自著を語る
『現代哲学キーワード』(有斐閣双書キーワード)
東北大学名誉教授・総長特命教授 野家啓一〔Noe Keiichi〕
10年越しの企画がようやく実を結び、正直言って肩の荷を降ろした思いでいる。早くから原稿をお寄せいただいた執筆者の方々には、非常識なほどお待たせしてしまったことに対し、この場を借りて厚く御礼と共にお詫びを申し上げたい。そして何よりも、編集作業の道半ば、平成22年(2010年)2月に闘病のすえ50代半ばで夭逝された共編者の門脇俊介さんの墓前に刊行の報告をし、謹んで本書を捧げたい。出来栄えを肴に祝杯を挙げることのできなかったことが何とも心残りである。そのような事情なので、いささか私事にわたることながら、門脇さんの思い出から筆を起こすことをお許しいただきたい。
門脇俊介さんのこと
門脇さんとのお付き合いが始まったのは、たしか彼が昭和61年(1986年)に山形大学人文学部に助教授として赴任してこられた頃のことだったと記憶する。もちろん、それ以前から若手の俊秀として名前は存じ上げていたが、酒席を共にするようになったのは、私が所属する東北大学での哲学研究会や東北哲学会に門脇さんが参加されるようになり、私の方も山形大学へ集中講義に伺ったりしたことがきっかけであった。
門脇さんはハイデガー哲学を専門としながらも分析哲学の領域にも造詣が深く、私の方は分析哲学や科学哲学を専門としながらもフッサールの現象学に強く惹かれていたという合わせ鏡のような学問的関心をもっていたこともあり、お互いに啓発し合う面も少なくなかった。
そのような関係は門脇さんが平成2年(1990年)に東京大学教養学部に転任されてからも続き、私としては分析哲学と現象学の架橋という目標へ向かう心強い同志を得た思いがしていたのである。とりわけ彼が平成14年(2002年)に上梓した『理由の空間の現象学』(創文社)は、アメリカの哲学者W・セラーズが提起した「理由の空間」という概念を基盤に、表象主義と自然主義を批判する彼独自の現象学的哲学を展開したものであり、私は大いに刺激と示唆を受けた。
そんなわけで、雑誌『創文』からその本の書評を依頼されたとき、一も二もなくお引き受けするとともに、一方ではその反自然主義的スタンスを高く評価しながらも、他方で「命題的信念」が「知覚的経験」によって正当化されるという彼の主張に対していささかの疑問を呈することになった。その書評が『創文』443号(2002年)に掲載された後で、門脇さんを東北大学にお招きして『理由の空間の現象学』の書評会を開き、彼と私の間でその点をめぐって論戦となったことも、今となってはなつかしい思い出である。
そうした背景があったので、有斐閣の編集部から『現代哲学キーワード』出版の依頼を受けた時、まっさきに協力者として私の念頭に浮かんだのは門脇さんであり、また彼の意欲的な著作『現代哲学』(産業図書、1996年)のことであった。この本は「哲学教科書シリーズ」の1冊として刊行されたものだが、入門書にしておくのはもったいないほど、彼が構想する現代哲学の見取り図が的確かつ明晰に描き出された好著であり、大陸哲学と分析哲学の双方に目配りのきいた過不足ない構成になっていたからである。
しかも、有力な哲学者や学派を叙述の柱にするのではなく、それらを横断する対立軸や問題群を前面に出した魅力的な目次立てになっていた。たとえば「自然主義と反自然主義」「ア・プリオリとア・ポステリオリ」「言語論的転回」「意味の解体」「心身問題」といった具合である。
私の目論見としては、この門脇さんの著作を土台にしながら、その構成を敷衍・拡張することによって、これまでにないユニークなキーワード集ができるのではないか、と考えたのである。そのような構想を門脇さんにお話しして編者としての協力を求めたところ、二つ返事でお引き受けくださり、それからは二人三脚というよりは、むしろ門脇さんのイニシアティブで項目選定や執筆者選びが始まった。この共同作業の期間は、いま思い返してみても、私にとっては学問的刺激と知的快楽に満ちた得難い時間であった。
ところが、執筆依頼が終わり、少しずつ原稿も集まり始めて査読の段階に入ったころから、門脇さんは東京大学グローバルCOE「共生のための国際哲学教育研究センター(UTCP)」の中心メンバーとして多忙を極められるようになり、私の方も勤務先の大学の管理職の仕事で忙殺されるようになった。そんな折も折、門脇さんは難しい病を得られて闘病生活を余儀なくされ、ついには幽明境を異にするに至ったのである。
私としては片腕をもぎとられるようなショックを受け、しばらくの間は編集作業も手につかず、途方に暮れるばかりであった。ただし、門脇さんはご自分の分担項目の執筆と担当された査読原稿へのコメントはとどこおりなく終えられていたことを、ここに感謝の念をこめて記しておきたい。
本書の狙いと構成
哲学や思想の領域に限っても、「キーワード」をタイトルに冠した書物は、R・ウィリアムズ『[完訳]キーワード辞典』(平凡社ライブラリー、2011年)をはじめ枚挙にいとまのないほどである。わが国では木田元(編)『哲学キーワード事典』(新書館、2004年)などが代表的なものであろう。これらはいずれもその内容と構成において優れたものであり、私自身も時おり参照してはその恩恵にあずかっている。
ただ1つ不満があるとすれば、項目の配列が50音順(アルファベット順)になっているか、歴史的な時代順に並べられていることである。50音順の場合には関連する項目が離れすぎていて検索が二度手間になるし、時代順の場合には歴史を貫く共通の問題が捉えにくい憾みが残る。そのような難点を避けるために、私たちのとった方針は以下のようなものであった。
(1)現代哲学の全体像を歴史的観点からではなく、問題群を中心に体系的観点から捉えなおす章立てならびに項目選定とする。
(2)現代哲学の主要な対立軸と論争点を浮き彫りにするとともに、哲学書を読むうえで不可欠の基本概念についてわかりやすい解説を行う。
(3)全体を問題群に即して10章立てとし、各章をさらに8〜10項目ほどのキーワードに分節化することにより、その章を読むことで当該分野の大まかな見取り図を俯瞰できるようにする。
(4)各章の担当・執筆者は1人として独立性および完結性を重視し、基本概念については標準的な論述を行うが、その上でなら各執筆者の見解や主張を積極的に打ち出してかまわない。
以上のような方針のもとに章立てを考えたが、第1章には編者2人が担当する「現代哲学の座標軸」を置いて20世紀以降の哲学の全体像を基本的な対立軸と論争状況を通じて明らかにすることを試みた。門脇さんが執筆を担当したのは、そのうち「実在論/反実在論」「自然主義/反自然主義」「基礎づけ主義/反基礎づけ主義」「表象主義/反表象主義」「要素論/全体論」という本書の基軸となる五項目である。
これまでならば、現代哲学は生の哲学、実存主義、マルクス主義、現象学、分析哲学、プラグマティズムといった主要な学派ごとにその特徴を描き出すのが通例であったが、本書ではそれらを横断する座標軸を明示的に取り出すことによって、「様々な意匠」のもとに覆い隠されてきた対立構造を浮き彫りにすることを目指した。
第2章以下は「論理」「知識」「言語」「行為」「心の哲学」「科学」「時間と形而上学」「価値と倫理」「人間」といった大きなテーマに即して、それぞれがさらに幾つかのキーワードに分節化されるという構成をとっている。
たとえば「人間」は一筋縄ではいかない概念であるが、古来の「理性的動物」や「道具を作る動物」といった定義ではなく、乱反射する現代哲学の切り口に沿って「超越論的主観性」「世界内存在」「本質存在/現実存在」「身体」「無意識」「自己/他者」「セクシュアリティ」「バイオポリティックス(生-政治学)」といった項目に細分化されている。現代の「理性的動物」は、純粋精神であるのみならず身体、無意識、セクシュアリティといったスティグマ(傷跡にして聖痕)を身に帯びているからである。
おわりに
本書の執筆依頼から完成まで、私自身もこれほどの時間を要するとは思いもよらなかった。しかも最終段階に至って、どうしても原稿をいただけなかった執筆者の方に交代をお願いする決断をせざるをえなかったことは、何とも残念というほかはない。
ただ、当時はポスドクを含め新進気鋭の若手研究者であった執筆者の方々が、今日では学会の中心として重きをなし、縦横に活躍されている姿を見ることができたのは、編者の1人として何よりの喜びであり、持って瞑すべしと言わねばならない。あとは本書が年若い読者の手に渡り、現代哲学の森を散策する地図とも道しるべともなってくれることを、いまは亡き門脇さんと共に願うばかりである。