和し、人々が生きやすい社会をつくっていくということは、言い換えれば、公共性を高めていくことに他ならない。つまり、公共性の計測結果を会計に組み入れることが、21世紀の会計に求められる最大のテーマといえよう。

 では、公共性とは何か。実体をとらえにくい概念である。著者はこれまでの哲学者の考えを紐解いていく。アーレントは公共性が成立する条件として公開性と共通性があることを提示したそうであるが、これら2つの条件の前提として、複数の尊厳を持つ人々が存在するという複数性が重要な視点となる。人間社会における複数性を一元化してしまうものが貨幣であり、それは市場における交換可能な財やサービスを効率的に取引できるようにさせて人類に多大な便益をもたらしたが、富の蓄積を容易にして富裕層をさらに豊かにして結果としては格差を増大させ、加えて、その単一的な尺度によって公共性を浸食してきた(ハーバーマスもポランニーも同様に、経済による社会の浸食を問題視していた)。詰まるところ、複数性、すなわち貨幣以外の多元的な評価を会計に組み入れることが必要となる。このときの多元的な評価指標が有すべき条件としては、利益という視点に収束する指標でない、別の収束点を有する指標であると著者は主張する。また、このような指標としては、貨幣単位ではない物理的単位(例えば、物質量を示すトンなど)での指標の方が指標開発の難易度が低くなるとも述べている。

 方法論的なブレークスルーも必要であるが、著者は、そのような計算の組み入れが現実に機能する理論を構築することも大切と考える。これまでの同様の試みは提案に留まって、実務に普及することなく消えてしまったためである。あるいは、仮に、非財務指標の情報を開示していたとしても、これらの指標を活用して企業経営を行っていることとは全く別の問題であり、見かけだけの普及に留まってしまう恐れがあるからである。著者の新しい会計理論では、アカウンタビリティ(説明責任)が再定式化される。そこでは、資金の提供に対する通常の財務アカウンタビリティを超えて、社会に対する影響に関しても説明責任があるという社会アカウンタビリティの考えが参照される一方、デリダの責任論を軸として有限なアカウンタビリティから無限なアカウンタビリティへの理論展開がなされる。また、情報の開示だけでは不十分で、何らかのフィードバック・プロセスを導入することが大切であると主張し、双方向のアカウンタビリティの重要性を指摘する。

 ところで、著者は、貨幣単位での一元化された会計指標を多元的な指標に単純に置き換えるということを主張しているわけではない。一元的な指標と多元的な指標を対置させることで、一元的な会計指標では計算不可能であった様々な人々の要請を発見・獲得しようというのが著者のねらいである。そのため、複数の目標間で容易な妥協をしない闘技的多元主義の思考を持つことが大切であると説く。最初から予定調和的に合意を目指そうとする目に見えない圧力に屈せず、闘技的に多元性を議論することを重要視するものであり、これによってより多くの人々ならびにそれら人々の多元性を社会に取り込むことが可能になるという。先のSDGsでは「誰一人取り残さない(No one is left behind)」という理念が提示された。SDGsの策定プロセスでも多くの人々の闘技的な議論があった。企業経営においても闘技的議論とそのための能動的・多元的会計が実践されることを期待したい。幸いにも、多元的会計についてはグローバル経済のなかで実践の動きがすでに形作られつつある。より効果的な実践が紡ぎ出されていくための基盤として本書が刊行されたことを喜びたい。会計の専門書に留まらない骨太の哲学書でもあり、将来の経済の姿を果敢に提起する書籍である。

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