自著を語る
大阪大学大学院経済学研究科准教授 西村幸浩〔Nishimura Yukihiro〕
神戸大学大学院経済学研究科准教授 宮崎智視〔Miyazaki Tomomi〕
このたび、ストゥディアシリーズの1冊として、『財政のエッセンス』を刊行する運びとなった。経済学の立場から財政を研究し、また大学教育に携わる者として、新しいスタイルのテキストを書けないか、私たちなりに挑戦をしたつもりである。ここでは、私たちが本書執筆において心がけたことや具体的な工夫を説明することで、本書の背景と私たちの意図を明らかにしたい。
財政学では、政府による公共サービスの提供、およびそのための財源の徴収という一連の政府の経済活動を、経済理論を用いて分析する。入門レベルのミクロ・マクロ経済学を学び終えた学生を対象とした財政学の講義では、教えるべき内容は以下の3つに集約される。①市場均衡の性質や厚生経済学の諸概念に基づいた、ミクロ経済学的な内容。②公債の負担や財政政策の効果といったマクロ経済学的な内容。③制度の説明。教える者の関心や想定する受講者のレベルなどにより、この3つのいずれの内容をより強調したいか、どの程度まで掘り下げるか、などの手法は分かれるであろう。私たちの経験では、数理モデルと制度を教えている中で、片方の説明が上級になってしまうと、「講義のフォーカスが分かりにくい」と学生から苦情が出る。ゆえに、バランスのとり方が難しい。また、経済学部の2年生(場合によっては3年生以上)であっても、ミクロ経済学とマクロ経済学の理解が十分でない、ないし反復学習が必要な学生が少なくない。
かたや、社会保障や税制改正など、日本が抱える様々な財政問題がメディアで報じられない日はない。このことに象徴されるように、財政は常に人々の耳目を集めるものである。しかしながら、政策論議を大胆に区分すると、高度に専門化されているものと、適切な専門知識の裏付けがないセンセーショナルなものと二極化されている(かつ後者の方が「わかりやすい」として人口に膾炙しているきらいがある)ように思われる。その理由の1つは、財政学を扱う専門テキストの多くが、中級レベルのミクロ・マクロ経済学や複雑な制度の知識を前提にしており、読者への敷居を高くしてしまっていることにあるとも言える。
以上の私たちなりの経験と、日本の政策論議に関する脆弱さを問題意識として、本書では以下の3つを目指した。①各トピックを「広く薄く」カバーするのではなく、本書全体でストーリーが完結できるものとする。②財政制度における、固有の歴史的な流れや、実務過程での制度形成といった視点を明示する。③入門レベルの経済学の勉強との連続性を保ちながら、必要なかぎり、論理の裏付けとなる数理モデルを明示する。
まず、入門書で広くカバーしようとすると、重要語句の手引書や辞書のようになってしまい、学問に対する深い理解を妨げることになる。そのような「広く薄く」を避けるために、章立ては10章未満として各章を充実させ、また章ごとに、トピックを厳選した。例えば、租税の章(本書第4章・5章)では、基幹税としての消費課税と所得課税の在り方の議論を焦点に置いた。焦点をシンプルにすることで、まとまったストーリーとして書くべき内容(課税の公平性や累進性、資本所得課税の理論と実際の問題、関連する法人課税の在り方、諸外国の経験や学術的提言)が浮かび上がり、ほかの章との関連(社会保障の財源を消費税にすることの正当性、所得税と社会保障給付の一体的考察、地方財政の財源の在り方など)も組み立てやすくなった。また、経済学のテキストにおいて、本書のように所得税の源泉徴収制度や社会保険料の徴収について詳説したものはあまりない。しかし、制度の詳細を見て行くと、財政当局が徴収費用を減らすためにどのような制度を用いているか、また、例えば、「包括的所得税」の原則を貫徹するのがなぜ難しいのかなど、多くのことが勉強できる。
同様のことは地方財政(第7章)にも当てはまる。地方財政は、制度が複雑であるゆえ、論点を絞らないと初学者には分かりにくい。本書では、制度・理論両面における地方財政の「核」とも言うべき、国と地方の財政関係(中央政府と地方政府の「政府間財政関係」)の議論に焦点を絞った。その結果、地方交付税交付金や国庫支出金といった政府間財政移転の仕組みと現状、それに付随する地方の歳入と歳出の姿、政府間財政移転についての基礎的な経済理論の紹介、および国と地方の役割分担に関する理論的な考え方と実際、といった形で論を展開した。とりわけ、それぞれのトピックについて、理論体系と実際(現状)を対比させることで、地方財政のコアの部分に関する基礎的な考え方を紹介することができた。
本書全体においてどのレベルの数理モデルを扱うかはかなり悩んだが、需要曲線と供給曲線を用いたミクロ経済モデル(導入は、「需要曲線と供給曲線を、『横から縦』に読むと何が分かるか」という問いから始まる)と、後述する標準的なマクロ経済モデルのほか、以下の2つを用いることにした。第1に、割引率・割引現在価値を用いた「異時点間の予算」の概念(すなわち、民間主体や財政当局が直面する「異時点間の予算制約式」)である。中級以上の経済学のテキストは、予算制約式の知識を前提として異時点間問題の数理的な説明を進め、他方初級のテキストでは、数理モデルはなく言葉だけの説明になる。これでは、政府の借入を含めた異時点間の問題を、初学者はなかなか理解できなくなる。前述した二極化は、このようなことが原因であると思われる。本書では予備知識を前提とせずに、この概念を丁寧に導入し、繰り返し用い説明することで、所得税と消費税の違い、社会保障の財源調達の問題、政府債務の問題など、本書全体で現れるいくつかのトピックを、統一したモデルで説明した。第2の数理モデルは、労働市場に出ようとする主婦や、生活保護受給者が直面する「非線形の予算制約式」である。これも、労働供給曲線を単純な労働–賃金平面で記述する初級のテキストでは、「130万円の壁」などといったインセンティブの問題を数理的に表現できず、やはり言葉でしか説明しない。異時点間の問題(貯蓄や借入)と労働供給は、初級の経済学の講義では時間の都合で割愛されがちな、重要項目である。本書のような入門書で、この重要項目をフォローアップすることは、ミクロ・マクロ経済学の復習・理解ともつながり、一石二鳥となる。
以下では、本書で苦心した、マクロ経済学と財政運営の章について述べる。マクロ経済学においては、「45度線分析」や「IS–LM分析」を中心とした短期の経済分析よりも、長期の経済分析や「ミクロ的基礎付け」に力点をおいたテキストが、昨今では学部レベルでも主流になっている(ストゥディアシリーズにおいては、柴田章久教授〔京都大学〕と宇南山卓准教授〔一橋大学〕による『マクロ経済学の第一歩』)。かたや、財政学のテキストでマクロ経済分析を扱う章においては、紙幅が限られることと、財政支出が変数として明示されることで、いまだに、短期の経済分析が中心となることが多い。言い換えると、「総供給」と「総需要」を扱うマクロモデルにおいて、財政学のテキストでは、しばしば総需要サイドのみが議論になる。本書のマクロ経済分析の章(第9章)では、この点を踏まえ、長期を扱う古典派マクロモデルと短期を扱うケインズ派モデルの双方を紹介し、短期均衡と長期均衡の包括的分析についても展開した。また、財政政策の効果を論ずる上では、内容如何で財政政策がかえってマクロ経済に悪影響を与える可能性があることや、金融政策との役割分担に関しても説明をした。
財政赤字・政府債務については、主要先進諸国間で政府債務残高の対GDP比を比較した場合、日本の数値が最悪であることが知られている。この状況を踏まえ、日本はいずれ財政破綻するのでは(あるいは今すぐにでも破綻する)と喧伝されることも少なくない。一方、将来世代への負担や生産性への寄与などはさておいて、とにかく拡張的な財政政策を行うべきだ、とする意見も聞かれる。残念ながら、いずれの議論も財政赤字についての経済理論や財政政策に関する基本的な考え方に立脚したものとは言えない。この点を踏まえ、本書では第8章において、前述した「異時点間の予算制約式」に基づいた理論展開をし、公債負担に関する論点を整理した。また、古くからのケインズ派批判として知られている公共選択学派からの批判なども、財政赤字・政府債務、ひいては財政運営のあり方についてのより新しい考えとともに紹介している。
これらの章では、関連する議論をバランス良く整理することで、マクロ面における財政政策運営について考えるための一助となることを目指した。
なお、前述したとおり本書ではトピックを厳選し、日本財政に関する政策論議で絶えず俎上に載せられているものや、喫緊の政策課題に関連するものに多くのページを割いた。このことの代償として、本書で残念ながら触れられなかったトピックもある。しかしながら、この点においては私たちにとって幸いなことに、ストゥディアシリーズにおいて、寺井公子教授[慶應義塾大学]と肥前洋一教授[高知工科大学]による『私たちと公共経済』が、本書と同時に公刊された。この本では、本書で詳説できなかった、外部性や自然独占、そして政治制度と政府の失敗の問題なども触れられている。本書とともに読んで頂くことで、財政学と公共経済学の一層の理解が深まることを願う。