自著を語る
東洋大学社会学部教授 薬師寺克行〔Yakushiji Katsuyuki〕
激動期の現場を見続けて
朝日新聞政治部記者だった30歳のころ、私は初めて中央省庁の1つを担当した。ある日、記者クラブで予算が絡む政策についての報道資料が配布された。表紙には「自民党の部会、総務会の了承後に解禁」という注意書きがあった。つまり、役所としてはこの政策を決めているが、マスコミが報道できるのは自民党政務調査会の部会や総務会で了承という手続きを終えてからであるという意味である。
まだ何もわからない私は幹部職員に、「政府の一機関である役所の政策を、いちいち党の部会などの了承手続き終了を経ていなければ報道できないのはなぜなのか」と聞いた。するとその幹部は「そういうものなんです。それが慣習です」というだけで、それ以上の説明はしてくれなかった。
農林省を担当したときも面白い経験をした。当時、日本は日米構造問題協議やGATTのウルグアイ・ラウンドというグローバリゼーションの波にさらされていた。ウルグアイ・ラウンドの焦点はコメの関税化、市場開放問題であった。世界経済システムの変化に敏感な通産省や外務省は柔軟な考えを持っていたが、自民党農林族議員と一心同体の農林省は「一粒たりとも輸入は認めさせない」と強い姿勢で臨んでいた。農林省内の一部には「ある程度の開放はやむを得ない」と考える国際派官僚もいたが、彼らの声は圧倒的多数の保守派の前でかき消されていた。
そんな中、コメ問題を担当する事務次官級の幹部が私に話してくれた言葉が強烈に記憶に残っている。「コメを守れとか、断固戦うべきだという自民党議員の意見を聞くたびに、私はヘドが出そうになる。彼らは日本農業の将来など全く考えていない」。
毎年12月になると自民党本部で年中行事のように開かれていた自民党税制調査会総会の異様な光景もはっきりと脳裏に残っている。様々な業界団体の要望を預かった若手・中堅議員らが、減税や優遇措置を求める発言を延々と続ける。ところが彼らは正面に座る党税調幹部に向かってではなく、まったく別方向にあるドアに向かって大きな声を張り上げていた。そのドアの外には業界団体の職員が並び、もれ聞こえてくる議員の発言内容をチェックし記録していたのである。業界団体に好意的な発言は政治献金につながる仕組となっていた。
1955年の保守合同以来、30年余りの長期にわたって続いた自民党政権の政策は大きな方向ではまちがっていなかっただろう。しかし、80年代後半から記者として自民党政治の日々の動きをウオッチしてきた私は、個別利益の実現に奔走する政治家と、そうした政治に面従腹背しつつも結局は、組織防衛や自己防衛のために非合理な政策に手を染めていく官僚の姿をいやというほど目にしてきた。権力維持のための既得権擁護と、時代の変化への対応の遅れ、さらには「公」に対する問題意識の欠如と私的利益追求の日常化という矛盾が日常茶飯事となっていたのである。
このシステムはリクルート事件や佐川急便事件という政治家や官僚が絡む金銭スキャンダルの表面化によって崩壊していった。その後、日本政治は今日まで続く激動の季節に入っていったのである。いま振り返って思うと、「政官業の三角形」という言葉に象徴される自民党政治の矛盾は限界点に達し、カタストロフィックな転換期が訪れるのは必然であったのだろう。
この時期までを対象とした、戦後日本政治に関する研究は数多くある。本書が対象とするのは、1989年以後、自民党単独支配システムが崩れ、日本政治が次なる姿を求めて混迷と模索を続けた時代である。幸いにも私は、この激動期の政治の現場を記者の立場で見続けることができた。膨大な取材メモや資料を改めて整理し、読みなおし、混迷の四半世紀を整理する機会を得たことは望外の幸運であった。
様々な困難
現代史を書くことには様々な困難が伴う。まず、資料の問題である。近年、ますます政策決定に透明性が求められるようになり、議事録を含め様々な資料が公表されるようになってきた。しかし、それらの多くは公表を前提としてきれいに整理されたものでしかない。主要プレーヤが何を考えいかなる決断をしたかなど、内実に迫る資料は時代が新しくなればなるほど公になっていない。
また、当事者の多くが現役であることは直接確認ができるという長所とともに、逆に本人に都合のいい解釈や解説が流されかねない短所があり、客観的に正確な事実を把握することが困難になりかねない面を持っている。客観的かつ実証的な研究を行うには、多角的、多面的にデータを収集し、相互に照らし合わせて、事実を絞っていく作業が不可欠となる。
次の作業である主要な政策や権力闘争などの評価については、さらに難しい面がある。入手できた資料だけに依拠して、判断・評価することはある程度のリスクを伴う。後に新たな資料や証言が出てきて、覆される恐れは常にある。また、私の場合、ほとんど常に政治の現場に立ち会うことのできる立場にいた。そのことは研究にとってプラスであったが、生々しい現場を同時進行で見てきた分、歴史的事実を突き放してどこまで冷静、客観的に見ているかという不安が付きまとったのも事実である。そこで目指したのが、ジャーナリズムとアカデミズムの融合的手法である。
本書を執筆するにあたって、記者時代の取材メモや資料はもちろん活用したが、さらに記者時代から続けている主要な政治家や官僚らに対するオーラルヒストリーやインタビューの記録も大いに活用した。オーラルヒストリーに対する評価は様々あるが、対象者と聞き手との間に信頼関係が構築されていることや、インタビューの対象となる時代や問題について聞き手が十分な知識、情報、体験を共有していれば、対象の発言内容をチェックすることが可能となり、相当程度、客観的かつ信頼性のおける成果を出せると考えている。
執筆にあたり留意したこと
そのうえで、本書執筆に当たっては以下の点に留意した。
まず、内容が事実関係の列挙にとどまったのでは研究にも値しないので、基本的な事実関係を記したうえで、独自の視点での分析・評価に挑戦してみた。時代が現在に近づけば近づくほど、この作業は困難であり、読者の方々の意見や批判は避けられないであろう。しかし、敢えて議論を活性化するためにも挑戦してみた。その際、重視したのは1989年以降の混迷と改革運動の中で、それぞれの出来事がどのように位置づけられるかという視点である。この期間の内政や外交における様々な改革や政権の座を巡る権力闘争は、ほとんどが相互に関係性を持っている。ゆえに常に全体構造を意識しつつ、個別の問題を解きほぐすことを心がけたのである。
その場合、新しい視点として意識したことの1つはグローバルな時代を反映した国際政治の視点、もう1つは大衆民主主義とマスメディアの発達を踏まえた政治空間の拡大であった。
かつての自民党政治であれば、党内派閥間の権力闘争と人間関係を解きほぐせば政治のかなりの部分を語ることができた。しかし、現代政治の世界においては、外交・安全保障や経済の分野はもとより、歴史認識などを含め幅広い分野の問題が国内政治に直接的な影響を及ぼす。そういう意味で、内政と外交は一体化し、政治空間は限りなく拡大したのである。
国民との関係でも、政治を永田町と霞が関の物語として語れば済むという時代は終わった。小泉内閣を境に時の政権の最大の権力基盤は党内派閥でもなければ「鉄の三角形」でもなく、「国民世論」というつかみどころのない主体へと移行した。世論の動向を大きく左右するマスコミの役割が飛躍的に拡大した。「世論」と「政治」と「マスコミ」という新たな三角形が、権力闘争や重要政策の決定過程を大きく規定するようになっている。そのことを執筆しながら改めて痛感したのである。
本書の内容について
さて、肝心の本書の内容であるが、政治の現実を見ると外形的には1993年に自民党単独政権時代が終わり、混乱期を過ぎて再び連立政権という形ではあるが自民党支配時代に戻っている。つまり政治は「振り出し」に戻ったかのように見える。むろんそれは表面的な現象でしかなく、内実は大きく変わった。本書で私はそれを4つの点に整理してみた。
まず、小選挙区比例代表制導入という選挙制度改革である。リクルート事件などを契機にカネのかかる政治を見直すことなどを目的とした選挙制度改革は、単に選挙だけでなく、政治家の行動様式や政策決定のあり方を大きく変えた。こうした変化については様々な研究がなされているが、現時点ではそのほとんどが政治家の質低下を招いたなどという否定的な評価をしている。
2つ目は政党交付金制度の導入によって、政党が収入の多くを交付金に依存するようになった点である。衆院への比例代表制導入で少数政党が数多く誕生し、それらの政党の多くが収入を支持団体や支持者らからの献金ではなく政党交付金に依存している。政党交付金目当てに新党を結成する動きも活発化している。政党は〝国営化〟され、有権者にとって次第に遠いものになってきているのである。
3つ目は首相主導、官邸主導の定着である。これは自民党執行部や党内派閥の弱体化と表裏一体の関係でもある。現在の安倍内閣が「官邸独裁」などと言われるのもこの延長線上にある現象である。
そして最後は政党そのものの変質である。一定の支持組織を持ち、共通の価値観などを持つ議員らの集団などという古典的な政党の定義はもはや通用しない。自民党や公明党、共産党などを除けば、政党は国会議員になりたい人間が選挙に当選するために利用する選挙互助会となってしまった。そのためにマスコミでもてはやされた人気者を党首に掲げて結党し選挙に臨む。そんな刹那的存在に変質してしまったのである。
こうした変化が民主主義の姿を大きく変えていることは言うまでもない。政治空間は「権力闘争」「政策」「選挙」「有権者の投票行動」などという既存の研究領域を大きく超えて広がった。大衆化社会とマスコミ、世論が複雑な方程式を作って、政治の世界に強い影響力を持つようになった。現代政治を語るにはこうした拡大された政治空間の包括的研究が不可欠であろう。