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書評


『崩壊国家と国際安全保障

――ソマリアにみる新たな国家像の誕生

東京外国語大学大学院総合国際学研究科教授 篠田英朗〔Shinoda Hideaki〕

遠藤貢/著
A5判,294頁
本体4,100円+税

 10年に及ぶ著者のソマリア研究の集大成と言うべき1冊である。あとがきで述べているように、著者は当初は南部アフリカ地域の専門家として研究生活に入った。しかしアフリカの紛争問題を扱わなければならなくなるに至り、ソマリアに関心を集中させていった。なぜか。ソマリアが「破綻国家」の典型だからだ。

 冷戦終焉後の時代において一貫してソマリアは実効支配する政府なき国家として知られてきた。激しい内戦状態に陥り、統一国家としての実体が失われたのであった。ところが国家の消滅が宣言されるわけでもなく、ソマリアという国家それ自体は、存在し続ける状況が続いてきた。国家としての内実は破綻しているにもかかわらず、国家それ自体は消えなかったわけである。著者が多角的に論じるのは、この「破綻国家」の典型としてのソマリアである。

 「破綻国家」は国際安全保障における大きなリスク要因であるが、実は国際安全保障の大きなうねりの中でたくましく息づいてもいる。それは国際関係学の教科書で描かれる国家とは全く違う国家であるが、なお1つの国家である。代替理論となるような国家像を示しているわけではないとしても、「破綻国家」という国家が持つ独特の性質があるかもしれない。著者の問いかけは、ソマリアをこえて、国際社会の秩序のあり方に向けられている。

 本書の視座を、著者は「下からの視座」と呼ぶ。従来の国際政治学における国家中心主義的な理論モデルが、理念型としての主権国家の所与の存在を自明の前提にするとすれば、アフリカの具体的な事例に即した視点は、「いつ国家は国家であるのか」といった根源的なテーマから問い直す。アフリカの国家論は、「国家のあり方を交渉する」という問題意識で、「破綻国家」の現実を分析するようなものでなければならないのである。

 こうした著者の視座は、言うまでもなく政策的な課題とも直結している。紛争後の社会に社会秩序を回復させようとする平和構築活動は、「国家建設」を主要な目的として進められる近年の傾向がある。しかし著者は、そこに潜む3つの前提について意識的に注意を払う必要があると示唆する。第1は、欧米起源の政治制度がアフリカにも移植可能だという前提、第2は、援助国と被援助国の間に破綻国家の「失敗」の原因に関して共通理解があるという前提、第3に、アフリカにおける国家再建にドナー側が長期にわたって物質的・軍事的・象徴的資源を提供できるという前提である。著者によれば、これらの前提はすべて自明ではない。もしそうだとすれば、国家建設を目指す国際的な支援活動は、大きな陥穽を抱えていることになる。問題となるのは、主権国家のあり方である。

 著者は、「疑似国家」や「限定的国家性」といった概念を駆使しながら、クラズナーが言う「国内的主権」が失われた場合であっても、「国際法的主権」や「ウェストファリア的/ヴァッテル的主権」が残存することがあることを指摘する。いわば主権国家としての内実が喪失してしまった状態であるにもかかわらず、国際的には国家の存在が前提となっているような場合である。著者はこれを、非政府は非国家とは違う、という言い方で整理する。

 そこで著者がさらに論を進めるのは、「実現されない主権の下での政体」である。崩壊国家は、「当該国家の消滅や機能停止と同義ではない」ので、政府がないという意味で主権国家が「破綻」していても、依然としてそこにはなお何らかの政体の機能が存在しうる。

 アフリカの問題を論じながら、本書の問題意識は、国際社会の秩序の全体を射程に入れている。破綻国家においてもなお「政体の機能」があるということは、従来の国際政治理学の枠組みを逸脱した国家性がありうるということなのだろうか。本書が取り組もうとする課題は、現代的であり、政策的である一方、極めて根源的な理論的な問いかけも投げかけるものである。

 第1章でこうした「主権国家概念の再考」をめぐる問題提起を行った上で、本書はソマリアを多角的な視点から分析する各章へと展開していく。第2章は、ソマリアが崩壊国家となる以前のシアド・バーレ政権に焦点をあてる。クランにもとづいた王朝的な圧政を敷いたバーレ政権は、果たして統一国家としてのソマリアを作ったのか、むしろ破綻させていったのか。当初からソマリアという国家は複雑な性格を持っていた。

 第3章は、冷戦終焉ともに崩壊したバーレ政権の後の1991年以降の崩壊国家としてのソマリアの軌跡をたどる。確かに一貫して実効支配する中央政府が欠落していたとしても、それはソマリアが単純に無法地帯であったことを意味しない。むしろ様々な統一政権樹立への試みと、それに反する動きや、そこから逸脱した試みが起こってきたのが、1991年以降のソマリアの歴史である。本書は、崩壊国家の歴史とは、様々な紛争と、紛争の克服に向けた試みの歴史であることを示している。

 第4章は、崩壊国家としてのソマリアにおいて、「政府なきガバナンス」が機能していることを「ビジネスマン」に焦点をあてながら、明らかにしていく。「ビジネスマン」とは、政府なき社会において、直接的に国際援助機関と独占的な業務契約を結んで大金を手にした上で、私兵を雇用して紛争状況にも当事者として参画していくような独特の存在のことである。こうした人物の存在は、ソマリアのような崩壊国家において成立するガバナンス機能について示唆的な実例を示す。

 第5章は、国家なき政府と形容されるソマリランドについての章である。ソマリランドは崩壊国家ソマリアの中にあって事実上の国家機能を持った政体である。バーレ政権時代に過酷な弾圧の対象となった北部のソマリランドの人々は、ソマリランドとしての独立を目指しており、国家機能の充実に努めている。しかし国際的な承認は得られていない。崩壊国家の内部における未承認国家の存在とは何なのか。ソマリランドは、大きな問いを国際社会に投げかけている。

 第6章は、ソマリランドとは好対照をなすプントランドを扱った章である。プントランドは、ソマリランドと隣接する北東部に位置する一種の国家としての性格を持った政体である。しかしプントランドの人々は、ソマリアから分離独立する意図を持っておらず、むしろソマリランドを、イサックという特定クランが支配する地域とみなす。プントランドとソマリランドの間には境界領域をめぐる争いがあり、崩壊国家内部の錯綜した政体の関係の複雑さを物語っている。

 第7章は、台頭するイスラーム主義勢力について論じた章である。崩壊国家ソマリアをめぐっては、様々なイスラーム主義勢力が群雄割拠する状態にある。イスラーム法廷のように暫定政府としての地位を得ながら、アメリカが主導する世界大の「テロとの戦い」の文脈において警戒され、エチオピアの介入を招いた勢力もある。現在もっとも過激な勢力として知られるのは、アッシャバーブである。テロ組織としての性格を持つが、ソマリア南部の沿岸部を領域支配した実績もあり、ある種の行政組織としての性格も持ち合わせている。崩壊国家ソマリアの複雑さを引き立てる存在である。

 第8章は、日本においても外交政策課題となっているソマリア沖の海賊問題について分析を行っている。海賊問題は、崩壊国家としてのソマリアの内政事情と密接不可分に結び付いている。伝統に根差した「保護」の観点からの海賊行為から、身代金目当ての海賊ビジネスが横行するに至る経緯は、ソマリア情勢と連動する形で展開してきているのである。

 第9章は、崩壊国家ソマリアに生きる人々を支えるディアスポラに焦点をあてた章である。国外にいるソマリア人による送金は、崩壊国家の中にいてもなお生活を続ける多くの人々の財政基盤となっている。特有の送金ビジネスで資金を得る会社群や、多くのディアスポラを閣僚として迎え入れることによって行政基盤も整えようとするソマリランドの思惑など、ディアスポラの存在は、崩壊国家ソマリアが実態として持っている経済的・政治的機能を説明するための重要な要素となっている。

 終章は、このように多角的に崩壊国家ソマリアの分析を試みた上で見えてくるはずの議論の総括を提示するものである。崩壊国家ソマリアは、政府なき国家だが、政府を介さない政体の機能を独特の形でもっている国家であった。著者は、「仲介国家」(現実に機能している非政府的な制度に対して、政府は間接的かつ限定的な関与のみ行う)とか「ハイブリッド・ガバナンス」(数多くの現地主体が独自のやり方で統治的な機能を発揮するため複合的な統治形態を作り出される)といった概念に大きな関心を抱く。著者によれば、崩壊国家とは、21世紀における1つの国家の類型として明らかな形で立ち現れている。ただしそれらの概念は、必ずしも理念型としての主権国家(国民国家)から構成される国際関係に対する代替案を提示することまではしない。こうした錯綜した状況があるという現実を知るためには、ソマリアは格好の分析対象である。

 本書は、必ずしも既存の国際政治学に対する代替理論を体系的に提示することを目指したものではない。しかし現実は複雑であり、従来の国際政治理論では説明しきれない現象があることも、本書は強く示唆する。そこにはわれわれが継続して取り組んでいかなければならない大きな問いが存在しているのだ。

 本書は、ソマリアを中心とするアフリカの現状に関心を持つ読者だけでなく、国際政治のあり方について具体的な事例にもとづいた考察を加えたいと思っている読者に対して、願ってもない格好の議論の材料を提供するものであろう。われわれはここから国際秩序のあり方をめぐる議論を発展させていかなければならない。

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