書評
人事と法の対話
――新たな融合を目指して
中央大学大学院経営戦略研究科教授 中島豊〔Nakashima Yutaka〕
本書は、法律学の大内伸哉先生と経営学の守島基博先生という、今、それぞれの分野で最も活躍されている2人の学者による鼎談と対談によって編まれている。法律と経営という2つの異なる分野に軸足をおきながら、両分野における実務家にとっても知的刺激と示唆に富んだ議論が成立しているのは、2人の専門が、労働法と人的資源管理(HRM: Human Resource Management)という「人材」を共通のテーマに扱う分野だからであろう。そして、2人の考え方やアプローチは異なっても、その目指すところの最大公約数は、「働く人の“幸せ”を実現する」ということだからである。
とはいうものの、冒頭の大内先生の「はしがき」にあるように、これまで企業の人事管理の現場では「人事管理(中略)と労働法は対立するものととらえられるのが一般的(後略)」であった。経営学においては、「収益」と「効率」を大前提としたうえで「働く人」=「労働者」の「管理」=「幸せの実現」を行おうと考えているのに対して、法律学は「社会正義」を大前提とする。さらに、1990年代以降、日本のみならず世界において社会構造や個人の価値観の多様化が一層進んだことにより、法律と経営の両方が追求してきた「働く人の“幸せ”」に対する捉え方も多様かつ複雑化するようになった。
「働く人」の中には、これまでの「正社員」だけでなく、「契約社員」、「派遣社員」さらには「請負」という分類がすでに定着している。それに加え、労働契約法の改正にともない昨年からは、新たに「限定正社員」というカテゴリーも生まれた。「幸せの実現」においては、「雇用保証」、「報酬」といった従来からのテーマに加え、「キャリア開発」、「ワーク・ライフ・バランス」、「メンタルヘルス」といった新しい課題が加わるようになった。さらには、2012年の高年齢者雇用安定法改正に伴って、近いうちに、「高齢者雇用」、「中高年対策」が新たに付け加えられるようになるであろう。
本書では、こうした伝統的な課題だけでなく、新たに付け加わってきた課題についても、それぞれの課題に直面している最先端の現場の実務家を交えた鼎談と、その課題の根底にある問題を深堀し、さらに採りあげられた論点を補うような両先生の対談が展開される。本書の構成について、筆者は、全部で12章からなるこの内容が、大きく分けて4つのパートによって成り立っていると考える。
第1のパートは、第1章と2章で取り扱われる企業における「雇用」の入り口としての「人を雇い入れる」ことに関わる問題である。ここでは主として雇用形態の「区分」の多様化が取り扱われている。
本書では、多様化する雇用形態について、この問題について先駆的な取り組みをしている企業であるイオン㈱のグループ人事部長の二宮大祐氏を交えた鼎談が行われている(第2章)。二宮氏は、高度成長からバブル崩壊にいたるまでの典型的な日本企業の雇用管理方法を「5点セット」で表現している。つまり、雇用の条件と働き方における「何でも(職種)、どこでも(場所)、いつでも(時間)、定年までずっと(コミットメント)、優秀です(能力)」である。かつては、この5点セットで条件を満たすか否かをメルクマールとして「正社員」と「非正社員」に区分していたものが、「一部しか満たさない」という人材が時代の移り変わりとともに登場してきた。それによって、今日の複雑な雇用管理が必要になったと本書は分析している。
さらに、個人の価値観の多様化について、昭和時代のCMにあった「いつかはクラウン」というコピーを挙げたうえで、今日では「クラウンに乗りたくもないし、社長なんかは目指さない」という働き方も増えているとわかりやすく語っている。こうした状況は、マスコミ等でこれまで情報発信されているものではあるが、2人の学者が鼎談で引き出した実務家のコメントには、新聞や雑誌の報道とは全く違うリアリティがある。
第2のパートは、第3章から5章にわたって採りあげられている人材の評価、処遇、育成に関する制度運用の「思想」における今日的な問題である。ここでは、社会正義を大前提とする法律学の「思想」と利潤と効率性を追求する経営学の考え方における相違点が明らかにされている。その思想の違いは、雇用における「均衡」、「公正」、「納得」、そして「対等」に対する考え方に凝縮される。
企業(雇用者)と労働者の関係において発生する力学について、法律学は伝統的に企業が優位に立つという立場をとる。他方、現代の経営学では個人の自律やキャリア権といった考え方が浸透し、1人ひとりの個人が企業との関わり方を選択できる「対等」の立場にあると考えている。企業と個人が「対等」であるとするならば、それに伴って、「公正」と「納得」に対する考え方は変化する。かつては「結果の平等性」が基準とされていたものが、「機会の平等性」と「選択の自由」を重視する考え方にシフトするのである。
本書では、経営学の立場から人的資源管理の諸施策や制度の基本的な考え方として「均衡」という概念がしばしば提示されている。人材の評価、処遇、育成において、様々な異なる価値観を調和させる「均衡に基づく思想」が基本に置かれるようになったのである。
第3のパートでは、ワーク・ライフ・バランス、メンタルヘルス、退職のマネジメント、高年齢者の雇用、そして労働紛争の解決といった人的資源管理をめぐる今日の代表的なトピックスが採りあげられている。これらを扱った各章は、単独の読み物としても、現在の課題やそれに対する対応の検討といった人的資源管理の実務者にとって有用な知識を与えることのできるものである。さらに、前述の均衡の思想を「物差し」としてあてはめてみると、これらの課題に根差している本質的な問題が、評価、処遇、育成といった制度の運用に関わる考え方が多様化、複雑化したことに還元されることがわかる。
例えば、ワーク・ライフ・バランスとは、個人が仕事と生活に対して持っている多様かつ複雑なニーズを職場でいかに均衡させるかという問題であり、メンタルヘルスは、その均衡を失った個人において発生する問題である。高年齢者の問題は、異なる世代(ジェネレーション)がどのように折り合って仕事をするかということである。さらに、労働紛争は、職場における評価と処遇の考え方について企業と個人の考え方の均衡を失した時に発生しているのである。こうした課題への今日的な対処法について、本書は法律と経営の実務家にとって重要な示唆を与えている。
11章と12章は、こうした現状を踏まえた今日の人事部門のあるべき姿について論じている。最近の米国の産業政策の動向を見ると、そこで議論されている課題の1つは“Skilled Labor Gap”(必要とされる人材の不足)の解消である。米国では、国家として競争力を持たなければならない特定分野で、高度な知識と技術をもった人材が足りないというのは、国の安全保障上にも影響がある重大問題であるとされている。今日のオバマ政権は、企業に対して、この課題解消に重要な役割を果たす責任を担うことを求めている。そこで、米国企業の人事部門は必要とされる人材の確保と育成において、新たに重要な役割を果たすことで、国や社会に大きな影響を与えることが期待されるようになった。
その新たな人事部門の役割とは、企業経営において管理業務や事務処理が中心であった人事部門の仕事を、従業員を通して顧客、投資家、地域、社会といったステークホルダー(利害関係者)に幅広く貢献するビジネス機能の1つとして認識されるようになることである。そして、人事担当者に対しては、自社が社会に対してどのような価値提供をしているかを十分に理解したうえで、従業員を通して顧客や社会に、様々な付加価値を提供できる専門職(人事のプロ)となることが求められるようになったのである。本書では、これまでの日本の人事管理の在り方が、このような要求に対応できない実情を指摘したうえで、グローバルな競争環境に適応していく上で、マインドセットを変えていかなければならないことを指摘している。
筆者は大学で法学を学び、日本の大手電機メーカーに就職した。そこで最初に人事管理の仕事に配属されたことがきっかけとなって、以後30年間にわたって日米の7つの会社で一貫して人事管理の仕事に就いている。この間、大学院で経営学と政策学を修め、現在では社会人大学院において人的資源管理の科目で教鞭もとっているが、学部時代に受けた法学教育は実務とアカデミックの両方の活動における助けとなっている。
勿論、人事管理の仕事をする実務家にとって労働法は必須の基礎知識である。そうはいうものの、先に述べたように、これまでは労働法と人的資源管理は互いに対立関係にあった。かつての実務家は経営の観点に重きおいた人材の効率的な活用を考えることを優先させ、労働法は組合交渉や労働紛争といった場面においてだけ限定的に顧みられるものに過ぎなかった。
しかしながら、近年、雇用における企業の社会的責任(CSR)が注目されるようになり、社員を使い捨てにする、いわゆる「ブラック企業」に関わる問題など、CSRを意識した議論も展開されるようになった。こうした時代の流れの中で、労働法は経営におけるリスク管理の視点から、効率追求を重んじる経営に対して新たな視点を提示していると思う。その結果、人的資源管理においても、ビジネス・ジャッジメントとリーガル・ジャッジメントの複眼的なアプローチが必要とされるようになったのである。今日の人事のプロには、この2つの視点から様々に考えうる利益を、如何にして均衡させていくかというところで法学教育によって培われる素養が求められているのである。