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書斎の窓

自著を語る


『非常時対応の社会科学――法学と経済学の共同の試み

一橋大学大学院経済学研究科教授 齊藤誠〔Saito Makoto〕

齊藤誠,野田博/編
A5判,444頁,
本体3,900円+税

 『非常時対応の社会科学――法学と経済学の共同の試み』は、日本学術振興会(以下、学振)の「課題設定による先導的人文学・社会科学研究推進事業」(以下、課題設定事業)において、2013年度から2015年度にかけて取り組んできた研究プロジェクトの成果を取りまとめたものである。

 「自著を語る」という標題とは若干趣旨を異にしてしまうかもしれないが、このエッセーでは、本書の中身というよりも(本書の中身は本書自体で語りつくした以上でも、以下でもないので……)、本書の背景となった研究プロジェクトの周辺らしきものを脈絡もなく語ってみたい。

 本書のサブタイトルにある「法学と経済学の共同の試み」と聞いて、読者がすぐに思い浮かべるのは、‘Law and Economics’、あるいは、「法と経済学」と呼ばれる経済学分野でないであろうか。「法と経済学」は、経済学の研究手法を法学の世界に持ち込んで法体系を経済学的に分析する学問分野である。

 しかし、野田博先生(当時一橋大学法学研究科教授、現在は中央大学法学部教授)とともに私が本プロジェクトに着手したときに研究アプローチに対して抱いていたイメージは、すべてがすべて「法と経済学」の研究手法と一致しているわけではなかった。「法と経済学」の研究手法を尊重しつつも、「非常時対応」という研究課題を、法学であれ、経済学であれ、どちらかの分野の研究手法だけに縛り付けることは意図していなかった。

 そうではなくて、それぞれの分野の研究手法を重んじながら、「非常時対応」という研究対象において、お互いに関心を持てる領域が存在するのかどうかを、言葉の交換でもって手探りするような試みであった。したがって、すでに確立された研究手法と明確に定義された研究対象が最初の最初にあって、研究に着手するというような通常の研究プロジェクトとは大きく事情を異にしていた。

 こうした変則的な(?)研究プロジェクトに取り組むきっかけは、自分の研究分野に内在的な動機から決して生まれてこない。研究手法も研究対象も明確でない研究プロジェクトに取り組んだとしても、研究成果を公表する機会の見当がさっぱりつかないし、そもそも、何をもって研究プロジェクトの成功と判断できるのかも定かでないからである。率直にいって、そうした研究プロジェクトは、特定の専門分野を持つ研究者として取り組むには、危険きわまりない企画でしかない。

 それにもかかわらず、なぜ、そのようにリスキーな研究プロジェクトに取り組むことになったのか。

 「社会科学の大学である一橋大学で課題設定事業に応募して、非常時対応の学際的研究に取り組んでみてはどうか?」という話が持ち上がったときも、私は、先に述べたような事情から躊躇する気持ちが強かったように思う。それにもかかわらず、最終的に応募してみようと決心したのは、同時期に私自身が班長を務めていた学振・東日本大震災学術調査マクロ経済班での研究体験が強く影響していたように思う。

 東日本大震災のように経済社会に対してきわめて甚大で複雑な影響をもたらした事象を研究対象とする場合には、経済学の研究手法だけでは二進も三進もいかないことを痛いほど思い知らされたからである。

 たとえば、多くの経済学研究者は、津波被災した地域の高台移転や内陸移転について、当初から否定的であったと思う。費用対効果を考えれば、津波被災地域ごとに造成や新築の費用がかさむ移転事業を展開するよりも、内陸部の空き家や空き地を有効活用しながら社会資本を集約した町づくりを進めていく方が効率的であると考えたからである。復興構想会議の提言が高台・内陸移転を前面に押し出したときも、私は、「何を夢物語りのようなことを」という印象を持った。しかし、現実には、高台・内陸移転事業のために莫大な予算がつき、その制度化のために、防災集団移転促進事業という既存の法的枠組みが用いられた。このようにして高台・内陸移転事業は、強力に推進されてきたのである。

 恥ずかしながら、私は、大震災直後に、高台・内陸移転事業に膨大な予算が手当てされる見込みなどまったく持っていなかったし、防災集団移転促進事業という既存の制度的枠組みに関する知識もまったく持ち合わせていなかった。法や制度に対する透徹した理解なしに、経済学研究者が「費用対効果」や「効率性」という基準だけを振りかざして政策提言を試みても、現実の政策決定プロセスにおいて蚊帳の外に留まらざるをえなかったのである。

 福島第一原子力発電所事故に起因する原子力損害賠償や廃炉をめぐる費用負担についても、非常に複雑な思いをもって事態の推移を見守らざるをえなかった。原発事故後のかなり早い時期から、損害賠償や廃炉に関わる費用にかなりの国民負担が必要であることは私にも見当がついた。私は、費用捻出に徴税が用いられるのだと当然のごとく思っていた。しかし、現実には、エネルギー対策特別会計が借入を行って立て替え払いをし、その返済財源は、当初、全国の電力利用者に求め、いずれは、国費投入を考えていかざるをえなくなる原子力損害賠償支援機構の仕組みがあっという間に立ち上げられてしまった。当時、私は、原子力損害賠償支援機構にどのような法的根拠があるのかを適切に評価できるような知識をまったく持ち合わせていなかった。

 このように自然災害への政策対応における法や制度に関する知識について自分自身が致命的な不足を感じていたまさにそのときに、課題設定事業への応募の打診を受けた。いくつかの経緯を経て「まずは、法学と経済学の研究グループで」ということで研究プロジェクトを引き受けることになった。

 研究グループを立ち上げていく際には、野田先生を紹介していただいた。野田先生は、さっそく一橋大学法学研究科の山本和彦先生、小粥太郎先生、仮屋広郷先生、薄井一成先生からなる法学班を組成された。また、課題設定事業は、実務家との交流も念頭に置かれていたので、自然災害対応の法実務に詳しい岡本正弁護士に研究プロジェクトに参加していただいた。

 研究プロジェクトにおける私の最初の仕事は、経済学班を立ち上げることであった。経済学班を組成する際には、行政実務経験のある経済学研究者を念頭に置いた。渡辺智之先生(一橋大学)と國枝繁樹先生(一橋大学)が財務省で、北村行伸先生(一橋大学)がOECDや日本銀行で、小林慶一郎先生(慶応大学)が経済産業省で、中川雅之先生(日本大学)が旧建設省でそれぞれ行政に携わってこられた。さらには、大規模自然災害時の財政対応に研究実績のあった佐藤主光先生(一橋大学)に加わっていただいた。

 研究プロジェクトが始まった当初、本当にプロジェクトを完遂することができるのかどうか、私にはまったく自信がなかった。同じキャンパスにいながら日頃は話す機会など滅多になかった経済学研究者と法学研究者が集った合同研究会は、当初、竜馬不在の薩長会合のように静まり返っていた。しかし、季節の和菓子の話題から研究会を始めることが恒例になってからは、メンバーどうしが次第に打ち解けていった結果、合同研究会の議論も徐々に活発となっていった。

 学期中に月1回のペースで持たれた合同研究会は、まさに、法学研究者、経済学研究者、実務家が、非常時対応について、共通の関心領域を探り当てる機会となったように思う。回を重ねるにつれて、私は合同研究会が待ち遠しくもなった。合同研究会は、私にとって、先にも言及した防災集団移転促進事業や原子力損害賠償機構をめぐる制度的な議論について理解を深める機会ともなった。

 研究プロジェクトが始まってから、私自身が新たに取り組んだテーマもあった。2014年9月にいわゆる「吉田調書」が公表されて、原発事故当時の現場の対応や東電本部・規制当局の指示が、事故時運転操作手順書(危機対応マニュアル)と整合的であったかどうかを、部外者の人間でもある程度検証することができるようになった。私は、「吉田調書」、政府事故調査委員会報告書、東電テレビ会議記録、そして、事故時運転操作手順書の厖大な資料と格闘しながら、非常時の行動規範としての非常時対応マニュアルについて、考察を深めることができた。

 本研究プロジェクトの成果は、当初から、研究書として編集して有斐閣から出版することを予定していたので、合同研究会は、ブックコンファレンスの役割も果たしていた。毎回、議事を録音してテープ起こしをし、有斐閣の渡部一樹さんに編集をしてもらった。

 本書の終章「非常時における裁量と規範に関する若干の考察︱︱法学者、経済学者、実務家との対話を通じて」は、まさに法学者と経済学者の間の、大学研究者と実務家の間の対話を通じて共通の関心領域を探り当てようとしてきた記録である。

 私は、本研究プロジェクトに参画した経験が自分自身の経済学研究にどのような影響を及ぼしてきたのか、そして、及ぼしていくのか、正直なところ分からない。しかし、きっと、私の経済学研究のぎすぎすしたところが少しばかりなめらかになり、切れ味が鈍かったところが少しばかり鋭さをますのでないかと、若干の希望的観測を持っている。

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