自著を語る
『日本財政の現代史』(Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ)を上梓して
関西学院大学教授(大学院経済学研究科・人間福祉学部) 小西砂千夫〔Konishi Sachio〕
現代における財政学研究のアプローチ
自分の貧しい研究歴を振り返って思うことは、現代において、財政学の研究者として、どのような立ち位置をとるのかの選択の難しさである。筆者が大学院に入学した1980年代前半、租税論では最適課税論が欧米の学会で盛んに研究されていた。研究者になるためには、無理してでも自分はこれが専門だという旗を立てる必要がある。同門で10年先輩の中井英雄先生(近畿大学)から「難しいことを勉強しなさい」という貴重なアドバイスを得て、闇雲に最適課税論を修めた。
最適課税論を柱にしながらも、制度研究や計量分析などを続けるうちに、幸いにも専任職に就くことができた。周りの先生の温かい励ましに恵まれ、学位論文を提出した。それを有斐閣から『日本の税制改革』(1997年)として発刊できたのは、望外の幸せであった。
学位取得の前後から、この先の研究の方向性をめぐって試行錯誤を繰り返すなかで、最適課税論では語りきれない伝統的な財政学の問題意識に戻ることを思い立った。最適課税論の研究に能力的な限界を感じたこともあったが、現実の政策課題にブリッジをかけるには、方法論に縛られたくないという思いもあった。問題意識と現実感覚を大切に、対象にアプローチしたいといろいろな試みを繰り返した。しかし、それが他人に評価されないまでも、自分で少しは納得できる研究成果と思えるようになるまで、相当な時間がかかった。現代において財政学研究に取り組む難しさがそこにある。私は幸いにして若くして専任職をいただけたので、自由に研究ができたが、研究職を求める立場ならば、方法論として確立された分野で業績を上げることが近道だからだ。
学会の動向を見ながら、財政学研究の手法が、経済学の手法や発想に依拠したものに偏りすぎているという気持ちが次第に押さえられなくなった。財政現象を認識する時点で、すでに一種のゆがみがあり、必要以上に方法論にとらわれていると感じた。マルクス経済学は思想だが、近代経済学もまた然りであり、それが自覚されにくいところに難しさがある。
経済学の理論に依拠しすぎない財政学研究は、歴史と思想、そして制度を柱にするしかない。学会に新風を吹き込みたいという漠然とした思いをもって、3年前の夏、思い切って井手英策教授に面会を申し込んだ。そこで知ったのは、同じ思いを共有してくれる大勢の若手の研究者の存在であった。井手教授から、企画を進めるなら諸富徹教授を口説いてくれとの宿題をもらって、京都大学を訪ね、これまた快諾を得た。お2人が満足してくれる舞台を提供するのが言い出しっぺの役割である。そこで有斐閣の門をたたいた。本企画の始まりである。
有斐閣における財政学シリーズの意味
私の書棚には、財政学の研究シリーズがいくつかある。有斐閣では、1970年発刊の木下和夫・肥後和夫・大熊一郎編の有斐閣双書『財政学』の3巻本、1980年発刊の藤田晴・貝塚啓明編で有斐閣双書『現代の財政学』の2巻本、1990年から翌年にかけての発刊で、貝塚啓明・野口悠紀雄・宮島洋・本間正明・石弘光の責任編集による『シリーズ現代財政』の4巻本がある。10年おきにシリーズが刊行されながら、その後はおよそ四半世紀も同種の企画が途絶えていた。
その背後には、学生が本を読まなくなったという厳しい現実がある。それと同時に、研究者の方も体系的な研究書をつくり、財政学研究の枠組みを示すことを怠ってきた。それは財政学研究の枠組みの揺らぎを象徴しているともいえる。
有斐閣の新たな財政学研究シリーズを公刊できるのは実に名誉なことだが、反面で不安も大きかった。過去のシリーズは、各章の著者はいわばオールスターであった。一方、私たちが提案した企画は、力は十分あると確信するものの若手が主力である。出版側からみてもギャンブルではなかったのか。私たち3人の編集者の責任はそれだけに重いものがあった。
3年間の作成過程を経て
何度も研究会を重ねた。大きな研究会には、編集者の柴田守、長谷川絵里の両氏にも参加いただいた。編者である私たちも、率先垂範とばかりに、進んで研究成果を披露した。東京だけでなく、大阪や京都、ときには仙台などでも研究会を行った。学会では企画セッションを設けて、研究成果の公表を行った。そのなかで、若手の研究者たちは、期待以上の取り組みを見せてくれた。第3巻の場合、編者の私にとって、それまであまり研究交流のなかった先生が多かったが、研究会を通じて次第に打ち解け、意思疎通を図ることができたことは、本当にありがたかった。
やがて研究活動の期間を経て、各執筆者に原稿をいただく段になった。驚くべきことに、多くの執筆者がきちんと締め切りを守ってくれた。若干例外はあったが、それはやむを得ない理由からであった。ベテランにありがちだが、原稿締切日は守れなくて当然で、催促があるまでは本気にならないといった悪弊は微塵も見られなかった。提出された各章は力作ぞろいで、いずれも思想と歴史と制度を踏まえた、政治経済学的なアプローチが展開されていた。もちろん、本書が掲げたねらいに対して看板に違わない成果となっているか、分析のフレームワークが十分といえるかなど、研究成果に対するご批判は、執筆者として甘んじで受けなければならない。批判を薬として、今後とも精進を重ねていくしかない。
3巻本の構成とねらい――時期とテーマのマトリックス
シリーズ名を『日本財政の現代史』としたのは、いうまでもなく、歴史的枠組みのなかで制度のあり方を考えるという基本姿勢を示すためである。この書名も研究会で考案したものである。
各巻は時代によって区分した。それが縦串である。第1巻は、高度経済成長時代からプラザ合意に至る1960年から85年に焦点をあわせながら、土建国家という概念が、わが国の財政や社会全体を知るうえでの格好のキーワードであり、それが第2巻以降の時代における日本財政が抱える深刻な課題の根本にある構造であることを示している。第2巻は、バブル経済の発生とその崩壊後の失われた10年と呼ばれた経済停滞の時期である1986年から2000年を対象としている。右肩上がりからの劇的な変化に、日本財政がなぜ対応できなかったかを学ぶことで、多くの教訓が得られると指摘する。
第3巻は、構造改革が開始されそれが行き詰まる2001年以降の時期であり、構造的な課題を解決しようとする改革こそが、多くの場合、実は構造的な課題そのものとなってしまう悲劇を始め、改革の時代を冷静に振り返っている。
各章の執筆者が個々の切り口で自由に展開してしまうと、シリーズを通じての問題把握ができなくなることから、財政運営、税制、公共投資、財政投融資、環境政策、社会保障、地方財政、国際比較、経済・社会構造、「構造」としての日本財政、の10のテーマについて、単独または複数の章で論を展開した。それが横串である。縦と横のマトリックスのなかで、序章と終章を含め、3巻通算で53の章から構成されている。税制などの個別のテーマの該当する章を、第1巻から第3巻まで順に読み進めていくと、それぞれの時代のトピックスが浮かび上がる。
決められた時期区分と、限定されたテーマとアプローチという厳しい制約のなかで、その役割を十分に果たしていただいた執筆者は、全シリーズで編者を除き36名に達する。財政学関係でそれだけの研究者が層をなしていることは何よりも喜ばしいことである。優れた論考は数多いが、あくまで一例として、私が編集した第3巻からあげるとすれば、木村佳弘氏(後藤・安田記念東京都市研究所)による、巻頭を飾る財政運営に関する第1章は、政治と経済の両面から、政権交代前の自公連立政権時代の財政運営について、奔放かつ鮮やかに切り込んでいる。
ちなみに、1960年生まれの私は、ほかの編者を含めた全執筆者のなかで最年長のようである。その点だけが、あまり嬉しくないところであった。
ポスト改革の時代における研究者の役割
財政学のような社会科学の研究者の社会的な役割は、政治的に中立的な立場から、社会的正義を実現するような政策提言を行うことであるといえば、ほとんどの研究者は異論を唱えないであろう。しかし、私はそうなのかと疑問に感じている。私たちのような研究者が、たとえば地方財政のような複雑な制度に対して、その制度がなぜそのように形成されたかの歴史的経緯を踏まえ、詳細に至るまで何がどのように機能しているのかを理解したうえで、当該分野を担当している官僚と対等な知識レベルであるべき政策論を語ることが、本当にできるのかという疑問を禁じ得ない。制度を歴史的観点で詳しく学ぶと、その奥の深さの一端が見えてくるだけに、官僚が入省して幹部になるまで段階を踏んでいくように、研究者も長い時間をかけて精進して知識を積み上げていかない限り、官僚とガチンコで組み合うのはおよそ不可能と考えるのである。
改革の時代には軽薄な政策提言が横行した。地方交付税の算定は複雑だからけしからん、簡素にしろといった類はその典型である。複雑であるのは官僚が悪しきことをするためと見立て、複雑である必要性に目を向けず、簡素にすべきと言い切るのは、いささか傲慢に過ぎるのではないか。民主党政権の事業仕分けでは、あのような舞台で緻密な制度論を展開することに難しさを感じ、私は当事者ではないものの、無念さを感じて臍をかんだ。
財政とは極論すれば制度であり、制度の設計と運営は技術論であり、そこに迫るためには法解釈の正確さだけではなく、省庁間のパワーバランスや、過去の経緯に精通した肉厚の常識が求められる。ポスト改革の時代における財政学では、そのような視点での展開が不可欠である。本シリーズの刊行が刺激となって、井手教授が起筆した各巻共通のはしがきの最後で高らかに宣言したように、「財政学を人間の学へと」していくことに、若い研究者が力を尽くしてほしい。私も及ばずながら協力を惜しまないつもりである。