HOME > 書斎の窓
書斎の窓

自著を語る


『社会政策

――福祉と労働の経済学

慶應義塾大学経済学部教授 駒村康平〔Komamura Kohei〕

駒村康平,山田篤裕,四方理人,田中聡一郎,丸山桂/著
四六判,424頁,
本体2,500円+税

1 本書の作成にあたって

 このたび3年近い時間がかかりましたが、『社会政策』を出版することができました。序章で述べていますが、社会政策という学問領域は、その対象も方法論も多様であるため、テキストを書くのはなかなか難しい作業になりました。そこで、本書では経済学のツールを使って社会政策の両輪となる社会保障制度と労働政策を関連して解説する形をとりました。

 また本書のタイトルについては最後まで悩みました。本書の構成は、社会保障制度、労働政策を中心にしつつも、住宅政策なども含んでおり、現在の日本の社会保障制度の枠組みを超えていたからです。よって、大きなタイトルは「社会政策」にし、副題に「福祉と労働の経済学」という言葉を入れて、私たちの意図を伝える形にしました。

2 本書のメッセージ

 本書から読者には少なくとも2つの点を学んでほしいと思います。まず、生活するためのツールとしての社会政策の仕組みについてです。すなわち社会保障制度、労働政策はいずれも社会で生きていくためには必要ですが、多くの人にとってはまとまって学ぶ機会はほとんどないと思います。就職の際もほとんど企業の人事担当者は社会保障制度や労働政策については説明しないでしょう。しかし、労働法、失業給付、年金、医療、福祉の知識は、いざと言うときにはとても重要です。本書から社会人そして生活者になるための基本的な社会政策の知識を学んでください。本書では5章から14章(貧困、労働市場、労働条件、失業、障害、育児、住宅、健康、介護、老齢)は人々の周りにある様々なライフサイクルのなかのリスクを意識して構成しています。

 次に、社会保障制度、労働政策、いずれもその仕組みは政治的に決定され、人々の生活を直接左右します。世界にも類をみない高齢化のなかで社会保障給付費はすでに約110兆円とGDPの約25%に達し、今後も増え続けることが予測されます。はたして社会政策が有効にデザインされているか、皆さんは市民として社会政策を評価し、その是非については選挙を通じて判断、意思表明していく必要があります。つまり市民として社会政策を評価、判断する目を本書の各章から学んでください。

 本書は決して経済学を専攻していない人でも、経済学の手法で社会政策を評価できるように工夫をしました。経済学の手法で社会政策を考える場合、①生存に関わるような重要な社会保障制度、労働政策を実施するにしてもかならず財源が必要であること(予算制約)、②いかに重要な制度・政策であっても、効率あるいは公平の価値基準から政策の優先順位をつける必要があること(優先順位)、③予算は無限でない以上、ある政策を優先すればそれによって別の政策が犠牲にされていること(トレードオフ)、④制度・政策は政府が期待したようには必ずしも機能しないこと。家計や企業の反応を織り込んだ制度設計にしないと想定とは異なった結果になること(主体的に活動する経済主体や市場メカニズムの考慮)、を理解しておく必要があります。これらについては本書の第2章、4章などを参照にしてください。

3 社会保障制度と労働政策の特徴

 ここからは本書のなかでは十分に触れていない社会政策の決定プロセスについて紹介しましょう。現実に社会政策を観察すると社会保障制度と労働政策ではその政策決定や背景に大きな違いがあります。

 まず社会保障制度を具体的に設計する場合は、やはり社会保険料や税といった財政の確保が重要になります。そして社会保障制度のなかでも制度ごとに特性があります。例えば、年金制度改革は、長期的な視点に立ち、そしてその改革が時間的に整合性のある改革かどうか問われます。すなわち人々は長い間の保険料の負担によって年金受給権を形成し、そのときの年金制度が保障する年金額を受け取ることができると期待し、就業・退職、貯蓄などの人生の設計を行います。ところが年金支給直前になって、政府が年金改革を行い、給付額を、突如大幅に引き下げるようなことをすれば、人々の生活は大混乱します。しかし、それでも年金制度も社会・経済の変化に合わせて約20年に1度間隔で大改革が行われてきました。ただし、過去の保険料納付の実績を全く無視するような改革はできません。と同時に、人口や経済で大きな変化が見込まれる場合、将来的に年金制度が維持できるような仕組みにしておく必要があります。このように年金制度改革は、過去、現在、未来の長期間の時間軸のなかで整合性がある改革が求められます。また年金改革を遂行するためには、政府と国民の関係が重要になります。年金改革によって長期的に年金制度が維持できることを数量的に明らかにし、その改革に対する国民の理解を得ることが制度改革の成否のポイントになります。

 他方、医療制度改革では、国民と政府の関係だけではなく、医療機関も重要な役割を果たします。医療制度においては年金同様に財政問題も重要ですが、医療保険制度は、年金のように長い期間の保険料納付の実績が個々人の医療給付を左右するのではないので、制度改革の時間的な整合性はあまり重要ではありません。しかし、制度改革に医療機関がどう反応するか、あるいは人々が医療サービスにアクセスできるように全国をカバーするように医療機関を整備できるかという点がとても重要です。したがって、制度改革に対する医療機関の反応が重要になります。このように医療制度改革では、政府と医療機関との調整も大事になります。医療機関の納得が得られない改革はなかなか実施できないのが現実で、利害調整を行う政治家の役割が非常に大きくなります。

 要するに現金給付の制度である年金改革では「時間」と「理屈」が、現物給付の制度である医療制度改革では「地理」と「政治力」が重要になります。

 こうした社会保障制度と異なり、労働政策は、労働の供給サイドである労働者、需要サイドである企業が制度改革にどのように反応するのか、そして改革が労働市場にどのように影響するかが重要になります。実際の労働政策については、政府部内の審議会などで利害の相反する労働組合代表と経営者代表、そして公益代表による「関係者の利害調整」のなかで議論が行われ、政策が決定されていきます。

4 社会政策はどうなるか
  ――本書を手がかりに21世紀の社会政策を考える

 本書の第1章でも示したように、産業革命のもたらす社会問題を克服するために20世紀後半、福祉国家が成立しました。しかし、終章で議論指定したようにグローバル経済や技術革新のなかで福祉国家のあり方は大きな変化に直面しつつあります。21世紀の社会政策はどのようになるのでしょうか。さらに多くの先進国が直面する人口高齢化は日本にとっては特に大きな問題になります。

 将来の望ましい社会政策を想像し議論するのはとても難しい課題です。今、私の手元に2つの古い冊子があります。1つは1970年に発表された「厚生行政の長期構想――生きがいのある社会をめざして」(厚生省「厚生行政の長期構想」に関するプロジェクトチーム報告書)で、いまから45年前に公表された政府による社会保障政策に関する長期見通しの報告書です。その中では、すでに現在、大きな課題になっていることの多くが指摘されています。例えば、地域福祉政策を市町村よりもより細かい単位で実施していくこと、すなわち地域包括ケアの必要性、行政権限の地方委譲すなわち社会福祉の分権化の動き、社会保障給付におけるコンピューターによる情報収集・管理、これはマイナンバーにつながります。他にも、医療などにおける先端技術の活用、年金や医療保険制度の一元化、環境問題、生活習慣の重要性、健康管理、長寿社会の生きがいといったこともすでに指摘されています。

 もう1つの報告書は経済企画庁に設置された「社会保障問題懇談会」の報告書(1972年)です。この報告書は20年後の1992年の社会状況を視野に入れたものですが、2025年すなわち昭和100年に関する言及もあります。当時は3世代家族も多く、60歳以上の80%が子どもと同居していました。また当時は55歳定年が中心で、厚生年金の給付水準は平均賃金の41.2%で給付水準は低かったため、60歳以上の41%、70歳以上の22%が就労を継続していた時代です。さらに1970年当時の高齢化率は7.1%で、2015年の高齢化率16.9%、そして2025年を16.4%と想定していました。現実には2015年の高齢化率は26%、そして今日、2025年の高齢化率が30%と推計されていることと比較してもかなり楽観的なことがわかります。そして当時の厚生省は、厚生年金財政の見通しについて、2025年で収入の半分を積立金の運用利回りで確保できるとしていましたが、この報告書では、この見通しは非現実的だとし、2025年にはほぼ賦課方式への移行は不可避であると指摘しています。実際には報告書の指摘は正しく、2014年の厚生労働省の厚生年金財政見通しによれば、2025年には積立金の運用とその取り崩しで確保できる収入は年金財政収入の20%程度で、財源のほとんどは保険料と国庫負担に依存する見通しです。

 他にもこの報告書では、ストレスによる精神疾患、就労意欲の低下などの文明病が増える、治療・診療サービスと医薬品・材料費の未分離といった診療報酬体系の問題点、医療機関間の役割分担が不十分であることなど今日でも問題になっている点を指摘しています。また面白い点は、国民生活にとって健康を維持し、余暇を楽しむ方法としてのスポーツの振興の重要性も指摘しており、最近、設立されたスポーツ庁を彷彿させます。

 ただし、2つの報告書に共通して、本書3、5章で触れた所得格差、貧困、さらには6章で指摘した非正規労働者の増加の問題、10章で扱った少子化の問題への指摘はなく、両報告書とも正規労働者中心の社会を前提にした社会保障制度を議論しています。本書の6章でも説明したように、90年までは確かに正規労働者を前提にした社会保障制度の議論はできたのですが、1990年以降、労働システムが全く様変わりしてしまい、この点で約50年前は予測できない問題が現在発生しているわけです。ここに本書が着目している労働政策と社会保障政策を統合して考える社会政策の重要性があります。本書を手がかりに、読者の皆さんは将来のあるべき社会政策を考えてみてください。

 最後に、社会政策は毎年なんらかの改革があり、また統計もどんどん変わっていきます。毎年のバージョンアップは難しいですが、適宜改訂し、新しい仕組みや研究を皆さんに提供していきたいと思います。

ページの先頭へ
Copyright©YUHIKAKU PUBLISHING CO.,LTD. All Rights Reserved. 2016