自著を語る
『ストーリーで学ぶ開発経済学――途上国の暮らしを考える』
(有斐閣ストゥディア)
途上国の希望と開発経済学――出会いと感謝の冒険にむけて
関西学院大学経済学部准教授 栗田匡相〔Kurita Kyosuke〕
一橋大学経済研究所教授 黒崎卓〔Kurosaki Takashi〕
「恩返しをしたい」というのが、本書執筆の動機でした。私たちは、世代は一回り程度違いますが、大学時代にバックパックを背負ってインドを旅し、インドのみならず開発途上の国々が持つ不可思議な豊穣さに、今も魅せられ続けているという点で共通しています。そんな私たちが、初学者向けのテキストを手掛けた時に思ったことは、私たちが途上国を見て考えてきたことをわかりやすく伝えられれば、その経験を、まだ海外に行ったことのない人々にも届けられるかもしれないというお節介な気持ちと、その伝達が新たなつながりを生み、かの国に思いをはせる人が増えることで、私たちに豊かな経験を与え続けてくれた途上国の人々と経済に何らかの恩返しになるかもしれないという感謝の気持ちでした。
そこで、「途上国の生活がイメージできるような仕掛けを随所に盛り込み、同時に開発経済学のミクロ・マクロ両方に目配りができ、最新の研究を取り入れながら、途上国に対する学生の関心に答えつつ、考える力を引き出す初学者向けのテキストにする」との企画内容を有斐閣から頂いた時、喜んでお引き受けしました。とはいえこの欲張りな依頼に応えるのは簡単ではなく、当初よりも大幅に出版が遅れました。
色々と悩んだ結果、私たちが出した答えは、アスー国という架空の途上国の物語に読者の皆さんを招待するというものでした。ただし、そこで語られる物語は、幸せなものとは言いがたく、貧しさゆえの問題が山積する途上国の現状を反映したものになっています。でもなぜ、小説家でもない私たちが架空の国の物語を考えるといった無茶なことをしたのでしょうか。
開発経済学は一国全体の経済発展について考えます。アスー国の辺鄙な村に住む老夫婦の生活、首都の環境問題など、考えるべきことはたくさんあります。しかし問題を考えると言っても、闇雲にお金をかけて援助をすればいいという話ではありません。大切なことは、途上国で起きているさまざまな出来事の背後にある因果関係、経済・社会のダイナミズムを捉えるための客観性や論理性を重視した分析的な目を持つこと、そしてそれと同時に、私たちとは異なる環境で生活している他者への敬意を払うことです。どちらか一方だけでは駄目で両方が必要です。そのために、執筆前の段階では、特定の途上国や研究プロジェクトにまつわるエピソードを用いて開発経済学を学習するスタイルも考えましたが、それでは途上国の魅力や複雑さ、そうした国々の経済発展を考える開発経済学の奥深さや面白さがうまく伝わらないと判断して、物語を考えることになりました。それがどれだけ功を奏したのかは読者の判断にゆだねたいと思います。
各章は、アスー国を舞台に繰り広げられる日々の生活から浮かび上がる開発課題をどのように開発経済学が考え、解決策や政策を導き出すのかという構成になっています。同時に、各章の内容が次の章にうまく伝わるように本全体を貫く物語も設定しています。
途上国の貧困者の大半は農村に住んでいます。そこで本書の物語は、アスー国の農村に住むムギさん(農民)の生活というミクロの話から始まります(第1章)。例えば、稲作農家のムギさんは、次の様な問題を抱えています。
① 土地生産性が低く、十分な食料を生産できない。
② 地主に高い小作料を取られる。
③ 毎年の作物の出来、不出来で、生活が大きく揺れ動く。
④ 新技術に関心はあるが、正確なやり方がわからないし、割高な投入財を使って成果が出なければ借金だけが残る。
各章の主題にあわせて、こうした問題を最初にあぶり出し、その後に、それらに対応した分析や処方箋、開発政策を紹介しています。例えば、第1章で紹介されているハウスホールド・モデルというミクロ経済学の理論を用いると、一見すると非合理的な農民の経済行動が、実はとても理にかなった対応をしていることが理解できます。のどかな途上国の農村の雰囲気は、ともすれば、農民達が貧しいのは彼らがのんびりとした生活をしすぎているからだという早まった結論につながりがちです。しかし、そのように見えるのは、彼らの日々の生活に存在するさまざまな制約条件や農民の意志決定のプロセスに目が届いていないからなのです。一昔前のマクロ面だけを重視するような開発経済学を勉強された方々には、新鮮な驚きを持って読んでいただけると思います。
さて、物語が進んでいく中で、ムギさんの村にもさまざまな変化が訪れ、農業生産性の改善や、農村経済の多様化を通じて、農村の人々も徐々に貧困を脱却していきます(第2章)。その過程では、教育環境の改善(第3章)や農村から都市部への人口移動、農業から工業・サービス業への労働移動(第4章)が重要になります。農村から都市に出て、工場で働くようになるという変化は、多くの途上国が経験してきたことです。
こうして物語は少しずつ、農村から都市部、あるいはミクロからマクロの話に変わっていきます。マクロの話になると、政府の役割が重要になってきます。そこで、マクロ編では、政府の駆け出し官僚であるマメさんを中心にストーリーが展開していきます。マメさんはアスー国の大学で経済学士号を優秀な成績で取得。この国を発展させるという熱い思いを胸に、アスー国の開発計画を作成する経済開発省に入った青年です。ただそんな優秀なマメさんでも、自国が抱えるさまざまな課題を目の当たりにして悩むことも多くなります。上司のティーさんに助けられながら、マメさんは持ち前の明るさとひたむきに勉強することで、それぞれの課題を経済学的に分析し、その解決策をひねり出そうと奮闘します。
途上国の工業やサービス業においても、企業家は日々、生産性改善の努力を進めています。それに成功した企業は成長し、そのような企業に働く労働者の生活も向上していきます(第5章)。農業や工業やサービス業の生産性が向上していくことを産業発展と呼んでもいいでしょう。生産性向上には、技術移転が鍵になります(第6章)。マメさんは、自国の国際化や技術移転、産業構造の発展について、アスー国だけではなく隣国でより発展の進んだナカツ国での工場視察などにも精力的に出かけ、現場で起きている現実にも目を向けながら知見を広めていきます。経済の潤滑油とも呼ばれる金融のあり方や他国からの開発援助(日本人のヨネさんも登場します)、さらには環境問題といった課題にもマメさんは果敢に立ち向かいます(第7〜9章)。
途上国が豊かになるにはどうしたらよいか、本書のエピローグでは、ムギさんの次男で首都に出稼ぎに出ているライチさんとマメさんが偶然出会い、アスー国の成長と貧困削減に関して思いを伝え合います。
本書の補論では、類書では扱われることが少ない「フィールド調査の実際」についても触れています。大学や書籍で勉強するだけではなくて、自ら途上国へ赴き、データを収集し分析を行うことは決して不可能なことではないのです。ただし、そのためにはきちんとした事前の準備を行うことが必要です。その準備やプロセスについて私たちの経験をもとにまとめました。また、最近の日本では主に教育政策をめぐって脚光を浴びるようになったランダム化比較実験(RCT)についても取り上げていますが、この分野での最先端は開発経済学なのです。私たちもこの手法を用いた研究を行っていますが、「フィールド調査の実際」と併せてお読みいただくことで、本書が最先端の手法を用いた調査研究をするための一助になればと考えています。
フィールドへ出かけると思いもよらない出会いや出来事に遭遇します。それもまた調査の醍醐味です。参加学生の1人は、牛を50頭やるから嫁に来ないかと遠く日本から離れたケニアの農村でプロポーズされました。まさに予想不可能なハプニングですね。
本書は以下の様に締めくくられています。
「マメさんやティーさんがどのようにこの国の舵取りをしていくのか、アスー国の将来はどのようになるのか、それを想像し、物語を完成させていくのは、この本を読んでくださったみなさんに任せたいと思います。アスー国、そして似たような多くの途上国の将来こそ、この本の「希望」そのものなのです。」
私たち著者はそれぞれ20年前、30年前にバックパッカーとしてインドへ出かけました。遠藤周作の『深い河』に登場した女神チャームンダーを実際に見てみたいという単純な思いでガンジス川のほとりに立った若造が、こんなテキストを書くとはまったく思っていなかったのに、今振り返ると、その時とのつながりが見えることに驚きと喜びとそして感謝の気持ちでいっぱいになります。だからこそ、本書との出会いが「希望」を生み、そして途上国の将来にとって実りあるものになることを祈っています。
「人々はその出会うすべての人から教えられ、その途上に落ちているあらゆる物によって富まされる。最大なる人は最もしばしば授けられた人である。」(寺田寅彦によるジョン・ラスキンの引用。出所「浅草紙」『寺田寅彦全集 第三巻』岩波書店、1997年)