書評
『裁判実務フロンティア家事事件手続』
日本大学大学院法務研究科・創価大学大学院法務研究科客員教授 伊藤 眞〔Ito Makoto〕
1 はじめに――家事事件への招待
民事裁判の対象となる紛争は、多様である。近時の傾向としては、一般民事事件が減少しているのと比較して、離婚、親子関係などにかかる家事事件が増加していることが注目される(1)。その根本原因を何に求めるかついては、様々な指摘がなされているが、夫婦や親子関係などをめぐる社会意識の変化や高齢化社会の進行が背景となっており、この傾向は、今後ますます加速するであろう。一時期の民事事件の増加は、過払金バブルと呼ばれる現象に起因し、その終焉にともなって事件数も減少に転じたという見方もできよう(2)。これと比較すると、家事事件の増加は一過性のものではなく、実務法曹が社会において担うべき役割の中の比重が高まることを予感させられる。
もっとも、いかに家庭や相続をめぐる紛争が発生しようとも、実務の側でそれを受け止め、適正かつ迅速な解決を実現する力量を備えなければ、家庭裁判所における家事事件の増加にはつながらず、紛争が顕在化しないままに、社会の不安定要因となるおそれすらある。
ここでいう実務の担い手としては、裁判官、家事調停委員、弁護士はもちろん、家裁調査官、裁判所書記官を含み、これらの職種の協働があって始めて家事事件について司法の任務が果たされる。そして本書は、この協働のあるべき姿に関し、具体例に即し、それぞれの役割に応じて、いかなる主張、立証、調査、判断をすべきか、手続の細部に至るまで説き尽くしている。
2 本書の構成と特質
本書は、4つのEpisode、すなわち、第1に、「婚姻費用及び財産分与等離婚給付をめぐる争い〜ある会社経営者の離婚〜」、第2に、「監護・親権・面会交流をめぐる争い〜親子関係の再構築を目指して〜」、第3に、「成年後見の申立てと遺産分割紛争〜同族会社の株式をめぐるお家騒動〜」、第4に、「遺言書をめぐる相続紛争〜前妻の子と後婚の妻の対立〜」という事例を縦軸にし、依頼者と弁護士との相談から調停の成立や審判の確定などに至る事象の流れを横軸にし、紛争の解決までの道筋と、その過程で依頼者と弁護士、弁護士と調停委員会や裁判所との間にどのような相互の働きかけがなされ、それが実を結んだか、ときには結ばなかったかが描かれている。
⑴迫真のEpisode
もとより、4つのEpisodeは、「架空の事例をゼロから創作したもの」(本書はしがきi頁)であるが、編者および執筆者が、いずれも練達の実務家であり、その創作は、多くの実務経験とその中で得た知見にもとづいたものであろう。実例は、実例であるがゆえの限界があるのに対比すると、4つのEpisodeは、架空であるがゆえの普遍性を持ち、一つとして同一事例のない家事事件について、本書の記述を元にして、解決の在り方を読者自身が模索する手掛かりとすることができる。
その意味で本書は、入門書や手引書に代表される「与える書」にとどまらず、家事事件のより適切な解決を志向する実務家にとって「考える書」というべきであろう。
もちろん、本書には、「ポイント」や「コラム」として、それぞれの場面に関する法律の基礎知識や実務運用の説明があり、入門書としての役割も果たしうるし、また、各種の申立ての書式や添付書類、あるいは婚姻費用の分担や財産分与の算定方式、具体的相続分の計算方法などについての解説もなされ、手引書としての利用価値も高い。
⑵扉を開く
家事審判や家事調停は、訴訟における弁論や証拠調と異なって、非公開で行われるために、その経験を共有する機会に乏しい。また、依頼者と弁護士の打ち合わせや裁判官と調停委員の協議を外部から知るよしがないのも当然である。架空の設定とはいえ、打ち合わせ、評議、調査報告の内容などを活写する部分は、類似の状況に向かい合ったとき、どのような意見の交換がなされているであろうかを推測し、対応を検討するために、代理人弁護士にとって貴重な手掛かりとなろう。
3 家事紛争の特質と法律家の役割
夫婦、親子、兄弟姉妹など、家族関係は、人が生きる上でもっとも基本的かつ継続的なものであるがゆえに、離婚、親権、相続などをめぐる争いは、抜き差しならない感情の対立を孕むこととなる。それは、争いが、婚姻費用分担、財産分与、遺言の効力、遺留分減殺請求など、財産上の形をとっているときでも、変わることがない。
いいかえれば、代理人たる弁護士の立場であれ、調停委員や裁判官であれ、一方では、人の心の動きに対する洞察力を持つ必要があり、他方では、当事者の感情に流されず、何が最善の解決なのかを模索しなければならない。
⑴人に寄り添う
弁護士の職務遂行について「人に寄り添う」ことが説かれる(3)。ここでいう「寄り添う」ことの意味は、ときには、当事者の感情をなだめ、その利益実現に最善の方法を探ることであろう。また、公正中立な立場にある裁判官や調停委員であっても、対立する当事者や関係人の心情を理解し、利益の調和を図るという意味においては、同じく「人に寄り添う」心構えが求められよう。
Episode1においては、離婚を求める夫と、夫の不貞を理由にそれを拒絶し、逆に、婚姻費用の分担を求める別居中の妻、Episode2においては、7歳と5歳の子を連れて実家に帰った妻に対し子の引渡しを求める夫と、離婚と子の監護養育権を主張する妻、Episode3においては、会社創業者の妻であり大株主である母親の成年後見から遺産分割審判まで争いを続ける兄妹、Episode4においては、遺言にもとづいて被相続人の全財産を取得したと主張し、法定相続人の一人である先妻の子に対する相続廃除を求める後妻と、法定相続人の地位にもとづいて遺留分減殺請求を主張する先妻の子、いずれも、家族の歴史の中でそれぞれの言い分があり、解決不能の対立のようにみえる。
しかし、調停による合意であれ、審判を契機とした協議であれ、何らかの形で紛争を解決せずに放置すれば、関係人間の対立はますます激化し、かけがえのない人生を傷つけることとなり、社会に負の遺産を残すことになりかねない。
⑵手続進行の透明性と当事者の納得
家事事件も、紛争である以上、当事者や関係人の利害や主張の対立が根底にあり、調停や和解など合意による解決の場合には、互譲、すなわち互いに譲り合うことが不可欠であり、双方が完全な満足を受けることはありえない。しかし、家族関係の特質を考えれば、納得した上での互譲でなければ、紛争の解決に至ったとはいえないし、また、遺産分割審判などの裁判の場合には、「勝った」(その言い分の多くが認められた)側の当事者は満足をえ、「負けた」(その言い分の多くが否定された)側の当事者は、不満を残すようにみえるが、裁定の結果実現については、負けた側の納得感が鍵となろう。
代理人弁護士による当事者への説明はいうまでもないが、調停委員や裁判官が、手続の節目々に応じて、進行や公正中立な立場からの認識を明らかにすることが、納得感を得るために必須であり、それが得られて始めて、合意や審判の内容にしたがった結果の実現が期待できる。
Episode1ないし4を通じて、依頼者と弁護士との間の打ち合わせが繰り返され、調停期日開始時における説明や期日における意向聴取と説得活動は、このような納得感を醸成する基礎となっている。
Episode3「成年後見の申立てと遺産分割紛争〜同族会社の株式をめぐるお家騒動〜」のように、分割の対象となる遺産の範囲や評価、特別受益の有無、寄与分の評価など、複数の争点が存在し、かつ、会社の経営権の帰属が背景となっている事案では、最終的な経営の姿を想定しつつ、争点ごとに手続の段階を分け、合意形成を目指し、最終的な解決を追求する関係者の努力が示されているのは、その好例である。
⑶代理人弁護士の不可欠性
わが国の民事裁判制度においては、代理人弁護士の選任は必要的ではなく、本人訴訟として、当事者本人が訴訟手続を追行することが認められている。これは、家事事件手続においても変わるところがない。しかし、Episode1〜4のいずれをとっても、当事者本人が手続追行の主体となっていたとすれば、いかに裁判官、調停委員、家裁調査官が努力したとしても、紛争の解決は困難であったと思われる。
もちろん、弁護士を選任することは当事者にとって一定の経済的負担を意味するが、十分な資力がない当事者には、法テラス(日本司法支援センター)による援助もあり、また、資力のある当事者は、弁護士の活動によって、よりよい解決が得られることが納得できれば、進んで依頼をするはずである。
4 おわりに
家事事件に取り組む弁護士の姿勢について、「家事事件を解決するためには、多くの場合、粘り強い忍耐力と根気を要する。〜中略〜家事事件に関わる弁護士の役割は重要であり、その責任は極めて重い」と説かれているが(xxiii・xxiv頁)、その言葉の重みにたじろぐのではなく、本書を繙き、若手弁護士が積極的に家事事件を受任し、法曹に対する社会の信頼をよりいっそう高めるよう切望する。
(1) 裁判所ウェブサイトの統計情報によれば、民事・行政事件の新受事件数は、平成23年から漸減傾向にあるのと比較し、家事審判・調停事件の新受件数は、漸増傾向にある。
(2)福田剛久・民事訴訟の現在位置269頁(2017年、日本評論社)。
(3)四宮章夫・弁護士日記 すみれ(2015年、民事法研究会)、沼田美穂「女性弁護士のキャリア形成体験談――どんな経歴も自分の個性」第一東京弁護士会会報533号35頁(2017年)。