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連載

経済学史の窓から

第7回 マルサスは陰鬱な科学者か?

早稲田大学政治経済学術院教授 若田部昌澄〔Wakatabe Masazumi〕

陰鬱な科学とトレードオフ

 2人の兄弟の前に1個のお菓子がある。このとき、兄弟仲よくしなさいといっても、お菓子が1個しかない事実に変わりはない。半分にするにしても、1人が1個を食べられないという事態は変わらない。ここでお菓子は「希少な」ものとされる。希少性があるとき、あちらを立てればこちらが立たないということが起きる。こうした関係をトレードオフという。

 ところで経済学と言えば、「陰鬱な科学」という有り難くないあだながついている。その経済学で最初に学ぶ考え方の1つは、トレードオフである。トレードオフがあるからこそ、経済学では選択が重要になる。兄弟2人でどう菓子を分けるべきか。もちろん、お菓子の数を増やしていければ状況は変わる。これを経済成長と呼ぶならば、トレードオフは多少ゆるくなる。しかし、経済成長を実現するのにもトレードオフはある。どこかでお菓子を余計に作らなければいけない。そのためには仕事の量が増えなければならないかもしれないし、原材料を得ることも必要だ。さらに兄弟のうちの誰がどれくらい働けばよいのだろうか。

 トレードオフの問題が最も先鋭になるのは再分配をめぐる論争だ。現代日本でも、生活保護受給者の数が急増している。昨年月時点で、受給者数は216万4338人、世帯数は159万4729世帯と過去最高を記録した。生活保護の支給額も増えている。メディアでは不正受給が取り上げられ、昨年12月6日に成立した改正生活保護法では支給要件の厳格化が進められている。不正受給の実数はそれほど多くないとはいえ、再分配の問題は人々の勤労観や公平感を刺激するので、価値観を巡る争いになりやすい。さすがに生活保護を全廃すべし、という人は少ないだろうが、生活保護に陥るのは結局のところ自己責任だと考える人は少なからずいるのではないだろうか。

『人口論』初版の論理トレーニング

 「陰鬱な科学」の代表格といえば、トマス・ロバート・マルサス(Thomas Robert Malthus, 1766-1834)である。ケンブリッジ大学で数学を専攻し、当時の同大学卒業生らしく、英国国教会の牧師として出発するものの、本業には身が入らず、著述家としての道を選ぶ。1805年には重商主義の項目で出てきた東インド会社従業員向けの専門学校ともいうべき東インド・カレッジで経済学を教えている。

 なお、経済学を「陰鬱な科学」と呼んだのは文学者トマス・カーライル(Thomas Carlyle, 1795-1881)である。すでに別のところで指摘したように、カーライルが経済学を陰鬱と考えたのは、経済学があらゆる人々を、たとえば人種の分け隔てなく、平等な存在として扱うことに不満を抱いたからであった(若田部2013、第9章)。したがって、現在言われている意味と歴史的な文脈は異なる。だが、マルサスの著作に、陰鬱さがないわけではない。

 マルサスが一躍著名になったのは、匿名で出版した『人口論』(Malthus 1798/1996)のおかげである。その主張はよく知られている。第1に、人類が増えるには食料が必要である。第2に、人類の情念(性欲)は一定である。しかし人口は1、2、4、8と掛け算で増えていくのに対して、食料は1、2、3、4と足し算でしか増えていかない。ただ、こうした2つの数列からなる人口原理が話題になったのは、マルサスがこれを使って果敢に論戦を挑んだからだ。

 主たる論敵はウィリアム・ゴドウィン(William Godwin, 1756-1836)。マルサスは『人口論』の初版全19章中、6章をゴドウィンの批判に費やしている。フランス革命後、イギリスの国論は国制の基本原理を巡って大きく揺れる。保守派のエドマンド・バークと、急進改革派のトマス・ペインの中道を行く進歩派として、ゴドウィンには無視できない人気があった。ペインのような暴力革命論は否定しながらも、ゴドウィンはバークのいう私有財産の保全こそが文明の基礎とする考え方に疑問をなげかける。貧困層がいる原因は富裕層が膨大な富を占有しているからだ。進歩した人類はやがて私有財産を廃止して、全人類にとって豊かな社会を築き上げるに違いない。

 事実と論理のみに依拠すると公言するマルサスは、相手側の前提を使いながら、相手にとって不利な結論を導く。かりにゴドウィンの言うとおりに、所得分配を完全に平等にしたとしよう。そのときに豊かになった個人は何をするか? 子供を増やすに違いない。そうなるとせっかく豊かになってもまた元の貧困に逆戻りである。これを防ぐ手段は2つある。1つは積極的制限という名の子供の死、もう1つは悲惨な生活を予見して結婚と子作りを我慢するという予防的制限だ。いずれにせよ、ゴドウィンのいう新しい社会は水泡に帰する。

 マルサスが自身評したように、「人間生活について著者がしめした見解は陰鬱な色彩をおびている」(Malthus 1798/1996, iv.邦訳14頁)。なぜなら「社会の下層諸階級の欠乏を除去することは、じつに達成しがたい課題である。社会のこの部分にたいする困窮の圧力はきわめてふかく根をおろした害悪であるから、人間の能力がおよびえないというのが真実である」(Malthus 1798/1996, 95.邦訳68頁)からだ。

 多くの着想同様、マルサスの議論にも先駆者はいた。ロバート・ウォーレス(Robert Wallace, 1697–1771)はすでに1761年の著作で、マルサスと似た人口原理に基づいてユートピアの不可能性については論じていた。またジョゼフ・タウンゼンド(Joseph Townsend, 1739-1816)は1786年の著作で、マルサスと似た人口原理に基づいて救貧法を批判していた(Smith 1951, 21-22, 28-32)。マルサスが名声を博したのは、その文章が簡潔であり、論理が明確だったからだった。

 マルサスの人口論は、経済学に甚大な影響をもたらす。ケネー、ヒューム、ジェームズ・ステュアート(Sir James Stuart, 1713-1780)といった先人たちのモデルでは、社会の生み出す1人当たり生産物が増えていく経済成長が中心に据えられていた。そこでは自然は「実り豊かな」ものとみなされていた。他方、マルサス以降、自然は「吝嗇な」ものとみなされることになる。『人口論』初版に、現代でいう収穫逓減(追加的に労働を投入しても得られる生産物の増加分が減少していくことで、限界生産力逓減ともいう)の認識があったかどうかは議論がある。しかし、マルサスは『人口論』初版で「生活資料の困窮から生じる困窮が人間にたいしてくわえる不断の圧力」(Malthus 1798/1996,348.邦訳199頁)について語り、経済成長が労働者を維持する基金を自動的に増やしていくというアダム・スミスに疑念を呈している。その後の古典派の経済学者は、1815年にマルサスを含む4人の経済学者が改めて収穫逓減を前提とした経済理論を明確に打ち出すことになる(Waterman 2000)。

貧困は自己責任か?

 『人口論』初版は、幾多の論争を引き起こした(Smith 1951, 森下2001)。ゴドウィン自身もマルサスに反論している。ただし、ゴドウィンの議論は、将来人間は無限に生きることができる、性欲が消失する、というものでいかにも弱い。もう1つ、ゴドウィンは、発明や技術革新によって生産性が向上するという議論をすることもできたはずだ。だが、なぜかこの反論を彼は行わなかった(その理由は推測するしかないが、この当時生産性向上は分業によってもたらされると考えられていた。しかし、スミスのいうように、分業の基礎は私有財産制度にある。これではゴドウィンの主張である私有財産制度否定とは相容れない)。

 マルサスは1803年に『人口論』第2版を刊行する(Malthus 1803/1996)。これは分量にして初版の倍に及ぶ大部な書物であった。このころになるとフランス革命後の政治社会構想についての原理的な対立は過去のものになり、むしろ救貧法が問題になっていた。救貧法は一種の生活保護制度であり、当時は生活費に足りない賃金の不足部分を公的に支給するということをしていた。この負担は地方政府の財政負担となった。マルサスの見解は、基本的に救貧法は貧者に人口増加のインセンティブを不用意に与えるものだから、彼らを貧困にとどめておく効果があると批判し、廃止すべしとした。ただし、即時にではなく漸進的に、である。

 マルサスには、貧民の貧しさの責任を貧民自身に求めるものとして、結局のところ現体制の維持を図ろうとしているという批判が寄せられていた。これに対して、マルサスは貧困をすべて政治の責任にすることはむしろ暴力革命を引き起こすことになるし、結局のところ貧困の解決につながらないから政治への失望をもたらすと考えた。

 かわりにマルサスは、人間の慎慮し予見する能力を強めることを考えた。それが「道徳的抑制」と呼ばれるもので、初版からすでに言及されていた予防的制限を発展させたものである。

 こういうマルサスは、貧困は自己責任と考えていたように思われる。しかし、それは必ずしも正しくない。第1に、マルサスが自己責任を問うたのは、人間を平等と考えていたためでもある。カーライルの批判は正しかった。マルサスは、いかなる人間も潜在的には予見能力を有していると考えていた。第2に、自己責任を問えない貧困者には救貧の必要がある。疾病者、障害者に対しては救貧の必要性を認めている。第3に、人間の慎慮し予見する能力を開発するために、教育の必要性を訴えている。この教育は公的な責任で提供しなければならない。教育と救貧法改革によって貧困から脱出するインセンティブを刺激するというのがマルサスの貧困対策であった。

 マルサスが現体制を擁護したという批判もあたらない。さすがに時代状況からして避妊まで踏み込んではないものの、人口抑制の勧めは国教会の牧師としては随分大胆な提案である。また、人口抑制は安価な兵士を望む当時の支配層と軍関係者の意図とも反する。保守主義者の詩人ロバート・サウジー(Robert Southey, 1774-1843)が、マルサスは平和愛好者だから気を付けなければならないといったのは正しかった(Winch 1987,52.邦訳81頁)。

 その後も救貧法についてマルサスは様々な事情を考慮し、基本的には「怠惰と無思慮な習慣から生じたのではない困窮」の存在とその救済の必要性を認めている(益永2011)。たとえば、飢饉や、不況が起きるときには予測しえない事情で貧困に陥ることがありうる。あるところでは飢饉のときには救貧法のおかげで困窮が分散したことを認めてもいる。

 マルサスは意見を変えたのかどうかについて研究者の見解は分かれている。しかし、マルサスが当初から、自己責任を問える貧困のみを貧困者に帰したことを忘れてはならない。

 現代日本でも生活保護受給者の数は、1995年には88万2千人まで減少していた。それが増え始めたのは、何といっても不況の影響が大きく急増する2008年のリーマンショック後である。貧困の原因として自己責任の部分があるとしても、自己責任を問えない状況で自己責任を問うのは論理的ではないというべきである。

【参考文献】

益永淳(2011)、「マルサスの救貧思想――一時的救済の原理と実際的根拠」小峯敦編著『経済思想のなかの貧困・福祉――近現代の日英における「経世済民」論』ミネルヴァ書房、64-97頁

森下宏美(2001)、『マルサス人口論争と「改革の時代」』日本経済評論社。

若田部昌澄(2013)、『経済学者たちの闘い[増補版]』東洋経済新報社。

Malthus, Thomas Robert (1798/1996), An Essay on the Principle of Population, as it Affects the Future Improvement of Society, with Remarks on the Speculations of Mr. Godwin, M. Condorcet, and other Writers, London: J. Johnson. Reprinted by Routledge / Thoemmes Press.(永井義雄訳『人口論』中公文庫、1973年)

――― (1803/1996), An Essay on the Principle of Population; or, A View of Its Past and Present Effects on Human Happiness, A New Edition, Very Much Enlarged, London: J. Johnson. Reprinted by Routledge / Thoemmes Press.

Smith, Kenneth (1951), The Malthusian Controversy, London: Routledge & Kegan Paul.

Waterman, Anthony M. C. (2000), “Notes towards an Un-Canonical, Pre-Classical Model of Political Œconomy”. in Reflections on the Classical Canon in Economics: Essays in Honor of Samuel Hollander, edited by Evelyn L. Forget, and Sandra Peart. London and New York: Routledge, pp.27-42.

Winch, Donald (1987), Malthus, Oxford: Oxford University Press.(久保芳和・橋本比登志訳『マルサス』日本経済評論社、1992年)

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