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書斎の窓

自著を語る


『はじめてのEU法』

慶應義塾大学法務研究科教授(ジャン・モネ・チェア) 庄司克宏〔Shoji Katsuhiro〕

庄司克宏/著
四六判,360頁,
本体2,500円+税

はじめに

 本書は、欧州連合(European Union: EU)法の基本的体系書として執筆した拙著『新EU法 基礎篇』(岩波書店、2013年)および『新EU法 政策篇』(同2014年)の入門書として位置づけられる。EU法は、国内法でも国際法でもないと言われ、入門が難しいことで知られている。また、本書は樋口範雄先生の『はじめてのアメリカ法』と田中信行先生の『はじめての中国法』とともに3部作を構成しているが、お2人の碩学に(勝てるはずがないので)せめて負けない内容にしなければならないという重いプレッシャーを受けた。このように、本書を執筆することは、筆者にとってはまさにチャレンジングであった。

スプラナショナルとトランスナショナルの歴史的背景

 この3部作には、それぞれにキーワードがある。アメリカ法は「契約」、中国法は「党の指導」である。これに対し、EU法のキーワードは、「スプラナショナルsupranational(超国家的)」と「トランスナショナルtransnational(国境横断的)」である。それらは平和と経済的繁栄を目標としている。これには、歴史的に深い訳がある。長年にわたる仏独対立である。第1次大戦の戦後処理を決めたヴェルサイユ講和条約でフランスは、ドイツに過酷な賠償金を課すことにより自国の安全保障を図ろうとした。しかし、それはドイツ国民の反感と憎悪を引き起こし、1929年に始まる世界恐慌を経てヒトラーの独裁を生み出した。他方で、同じヴェルサイユ条約により設立された国際連盟は、全会一致制を原則とする決定方式により機能不全に陥り、第2次世界大戦の勃発を防ぐことができなかった。

 欧州統合の父たちの1人とされるフランス人ジャン・モネは、国際連盟の事務次長を務めた経験を有していたのであるが、このようなヴェルサイユ講和条約の失敗を目の当たりにし、欧州に2度と戦争の惨禍を招かないようにするため、第2次世界大戦後の仏独関係をいかに構築すべきかについて沈思熟考した。その答えが、スプラナショナルとトランスナショナルであった。これらにより欧州に平和と経済的繁栄をもたらそうとしたのである。その結果、戦後の欧州統合の基礎は1950年代に2段階で設定されることとなった。

 まず、欧州石炭鉄鋼共同体(ECSC)が設立され、国家主権を一部委譲して「最高機関」(現在のコミッション)を設置することなどにより、当時6カ国(仏独に加えて、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク)の間にスプラナショナルな関係が導入された。これにより、不戦共同体の礎が置かれ、まず平和の維持装置が起動することとなった。次いで第2段階として、欧州経済共同体(EEC)が設立され、共同市場(その後域内市場と改名され、単一市場とも呼ばれる)すなわち物・人・サービス・資本の自由移動の達成が目的とされた。こうして欧州諸民の間にトランスナショナルな関係を構築する作業が開始され、経済的繁栄の仕組みが整ったのである。このような装置と仕組みは、EUの数次にわたる拡大を経て、今日では全欧州規模に広がっている。

スプラナショナルとトランスナショナルを支えるEU法

 EU法は、EU司法裁判所の判例法を通じて、スプラナショナルとトランスナショナルの両面を支える機能を担っている。EU司法裁判所は、まず1960年代初めにEU法の直接効果と国内法に対する優越性を確立することにより、スプラナショナルな法制度を確立した。次いで、1992年に域内市場が完成する前から、物・人・サービス・資本の自由移動に対する各国の障壁を撤廃する役割を果たした。有名なカシス・ド・ディジョン判決(1979年)で確立された相互承認原則(拙著80頁以下を参照されたい)はその一例である。

 以上のような歴史と背景を持っているEU法を正しく理解するには、スプラナショナルな側面(EUの統治機構や人権などの憲法的側面)だけでなく、トランスナショナルな側面(域内市場法や競争法をはじめとする実体法的側面)もあわせて学ぶ必要がある。そのため、本書はミニサイズながら、憲法的側面と実体法的側面の両方を万遍なく扱っているので、読者はEU法の基礎を体系的に片寄りなく学習することができる。

国内法に深く浸透するEU法

 EU法は、欧州統合自体が未完であるため、生成途上で最終完成図のない政体の法である。EUが国際条約に基づいて設立されたにもかかわらず、EU法はスプラナショナルとトランスナショナルをDNAとするため、国際法ではないとされている。また、EU法は同じ理由で国内法でもないとされているが、その一方で国内法の一部として深く浸透している。それがどの程度のものかは、もし加盟国がEUから脱退するようなことがあれば何が起きるかを考えれば一目瞭然である。

 たとえば、本年6月23日にEU脱退の是非を問う国民投票がイギリスで実施されるが、その国民投票でBrexit(イギリスのEU脱退)が決まると法のうえでは何が起こるのか。EU法からイギリス法を切り離す膨大な作業が必要になる。たとえば、域内市場における人の自由移動から恩恵を受けて、約200万人のイギリス人が年金や医療を受ける権利とともに他のEU加盟27カ国に居住し労働している。しかしイギリスがEUから脱退すると、これらの恩恵や権利はすべて法的根拠を失うことになる。また、イギリスが得意とする金融サービス(域内市場におけるサービスの自由移動に含まれる)では、EU法の管轄の下にある銀行・証券・保険に対する規制を国内法に置き換えるか、あるいは新たに制定し直すことが必要とされる。そのうえ、EU法に基づいて他の加盟国に子会社や支店を置くイギリスの銀行や保険会社(人の自由移動には会社の自由移動も含まれる)にとっては、EU脱退とともにその法的根拠が失われる。

 このように、基本条約に「欧州諸民の間に一層緊密化する連合の基礎を据える」(EU機能条約前文)とあるとおり、EU法は独立の法体系でありながら国内法を「棲家」として、全加盟国の国民を緊密に結びつけている。

本書の構成の特徴

 本書は、まず第1部において、上述した点をEU法の直接効果と優越性を中心に説明し、EU法のスプラナショナルな側面が国家主権と拮抗する発展途上の法体系であることを初心者にわかりやすく語っている(つもりである)。

 第2部では、トランスナショナルな法空間の中核を成す域内市場法およびそれを補完する競争法について判例法を中心に説明している。ちなみにEU法は英米法のコモンローではなく大陸法系に属するが、EU基本条約(EU条約とEU機能条約)およびそれに基づくEU法令だけでは欧州統合(とくに経済統合)の実態に追いつかないため、判例法がその隙間を埋める役割を果たしている。その際、加盟国の国内法は、法の一般原則という形で比較法的アプローチによりEU法に昇華されている。

 また、第3部は、トランスナショナルなEU法が国内法の伝統的分野である民事法や刑事法にどのような影響を与えているのか、また、環境保護ではいかなる成果を挙げているのかについて解説している。

 最後に、以上のような実体法部分を踏まえて、第4部ではEUのスプラナショナルな機構を立法・行政・司法の三権に分けて説明している。また、人権は司法のところで扱っている。

 なお、全15回にわたり、図解、表、写真を使用して読者の理解を容易にするよう工夫している。

なぜ日本人がEU法を学ぶ必要があるのか

 大学の研究者の中には日本の学生がEU法を学ぶ必要はないとおっしゃる先生がいたり、日本の独占禁止法を研究する教員がEU競争法(およびアメリカ独禁法)を比較法的に研究する価値を否定したりするのを時折耳にすることがある。しかし、それは多分勘違いであると思われる。むしろ、日本人がEU法を学ぶ価値は大いにある。たとえば、日本のある高名な刑法学者から直接伺った話であるが、次のように話されている。

 「EU法はもはや日本と欧州の比較法をやるときには必須になりました。いまドイツの大学におりますが、刑事法の分野でも、もはやEUのことがわからないと、国内法のこともわからない状況になっております。」

 では、日本人がEU法を学ぶことにどのような意義があるのか。それは、EU法の知識が「付加価値」になるということである。日系企業の活動がEUの個人情報保護法に基づく制限や競争法違反による制裁金などで事業活動に大きな影響を受けることがよくある。そのため、EU法に精通した日本企業の法務担当者や法曹への需要が存在するが、それに必ずしも十分応えることができていない。このような意味で「EU法ギャップ」がわが国に存在する。そのようなことは欧州の現地にいる弁護士に任せておけばよいという人がいるかもしれない。確かに現地の弁護士の助言を得ることは必要かもしれないが、それに加えてEU法の知識や情報を日本の企業(本社)でわかりやすく「翻訳」して上司に説明し、どのように対処すればよいかを考えることのできる人材が不可欠なのである。これは日本の官庁に勤める方にとっても、EU法規制を参考にして新たな立法や法改正の準備を行う際、同様に当てはまることである。

 さらに、EU法は複数の国家が国境を越えて緊密な協力を行うための「知恵」の宝庫であり、かつ、グローバルな「波及力」があるため、それ自体で研究対象として知的好奇心を刺激する。

結語に代えて――EUの経験は東アジアに応用可能か

 EU統合は欧州だけに当てはまる特殊な事象であって、たとえば東アジアの地域統合にそのまま適用することはできないというのが通説的見解であり、筆者も首肯するところである。しかし、少なくとも1つだけ東アジアにとって示唆的なことがある。それは、流血の歴史をもつ国家同士が和解して経済統合をするためには、まず国家主権を超えたスプラナショナルな共通機関を設立して平和を保障し、それから国民相互にトランスナショナルな関係を構築するというジャン・モネの知恵を東アジアに応用するということである(ただし、それには、民主主義・人権・法の支配という価値を尊重する点において一致をみることが前提となる)。日本が近視眼的に自国の安全保障のみを追い求めるのではなく、東アジアの統合を通じた永続的な平和の確立に向けてリーダーシップをとることを期待したい。本書がそのような未来に向けたささやかな一歩となれば本望である。

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