自著を語る
『社会福祉研究のフロンティア』を刊行して
法政大学現代福祉学部教授 岩崎晋也〔Iwasaki Shinya〕
1 社会福祉学研究の全般を見渡せる書籍
数年来、大学院修士課程の授業では、『社会福祉学』という学会誌に掲載された論文の批判的検討を行っている。学生には、事前に『社会福祉学』の査読の項目別評価について説明し、原著論文がどのような基準で評価されているのかを理解した上で、これらの項目を参考にしながら論文を批判的に読む練習をしているのだ。
出席する学生は、毎回、その週に検討する論文を事前に読んでくる。報告する学生は、論文の内容の報告ではなく、論文で使われた研究方法や論理展開を報告した上で、査読項目に関する問題点を指摘する。
最初のうちは、単なる内容紹介のレジュメしか作れず、批判的に読むことの意味が理解できない学生もいるが、何度か繰り返していくうちに、次第に批判的な読み方ができるようになってくる。もちろん査読済みの学会誌に掲載されている論文なので、よくできている論文も多い。しかし社会福祉学の研究テーマの中には、差別を受けているマイノリティなど、インフォーマントを得にくいテーマもある。そうした研究では、機縁法で事例を集めたり、十分な事例数が集められない場合もある。またデータを十分に集めることができたとしても、自然科学のように実験室で統制された理想的なデータを得ることはできない。そうした弱点を抱えていることを理解した上で、どこまでその研究の知見として言い得るのかを見極める力が必要なのである。
この形式の授業をやっていくうちに、思わぬ副産物があることに気がついた。それは多様なテーマの論文を学生に読む機会を与えていることである。というのも、論文のデーターベース化によって、先行研究の調べ方が変わった。自分の関心のあるキーワードにヒットした論文を読むだけで先行研究の検討を終える学生が多いのだ。こうした調べ方は、キーワードが特殊であればあるほど、ピンポイントに知りたい論文にたどり着けて効率的ではある。しかし社会福祉学研究全体の系譜や関連性を見ずに、ごく一部だけを切り取ることを意味している。その結果、自分のテーマに関連性や類似性があるのにも関わらず、そちらには目を向けない学生が多いのだ。
さらに、社会福祉領域のテーマは、多様な学からのアプローチが可能であり、学部は他の学問領域を学び、大学院で社会福祉学専攻に来る学生も多い。また近年は、韓国・中国・台湾などの北東アジアからの留学生も増えている。こうした学部での社会福祉学の教育を受けていない学生は、なおさら社会福祉研究の全体像を理解できないまま大学院に来ているケースが多いのだ。
こうした学生に対して、乱読ではあるが様々なテーマの論文を読ませ、それぞれのテーマが生み出された社会的背景や研究状況を解説することで、社会福祉研究の理解の幅を広げる一助になっているのではと思ったのである。
こうした思いから、日本の社会福祉学研究の全体を見渡せるような書籍の必要性を感じていた。社会福祉の制度やサービス、歴史を記述している教科書はたくさん出版されているが、研究を見渡せる書籍はほとんどないのが現状である。イギリスにはThe Student’s Companion to Social Policyという書籍があり、これから社会(福祉)政策を学ぼうとする学生に、どのようなテーマがあり、どのようなことが争点になっているのか、コンパクトにわかりやすく研究を紹介している。ほぼ5年おきに改訂され、現在は、第4版(2012年、Wiley-Blackwell)が出版されている。この本は、イギリスの研究動向を知る上でも便利な本であり、日本の大学院生にとっても有益な本である。このような本の日本版が欲しいと思っていたのだ。
2 社会福祉研究の新たな面白さを伝える書籍
そんな話を有斐閣の編集者に以前からしていたところ、企画を実現化したいという話をいただき、ソーシャルワークを専門とする岩間伸之氏(大阪市立大学教授)と、地域福祉を専門とする原田正樹氏(日本福祉大学教授)と、社会福祉原理・思想を専門とする私の3人で編集会議を開くことになった。
3人で話すうちに、単に網羅的に研究の全体像を提示するより、それぞれの分野での最先端の研究や、今後新たに展開が期待できる研究を紹介して、その面白さを分かりやすく提示するような書籍の方が、日本の社会福祉学教育には必要だという点で一致した。
というのも、近年の雇用の不安定化、家族機能・形態の変化などにより、社会福祉が取り組むべき課題は多様化しているが、研究が必ずしも対応しきれていないという現実がある。院生や若手の研究者の研究では、新しい実践や制度を取り上げ、その社会的背景を解説し、調査データをもとに課題を指摘するというのが1つのパターンになっている。こうした現実を後追いする研究も必要ではあるが、現実の実践や制度を所与のものとしていては、新しい実践や政策を切り開くことに貢献する研究には結びつかない。それに貢献できる研究を行うためには、研究者自身に社会福祉が立ち向かうべき社会問題に対する感度が必要なのだ。
一定の世代以上の研究者にとって、社会福祉が社会問題に対応するものであるというのは自明のことであった。しかし1987年に社会福祉士が国家資格化し、また90年代の社会福祉基礎構造改革で契約による利用サービス化が進むと、社会問題に立ち向かうことよりも、既存の制度の枠の中で利用者をどのように支援するのかが重視されるようになった。その結果、現在でも鋭い社会問題への意識を持つ若手研究者もいるが、相対としては社会問題への感度が低下したように思える。
そこで本書では、社会福祉研究の全般を取り扱うものの、それを網羅的に紹介するのではなく、それぞれの研究領域で新しい課題「フロンティア」に挑戦している研究を紹介し、その面白さを大学院生や若手研究者に伝えることを目的とした。
3人の編者で、ぜひこのテーマで書いてほしいという執筆者をリストアップし、執筆者に対して次のような依頼状を送った。
本書の最大のねらいは、これから社会福祉研究を志す人に、社会福祉研究として新たに取り組むべきテーマや、これまで研究の蓄積があるテーマでも新たな展開が期待できるテーマを提示し、ぜひこうしたテーマに挑戦してほしいというメッセージを伝えることにあります。
こうした本を企画した背景には、私たちの社会福祉研究への危機感があります。新たな社会福祉問題が噴出している現代において、それに立ち向かう実践はあるものの、研究がそれについていけていない状況が多くみられます。単に既存の社会福祉制度の範疇で問題を効率的に解決することを目指す研究だけではなく、新たな社会福祉問題に立ち向かう研究が今求められているのではないでしょうか。私たちは、そうした思いで、これからの社会福祉研究のフロンティアとなる先駆的な研究テーマを中心に選ばせていただき、若い研究者に、みなさまの研究の面白さを伝えたいと考え企画いたしました。
この依頼状にたいして、執筆者のほとんどの方が、企画の趣旨を了とされてご快諾をいただいた。この場を借りて改めて感謝申し上げる次第である。
3 本書の構成と活用法
このような意図で企画した『社会福祉研究のフロンティア』は、全体を「価値」、「対象」、「方法」の3部に分け、全体で52テーマをとりあげた。それぞれの部ごとに、全体的な研究状況の解説をしている。
各テーマは、第Ⅰ部「価値」では、「このテーマを研究することの意義」、「価値を問う背景」、「研究の動向と展望」について述べ、最後に「研究のための必須文献」を紹介している。第Ⅱ部「対象」と第Ⅲ部「方法」では、第Ⅰ部の「価値を問う背景」の代わりに「政策・実践の動向」を紹介している。
取り上げたテーマは、介護殺人、犯罪被害者、薬物依存、自殺対応、外国籍住民、被災地など、まさにこれから社会福祉学研究を一層展開していくことが求められるテーマだけでなく、貧困や虐待といった昔からのテーマであっても、その現代的な研究課題を伝える内容になっている。
本書は、大学院教育で活用していただくことを期待している。大学院生の自分のテーマに関連性のありそうなテーマを選んで、報告いただくことが考えられるが、その際、ぜひ複数のテーマを選んでもらいたい。それぞれのテーマへのアプローチ方法の類似性や違いに気が付くことができれば、本書の第1のねらいを満たしたと言えよう。
また第2のねらいとして、若手研究者の方に向けた新たなテーマへのいざないの書としても活用されることも期待している。
本書が社会福祉学研究の活性化に少しでも貢献できれば幸いである。