自著を語る
「三つの組織原理」説を現代に生かす
――『福祉国家の制度と組織 ――日本的特質の形成と展開』を上梓して
東北大学大学院経済学研究科教授 佐々木伯朗〔Sasaki Norio〕
本書の直接の目的は、第2次大戦後の日本が、地方交付税制度をはじめとした、福祉に適合的な財政制度を持ちつつも、現実には主として公共投資などの開発政策にその財源を用いてきたという、「福祉国家」としては異質なシステムが形成された原因を明らかにすることであった。この目的に対して、本書は、既存研究の問題点と分析枠組みの提示、福祉に関する諸制度の形成に関する日独比較、第2次大戦後のわが国の大都市および過疎地域の財政構造の検討を通じた開発政策と福祉政策の対比、という三部構成を取ってアプローチした。その結果、日本は、敗戦を契機とした表面的な福祉国家であり、社会の内的動因を欠くがゆえに、常に中央政府が支えていかねばならないシステムではないかと結論づけた。
本書で述べられている見解のいくつかは、これまでのわが国の財政学や社会保障論、地方自治論等から見れば相当に異質なものであろうが、それらを裏付ける十分な考察や実証が不足しているのではないかという指摘は素直に受け止めたい。その上で、ここでは、本書の考察全体の理論的な中核となっている「経済における三つの組織原理」について述べることとしたい。
福祉やコミュニティ論の研究者にはよく知られている「福祉トライアングル」と呼ばれる図がある。これは、国家、市場、コミュニティをそれぞれ頂点とする三角形の中心に「第三セクター」が位置しているものである。それぞれの頂点は、公共–民間、営利–非営利、公式–非公式という三つの基準によって他の二つの頂点から区別される。この図は、考案者であるV.ペストフをはじめとした、福祉国家から福祉社会への転換の中で第三セクターの役割を重視する各国の研究者によって用いられている(本書の中では「ペストフの三角形」と呼んでいる)。わが国では「第三セクター」というと、もっぱら公共サービスの民営化との関連で作られた、半官半民の会社を指す言葉として用いられているが、こちらはより政府からの独立性が高い概念である。
この「福祉トライアングル」では、コミュニティ(家計・家族を含む)が、社会サービスを生産するという意味で、国家、企業と並んで経済を構成する3番目の主体として捉えられており、また、協同組合やNPO、ボランティア等からなる第三セクターは、上記三者の混合領域として、社会サービスの提供の一翼を担い、公共部門への社会サービス提供の働きかけを行うなど、市民社会の中心的な役割を持つとされる。しかし、この図式は、家計・家族の行動が「非営利」に固定化されている点や、民間非営利部門が明確な基準なしにコミュニティと第三セクターに分割されてしまう等の問題がある。筆者の見る限り、その根本的な原因は、家計やコミュニティといった非公式な組織を政府、企業という公式な組織と同じ次元で扱っていることにある。F.テンニースの言葉を借りるなら、前者はゲマインシャフトであり、後者はゲゼルシャフトなのである。本書でも述べたが、ゲマインシャフトは血縁等を根拠とした自然的な集団であり、後者は目的ごとに人為的に作られた集団である。ゲマインシャフトの場合、存続するためにはいかなる行動も取り得るのであって、自営業として市場に参画する場合もあれば、家産制的に国家を支配する場合もある。これに対してゲゼルシャフトは、活動目的に応じて特有の形態と行動様式を示すことになる。本来、社会や経済の構成を示す図式において両者は明確に区別される必要がある。
19世紀から20世紀初めにかけて世界の財政学をリードしたドイツの研究者たちは、この点をよく理解していた。その中心人物の1人A.ワグナーの『政治経済学基礎』(Grundlegung der Politischen Oekonomie, 1893)では、国民経済を構成する組織について一編を使って詳述されている。そこでは、まず国民経済そのものが、家族のような自然的な組織とは区別された人為的組織であると明確に述べられる。その上で、国民経済は、「私経済的または個人的」、「強制共同経済的」、および「慈善的」の三つの原理とそれぞれに対応する経済組織から構成されるとする(なお、この三つの原理に関しては、ワグナーと同時代の著名な財政学者A.シェフレも同一の見解を持っていたようである)。「私経済的または個人的」組織とはいうまでもなく企業のことであり、「強制共同経済的」とは国家のことである。注目すべきは3番目の「慈善的」組織である。ワグナーは同書で、その最も典型的な事例として、古くから慈善活動を行っていた教会ではなく、相互的な団体、典型的には保険団体を挙げている。つまり、ワグナーはこの時代にすでに互酬的な活動が、市場における交換、国家における再分配と並んで経済システムにおける重要な柱であると考えていたのである。ちなみに、ワグナーはシェフレと共に、1860〜70年代にドイツでなされた、生命保険会社の形態のあり方に関する論争において、株式会社ではなく相互会社形態が望ましいと強く主張している。
わが国の経済学研究の草分けである福田徳三は19世紀末当時の経済学の状況を評して、イギリスの経済学は経済行為の研究を中心とし、ドイツの経済学は経済組織の研究を中心としていると述べた。現在でこそ、イギリス経済学を源流とする経済理論が主流となっているが、現代に通じる経済組織の研究が存在していたという意味で、ドイツ語圏の経済学の成果は無視できない意義を持っているのである。
さて、本書で示した上の図が、前記の三つの原理とそれに対応した組織を筆者なりに具体化したものである。先に述べたとおり、家族・共同体は図の中心部に置かれ、他の人為的組織とは区別されている。そして、「福祉トライアングル」では中心部にあった「第三セクター」は、三角形の左端に「慈善・相互扶助組織」として配置されている。また、頂点と頂点の間の各辺は、両方の機能を併せ持つ組織に対応する。下辺の「社会的企業」は、社会活動を行う企業は必ずしも非営利であるとは限らないことを示している。また、各頂点に対応する組織原理を、本書では改めて「市場原理」、「再分配原理」、「互酬的原理」とした。この図が、冒頭で述べた課題にアプローチするための、出発点なのである。
「互酬的原理」については、K.ポランニーの経済人類学の研究でもおなじみの概念であるが、経済分析の俎上に置くためには、この概念の何らかの定式化が必要である。本書では、近年学問領域の境界を越えて発展が著しい「進化ゲーム理論」にその可能性を求めている。具体的には、R.サグデンによって「勇気ある互酬性」と表現されたように、繰り返しゲームの最初において相手の情報が分からない中で「協力」を選ぶことが、最終的な自分の利得も最大にできる。かかる互酬性を持った個人によって形成される相互扶助的な集団が、三角形の第三極を形成するのである。
以上の考え方によれば、この「第三極」が経済全体においてどれだけの大きさを占めるかが、「福祉ミックス」の成否に大きく関わってくることになる。つまり、それまで国家によって提供されてきたサービスを、営利目的ではない民間団体、すなわち図の第三極に任せようとしても、この部分の資源が小さな経済ではうまく行かないであろう、というのが政策的な示唆となる。もっとも、GDPや労働力等に占める「第三セクター」の比重の定量化は、近年各国で精力的に行われているものの、筆者の知る限り、十分な国際比較が可能な状況には至っていない。第三セクターの活動は、「社会的経済」もしくは「連帯経済」とも呼ばれてきたが、前述の通りそこには営利企業も含まれることが、定量化を困難にしている理由の一つであろう。本書では、第1章の社会支出の国際比較の箇所で、民間社会支出の重要性を指摘するにとどめているが、最新の状況を今後もフォローしていきたいと考えている。
最後になるが、これまで述べた理論的な背景とは別に、本書における筆者の問題意識を生み出したのは、これまで筆者が参加したさまざまな実地調査において感じた、わが国の社会保障における制度と現実のギャップである。農山村自治体では、医療・福祉関係の歳出の比重が大きくなったにも関わらず、政策的な優先順位が地域開発にくらべて低いことが、各種の資料でも、また担当者へのヒアリングを通じても明らかであった。また、大都市自治体においても医療、介護等の収益性が低いサービスが、民営化や指定管理者制度の主たる対象となっていること、また、少子化にも関わらず保育サービスで供給不足が生じていること等が、やはり社会サービスに対する政策的優先度の低さを表している。かかる「制度と現実のギャップ」の起源について、本書で示した一応の解答は、第2次大戦直後に成立した、福祉重視の憲法および各種の法制度であった。ただし、先に述べた通り、本書で述べた見解は、前述の考え方と若干の補強的事実から導かれたものに過ぎない。今後、肯定的結果になるか否定的結果になるかはともかく、本書で示した「三つの組織原理」に基づいた、本格的な国際比較や実証分析をさらに進めていきたいと考えている。