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連載

経済学史の窓から

第6回 ヒューム、スミスは行動経済学の先駆者か?

早稲田大学政治経済学術院教授 若田部昌澄〔Wakatabe Masazumi〕

評価の分かれる昨年のノーベル賞

 昨年のノーベル経済学賞は、ユージン・ファーマ、ラース・ハンセン米シカゴ大学教授、ロバート・シラー米イェール大学教授の3氏に贈られることとなった。この決定に対して例年にも増して議論が沸き起こっている。

 その理由は、端的に言ってちょうど昨年の秋に5周年を迎えた経済危機に関わる。今回の危機は米国ではGreat Recessionと呼ばれる。大不況というと、1930年代のそれと紛らわしいので大後退とでもいうべきだろうが、米国でも失業率の改善は遅々として進まず、失業期間の長期化が進んでいるし、ヨーロッパ諸国では多くの国で失業率がかつての大不況時に匹敵するくらい上昇したので、大不況と呼んでもおかしくないという声もある。その発端は、資産市場、とくに住宅市場における価格の高騰、いわゆるバブルの発生であった。

 大後退で批判の的となったがファーマらが唱えた効率的市場仮説である。これは名前からして、市場は効率的である、と理解されることが多い。しかし正確には経済主体は利用可能な情報を効率的に用いるので、長期的には市場での収益率を出し抜くことはできない、というものだ。それゆえ、個々の経済主体が時に儲けたり、時に損をしたりすることはありうる。それに対してシラーは、むしろ株式市場で非合理的な行動が体系的に起きることを指摘した。合理性と非合理性――こうした一見相反する研究成果への授賞が批判の的となったのである。

 もっとも、ファイナンス理論への貢献度を考えればファーマの貢献は甚大である。連載第4回で重農学派について述べたように、モデルの意義とはその限界を明瞭にすることであり、科学は巨人たちの肩の上に乗って遠くを見通す営みである。

情念と格闘したヒュームとスミス

 シラーの業績が好意的に取り上げられている背景には、近年における行動経済学の発展がある。しかし、感情の分析という点では、むしろ過去の経済学者に学ぶところがある。

 近代の、ことに17、18世紀になると、哲学者らは人間かくあるべし、という規範的な姿ではなく、人間の実証的な姿に注目し始める。ことに宗教上の制約の緩和は、多様で複雑な人間動機の強調に至る。人間は、敵意、不和、憎悪、好意、愛着、愛情といった感情を抱き、時には過剰なまでの自負心、誇大妄想に囚われ他人を見下す一方で、自分を卑下し、落胆し、自信を喪失したりする存在とみなされた(Holmes 1995, Chapter2)。

 そうした感情や情念の役割を重視したデイヴィッド・ヒューム(David Hume, 1711-1776)はまさに典型である。「人間は、自分たちの気持ちや意見において、理性に支配されていることはほとんどない」(Hume 1740/2000, 240, 邦訳114頁)。こうした人間の気持ちや意見は、社会を作る動物としての人間本性と結びついている。「人間はこの世界で、社会を形成しようというもっとも熱烈な欲求を持ち、またそれによって最大の利益を得るという点で社会に適した生物」(Hume 1740/2000, 234, 邦訳104頁)だからだ。

 情念の源は、この「社会に適した生物」という人間の本性に求めることができる。「われわれは社会と関わりを持たないような願望を何も持つことはできない。完全な孤独は、おそらくわれわれが被りうる最大の刑罰であろう。誰も仲間がいなければ、どのような快も生気のないものとなり、あらゆる苦はいっそう残酷で耐え難いものとなる。誇り、野心、強欲、好奇心、復讐、性欲といった、他のどんな情念でわれわれが動かされるとしても、そうした情念の核心であり、命を吹き込む原理であるのは共感であり、もしわれわれが他人の思考と気持ちを完全に抜き去ってしまえば、それらの情念は何の勢いも持たないものとなるであろう」(Hume 1740/2000, 234-5, 邦訳104頁)。

 そうした例は歴史にあふれている。ユーモアを交えて、ヒュームは女性に歴史の研究を勧めている。それは歴史を研究すると「男性は、彼女ら女性と同じく、彼女たちが想像しがちなほど完全な人間からは程遠いということと、愛は男性の世界を支配する唯一の情念ではなく、しばしば貪欲、野心、虚栄、その他数多の情念によって征服されるということ」(Hume 1777/1987,564, 邦訳453頁)を学べるからだ。

 こうした人間観はアダム・スミスにも共通する。『道徳感情論』の冒頭はこうだ。「いかに利己的であるように見えようと、人間本性のなかには、他人の運命に関心をもち、他人の幸福をかけがえのないものにするいくつかの原理が含まれている」(Smith 1759/1976,9, 邦訳30頁:訳文を一部変更した)。ここでは、利己的であると同時に他人を気にする存在として人間が描かれている。

 スミスは、他人を気にする存在である人間には、他人の感情や行為を評価する作用が備わっているとする。それが「同感(sympathy)」である。ここからスミスは社会秩序の基礎である正義がいかに生まれるかを描く。人々は他人に見られ、他人を見ることで「胸中の公平な観察者」を形成し、他人の感情や行為が適切かどうかを判断し、ひるがえって自分の行為を判断する。正義や義務の一般的規則の基礎にはこうした心理的作用があるとスミスは考えた。

 しかし、人々の同感能力には差がある。自分に近しい人と、遠い人に対して同感する力は変わる。また、「胸中の公平な観察者」の人は正義と義務の感覚を有するにもかかわらずそれを守ることができず、他人の世間的な評価に負けたり、あるいは「胸中の公平な観察者」の助言を無視して自己欺瞞に陥ったりする「弱い」存在でもある(堂目2008、101―106頁)。

 こうしたスミスの考え方は、最近では行動経済学者から高く評価されている(Ashraf et al. 2005)。行動経済学流にいえば、スミスの出発点は、バイアスを持つ存在としての人間であるとみなせる。また、「同感」と「胸中の公平な観察者」は、脳科学者にとっても新鮮な刺激を与えてくれるものと映るという(堂目2008、288―289頁)。

重商主義の「わかりやすさ」再論

 ところで松尾匡立命館大学教授は、反経済学的発想の典型的構造を3つにまとめている。

(1)操作可能性命題:世の中は、力の強さに応じて、意識的に操作可能である。

(2)利害のゼロサム命題:トクをする者の裏には必ず損をする者がいる。

(3)優越性基準命題:厚生の絶対水準よりも、他者と比較して優越していることが重要である(松尾2007、290頁)。

 対して経済学的発想は、次のように特徴づけられる。

(1)自律運動命題:経済秩序は人間の意識から離れて自律運動した結果である。これを人間が意識的に操作しようとしたら、しばしばその意図に反した結果がもたらされる。

(2)パレート改善命題:取引によって誰もがトクをすることができる。

(3)厚生の独立性命題:他社と比べた厚生の優劣よりも、厚生の絶対水準の方が重要である(松尾2007、290―291頁)。

 こう整理すると、スミスの行ったことは「要するに重商主義の『反経済学の発想』に対して『経済学の発想』をぶつけているのだ」(松尾2007、295頁)ということもよくわかる。

 前回述べたように重商主義の基礎には近代国家がある。そしてそれを支える感情は愛国心、ナショナリズムである。重商主義は徹底的に自国と他国を比較し、その間に敵対関係を想定するものであった。スミスは、祖国愛を否定するわけではない。自分の身の回りの人々に愛を感じることは自然であり、必要でもある。しかし、それが偏狭な国民的偏見をもたらす可能性を見過ごすこともなかった。「我々の愛国心は、他のあらゆる近隣国の繁栄や拡大を、もっとも悪意に満ちた妬みや、羨望をもって眺めようとする気分にさせることが少なくない」(Smith 1759/1976, 228, 邦訳421頁)。スミスの同時代には、イングランドとフランスとの対立には激しいものがあった。

 ただ、反経済学的発想は、行動経済学で説明可能だ。そして同感を基礎に置くスミスもそれに近いことを理解していたと思われる。誰もが子供の頃いじめっ子にいじめられたり喧嘩をしたり、社会人となっても世間で苦労をして、力の強い者と弱い者の違いを骨身にしみる。他人を気にするように他国を気にするのが人間であり、妬みや敵意もそこから生じる。重商主義の「わかりやすさ」の中には、人間が人間であるがゆえにもつ各種のバイアスが寄与していると考えられる。

 理性と情念をともに備える存在としての人間をどう理解するか。そもそも不完全な人間が国民的偏見や自己欺瞞につながる情念を抑制し、いかに秩序と繁栄を実現していくのか。ファーマとシラーの共同受賞が明らかにするように、その解明は現在の経済学でも未解決であり、最新の問題である。

【参考文献】

堂目卓生(2008)、『アダム・スミス――「道徳感情論」と「国富論」の世界』中公新書。

松尾匡(2007)、「『経済学的発想』と『反経済学的発想』の政策論」野口旭編『経済政策形成の研究――既得観念と経済学の相克』ナカニシヤ出版、288―320頁。

Ashraf, Nava, Colin Camerer, and George Loewenstein (2005), “Adam Smith, Behavioral Economist,” Journal of Economic Perspectives, Vol.19, No.3, pp.131-45.

Holmes, Stephen (1995), Passions and Constraint: On the Theory of Liberal Democracy, Chicago and London: University of Chicago Press.

Hume, David (1740/2000), A Treatise of Human Nature., A Critical Edition, edited by David Fate Norton and Mary J. Norton, Oxford: Oxford University Press. (石川徹・中釜浩一訳『人間本性論 第2巻 情念について』法政大学出版局、2011年)

――― (1777,/1987), Essays, Moral, Political, and Literary, edited by Eugene F. Miller, revised edition, Indianapolis: Liberty Fund.(田中敏弘訳『ヒューム 道徳・政治・文学論集』名古屋大学出版会、2011年)

Smith, Adam (1759/1976), The Theory of Moral Sentiments, Oxford: Oxford University Press.(高哲男訳『道徳感情論』講談社学術文庫、2013年。邦訳は第6版に基づく)

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