自著を語る
『政治学の方法』
異分野から見た「政治学の方法」の意義とは?
東京大学大学院法学政治学研究科教授 加藤淳子〔Kato Junko〕
政治学の方法とは?
帯に書かれた「多様な方法をこの一冊で」は短い表現で、政治学の方法の現状と本書の目的をよく表わしている。まず、政治学の方法は多様である。本書の目次でも「事例研究」「計量分析」「フォーマル・モデリング」「実験の方法」と大きな括りとして4つに分けられ、さらに最終章の「政治学の方法の展開」では、これらの方法を組み合わせた「方法の混合」が紹介される。これは、政治学が隣接諸分野の方法を意欲的に取り入れ、その体系に組み込んで行った結果でもある。
それでは「多様な方法をこの一冊で」の次はどう続くのであろうか。読者の中には「身につける」と続くと期待する向きもあるかもしれないがそうではない。本書は「多様な方法をこの一冊で」それぞれのやり方で「位置づける」ことを目的としている。「身につける」でなく「位置づける」であるのには訳がある。方法を身につけることを目的とすれば、当然、多様な方法の内の1つに特化することが必要となる。高度な方法の習得を目指せば、たとえば、先の大きな4括りの方法の区別より、さらに狭い範囲の方法に特化することになろう。そして、このような教科書は優れたものが既に数多く出版されている。しかし、複数の方法を同時に用いて分析することの意義が説かれるようになった最近でも、自分の専門から遠い方法も含め体系的に把握しようとすると、一転、参照するものは少なくなる。こうした間隙を縫って、方法論全体をそれぞれの読者なりに把握することの一助になればということで『政治学の方法』は書かれている。複数の方法を用いる際でも、その中で各々、出発点や拠り所となる方法は存在する以上、異なるホームグランドを持つ研究者の共著とするのが適当であろう。が、そのために一貫性が失われては困る。そこで、私と共同で論文を書いたことがある3人に共著者を依頼した。
ここまでは、政治学の「中」から見た「政治学の方法」の目的であり意義である。しかしながら、一貫性の欠如として弱点と見られがちな方法の多様性を政治学の特徴とし本書が書かれた背景には、政治学の「外」から改めてその意義を見いだしたことが大きい。次節では『政治学の方法』には盛り込めなかったこの萌芽的な意義を紹介したい。
政治的行動の脳神経科学実験
数年前から、脳神経科学実験の方法を用いて、広い意味での政治行動の研究を始めた。具体的には、fMRI(機能的磁気共鳴画像法)を用いて、政治的な決定や選択を行っている時の脳の活動を計測し解釈を行っている。この点については『政治学の方法』の第5章「実験の方法」でも簡単に触れているが、ここではさらに1歩進んで、実際に行った脳神経科学実験研究から政治学の方法を振り返ってみたい。専門知識を要する詳しい結果は出版された論文を参照されたい(1)。ここでは、なるべく専門用語を避けつつ、政治学の方法にも共通する意義を理解することを目的とし、その一部を紹介する。
実験は、fMRI装置内で、参加者に、コンピューターと人を相手に「囚人のジレンマ」ゲームを行ってもらうというものであった。実験にゲームを選択したのには2つの理由があった。まず、現実での行動を明確化・単純化した、ゲームにおける選択の際の脳の活動を計測し、より精緻なデータが得たかったからである。『政治学の方法』の4章でも紹介されているように、協力し合うことがよりよい結果をもたらすにも関わらず、一方的に裏切られた場合の損失が大きいため、合理的な個人が裏切り合ってしまうというジレンマは、単純なゲームながら、社会における集合行為やフリーライドにも示唆を与える。もう1つの理由は、既存の「囚人のジレンマ」ゲームを用いたfMRI実験のやり方に疑問をもったからである。これら研究では、人の対戦相手が、別の行動実験で他の人が選択した反応や、相手の事前の選択を次に選択するという「しっぺ返し(Tit-for-Tat)」戦略などを取るのに対し、コンピューターはランダムな反応をする「ランダム(Random)」戦略を取るといったように、それぞれの対戦相手に適当と考えられる戦略が割り振られていた。異なる対戦相手に同じ戦略のセットを組み合わせる、たとえば、両対戦相手(コンピューターと人間)に、同じ戦略の組のセット(しっぺ返しとランダムの両戦略)を取らせる(図1参照)条件の比較は行われていなかった。これは、実験を行った脳神経科学者が、ランダム戦略は、より機械的であり人間らしくないと考えたためであろう。確かに、社会ではランダムな対応は稀にしか観察されないが、それだけに他者に対する大きな権力行使となりうる可能性がある。たとえば、ある時は穏やかである時は限りなく非情であるような君主は次にどのような行為に及ぶか分からず、最も周囲を怯えさせる暴君となるであろう。実際、こうした権力現象は、政治学・歴史学ではよく知られている。稀であることは必ずしも現実的でないとは限らない。
そこで既存研究とは異なり、図1のような、対戦相手も戦略も相互に比較できる2×2の形で条件を課し実験を行った。さらに、どのような戦略をとるかによって人の相手に対する参加者の態度の変化を「感情温度」によって数量的に表現した。感情温度は、候補者を最も好きな場合は100度、最も嫌いな場合は0度、中立な場合は50度とする温度計を見せ(図2)、有権者に何度か答えてもらうという形で1960年代頃から世論調査で用いられており、定量的分析を用いた選挙研究でも実証的に有効であることが確認されている。ゲームを行う前と行った後に、対戦相手の人への感情温度を聞くことでその差で態度の変化を表した。
政治学の実証は分野を超える?
脳の活動を撮像した結果の分析は、人間と協力し合う場合、一方的にコンピューターを裏切る場合、人がランダムに対応してくる場合など条件を区別し、それぞれの場合に、より強く活動の出る脳の部位を特定して行く。これは統計処理によって行うのが前提であるが、社会的行動を対象とする研究では、多くの場合、多重比較補正を行うと(有意水準以上の)活動の出る部位が消えて(なくなって)しまうため、この保守的な統計的検定を行わないfMRI実験の論文でも一流紙に掲載されてきた(2)。ところが、この実験では厳しい基準の多重比較補正を行った上で複数の脳の活動領域を特定することができた。しかも、特定された領域は、高度な認知的コントロールを行う前頭前野や自分とは異なる存在としての他者を理解する「心の理論」に関わる領域であった。
この結果は、全く予想外であった。が、実際の社会では、相手が誰であるか、またどのような対応をするかにより、同じ協力(裏切り)行動が、全く異なる意味を持つことはよく観察される。影響を与えると考えられるこれら要因を統制した結果、統計的に有意な結果が得られたと考えれば、これは説明できる。政治学の定性的分析によって得た知見により条件を考え統制を行い、脳神経科学の既存研究と比較してもより正確な定量的分析となったわけであり、分野を超えて定性的分析と定量的分析の両者の相互補完性を体現することになった。
今回の実験で特定された部位の中でも、人と相互に協力した場合、コンピューター相手では逆に一方的に裏切った場合に、強い活動が観察された扁桃体は、感情や情動に関わることがよく知られている。この扁桃体の部位では、相手の人がしっぺ返し戦略かランダム戦略かの相違によって、脳の活動と感情温度の変化が正負逆の相関関係を持った(図3)。すなわち、しっぺ返し戦略を取る相手に対しては好きになる(感情温度が上昇する)ほど、ランダム戦略を取る相手に対しては嫌いになる(感情温度が低下する)ほど、強い活動が扁桃体で観察されたのである(3)。社会的行動を計測・表現する指標と脳の活動との相関関係を特定することは重要な研究関心の1つである。が、参加者の実際の選択に基づいた指標(たとえば、参加者が相手にどれだけ分配したかなど)が用いられることがほとんどで、感情温度計のように参加者の回答による尺度指標が用いられ、脳の活動と統計的に有意な相関を示すことはまずない。この結果は、感情温度計が参加者の相手に対する態度を計測するのに非常に優れた指標であることを示唆している(4)。感情温度計が、何らかの一貫した体系を持つ方法や理論的前提に基づき考えられた心理尺度でなく、定性的分析・定量的分析両者を用いた実証の積み重ねにより考案されたものであることに着目したい。有権者を観察し、候補者への態度を数量的に表現して答えてくれるよう工夫をこらし考案され、さらにそこから得られたデータを用い投票行動分析を行い、その妥当性を確認した上で、使われて来たのである。それが、脳神経科学データを用いた定量的分析において有意義な結果をもたらした。
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脳神経科学の実験を行っていると言うと、社会科学者から「新しい方法で今までの社会科学を席捲するのか」と言った反応を受けることがある。確かに、制度であれ行動であれ、観察可能な対象を分析し説明を行う政治学の限界を感じ、もう1つ違うレベルのデータを得られたらということでこの分野で研究を始めた。しかしながら、意外な形でその期待は裏切られた。行動と心理過程という2つのレベルのデータを組み合わせることにより新たな知見を得る過程で、政治学の方法の有効性を脳神経科学のデータによって再確認することになったからである。正直に言えば、政治学の方法を用いた知識の積み重ねがここまで有効であるとは全く予想していなかった。政治学の限界から始めたはずの研究で、政治学の可能性について改めて気づく。自分の不明に繰り返し気づかされるのが研究であるが、足をすくわれることで、また前に進む意義も見つかる。政治学者が試行錯誤で築きあげてきた方法が、多くの読者の現実の理解に貢献できたらと思う。
(1)Sakaiya, Shiro, Yuki Shiraito, Junko Kato, Hiroko Ide, Kensuke Okada, Kouji Takano, and Kenji Kansaku, 2013. “Neural correlate of human reciprocity in social interactions,” Frontiers in Neuroscience, 7:239. 引用文献を含む詳細な内容に関しては本論文を参照されたい。
(2)死んだ鮭をfMRI装置に入れ社会的行動に関する視覚刺激を提示した場合でも、補正なしであると心の理論に関わる脳の部位の活動が特定されることもある。このように具体的な形で実験による批判がなされたりしたこともあり、最近では多重比較補正をする必要性は意識されるようになった。この実験については下記を参照。 Bennett et al.2009. Neural correlates of interspecies perspec-tive taking in the post-mortem Atlantic Salmon: An argument for multiple compa-risons correction. http://prefrontal.org/files/posters/Bennett-Salmon-2009.pdf
(3)これは、参加者が相手の戦略をランダム(あるいはしっぺ返し)と分かっている場合も分かっていない場合も同様であった。
(4)この結果はまた、扁桃体が、ポジティブかネガティブかといった感情の方向でなく(どちら方向であれ)その強さに関わる部位であることを、社会的行動に関するデータで初めて裏打ちするものであり、脳神経科学の知見としての意義も持つ。